林遣都、1人3役を成立させたむき出しの演技力 『世界は3で出来ている』が描いた“今、この時”
新型コロナウイルスの罪深いところは、全人類を命の危機にさらす半面、富む者と失う者を生み出してしまったことだ。たとえば劇場映画が大打撃を受けたが動画配信サービスが売り上げを伸ばしたように、予想していなかった形で「貧富」のような構造が生まれてしまった。
3つ子は結果的に全員がコロナ禍からうまく逃れ、得した部分もあるだろうが、彼らが食べるバターラーメンの製麺会社は、新型コロナウイルスにつぶされてしまった。どうすればよかったのかという無念はある。それは今後も消えないだろう。泰斗の言う通り、「忘れていく」のかもしれない。ただ、「忘れても思い出すよ」という勇人のセリフにあるように、さながら「母の味」を再現しようとするかのごとく、失われ、消えゆく者たちの存在は周囲の心に刻まれていく――それもまた、事実だ。
そしてここで効いてくるのが、林遣都の3人芝居。それぞれに語る言葉や感じる思いが異なる3人は、1人の人間のアンビバレントな状態を示しているのかもしれない、という気にさせてくるのだ。新型コロナウイルスによってもたらされた恩恵も、奪われた日常も、両方あって、うれしさや喜びと同時に、悔しさや悲しみも経験した。我々個々人の中に、白と黒ともいえない感情が渦巻いている。それを3つにセパレートして提示したものが3つ子に象徴されているのだとしたら、実に老獪なアイデアだ。
事実と同じ土俵で出来上がった『世界は3で出来ている』は、新型コロナウイルスを別の病気に置き換えたりぼやかしたり改変することなく、ありのまま見せる。セリフの1つひとつも、生々しい。つまりこのドラマには、ウソがないのだ。
ただ1つだけ、本作に存在するウソ。それは、林遣都を3体に増幅させたこと。その意図はきっと、「面白いから」だけでないのだろう。「どう感じてもいい。すべて、あなたなのだから」――。そんなメッセージが、伝わってくるようだ。
■SYO
映画やドラマ、アニメを中心としたエンタメ系ライター/編集者。東京学芸大学卒業後、複数のメディアでの勤務を経て、現在に至る。Twitter
■放送情報
『世界は3で出来ている』
出演:林遣都
脚本:水橋文美江
プロデュース・演出:中江功
制作著作:フジテレビ
(c)フジテレビ