令和突入で変化した朝ドラ『スカーレット』、賛否割れた『全裸監督』……2019年を振り返るドラマ評論家座談会【後編】

2019年ドラマ評論家座談会【後編】

 2019年も、各局、各配信サービス等から多種多様なドラマが放送された。リアルサウンド映画部では、1年を振り返るために、レギュラー執筆陣より、ドラマ評論家の成馬零一氏、ライターの西森路代氏、田幸和歌子氏を迎えて、座談会を開催。

 脚本家の安達奈緒子の作家性や、YouTubeからの影響を感じさせるテレビ東京の深夜ドラマについて話し合った前編に続き、後編では『本気のしるし』『いだてん』『全裸監督』などから、ドラマにおける男女の描き方に注目。また、令和という新しい時代への突入とともに変化したNHK朝ドラ『なつぞら』と『スカーレット』についても議論を交わした。

『本気のしるし』『いだてん』から考えるキャラクターの“揺れ”

ーージェンダー観において、男性・女性の描き方で気になるドラマはありましたか?

成馬零一(以下、成馬):『本気のしるし』(メ〜テレ)は、浮世という女性を通して、そこにある社会的要因とか、男の中にある暴力性を見せる演出の仕方になっていますよね。坂元裕二の『カルテット』(TBS系)にも吉岡里帆演じる有朱ちゃんという魔性の女タイプのキャラが出てきましたが、有朱と浮世は似ているようで違うんですよね。

西森路代(以下、西森):有朱は自ら惑わそうとしてる人、浮世は“そうとしか生きられない”人、ですよね。ただ、実は有朱だって、ちゃんと有朱から見れば、実は“そうとしか生きられない”んだと思います。最近は、そういう見方をするようになりましたね。以前であれば、浮世だって“そうとしか生きられない”人には見えていなかったかもしれない。フェミニズムを知ったかこそ、そんな風に見られるようになってきたのかもしれません。

成馬:『本気のしるし』の登場人物は全員自分が何をやっているのか、よくわかってないんですよ。全話の演出を担当した深田晃司監督は平田オリザさんの青年団の演出部に所属していて、大きな影響を受けているそうです。先日インタビューしたのですが、既存のドラマにおける役者の演技は、自分が何をやっているか分かっていて演じているようにみえる。台詞も、ドラマを見ている第三者(お客さん)を想定して喋っているようにみえるけど、自分の作品では聞いている人は0人で目の前にいる相手に向かって話してくれと役者に演出している。そうすれば自然と声のトーンも小さくなるはずだと監督が話していたのが印象的でした。そういう意図で演出しているので『本気のしるし』の映像は、まるで自分の普段の姿を見ているような居心地の悪さを感じるんですよね。

『本気のしるし』(c)星里もちる・小学館/メ~テレ

西森:映画『スリー・ビルボード』を見た時に、善良に見えた人が悪になったり、悪な人が善良になったりと、すごくあやふやで、キャラクターだからといって一貫しているわけではなかったことが印象的で。深田監督の『よこがお』を見た時に、そのキャラクターの“揺れ”の部分をすごく感じました。『本気のしるし』もそうで、最初に見た時はどうしても浮世がファムファタールに思えてしまって、監督は何を意図しているんだろうとすごく考えてたんだけど、見ているとだんだんわかってきました。以前、深田晃司監督にインタビューした時、本当は女性が弱い立場にあるのに、「『女性は弱くないから大丈夫だ』というメッセージを無理に込めようとすると、そこには危うさがあると思います」と言われていたんです。そういう問題意識も作品の中に入っていますよね。

成馬:面白いのは、ヒロインの浮世さんをどう思うかで、その人の女性観や人間観が露わになってしまうところですよね。だからすごく怖い作品だと思います。主人公の辻(森崎ウィン)も不気味に見えますよね。同僚に二股をかけていてモテるし仕事もできて本来幸せなはずなのに、空虚さがにじみ出ている。同時に、辻みたいに振る舞う瞬間が瞬間は自分にもあるなぁと、何度も思わされました。自分では怒っているつもりがなくても、浮世さんの視点を借りることで、相手を威圧するように話していたのだと理解できる。その意味でも鏡を見ているような作品でしたね。

西森:森崎さんも土村さんもオーディションで選ばれていますが、特に森崎さんはこういうイメージがまったくなかったから意外でした。“男の罪”を背負って演じられるというのは、俳優にとっていいことじゃないかと思います。なぜなら、やっぱり複雑さが表現できますからね。

成馬:今回、自分がベスト5に選んだ作品は結果的に全部男性が主人公で、男の中の暴力性みたいなのを感じさせる作品でしたね。『いだてん』(NHK総合)のまーちゃん(田畑政治/阿部サダヲ)も、彼が政治的な毒を飲み込んだ瞬間に滅びの予兆が生まれていて、こんなふうに話が進んでいっていいのか? と見ていて不安になりました。

西森:そうですね。前編の主人公である四三さん(中村勘九郎)には暴力性がないですからね。私も一見明るいキャラクターのまーちゃんが、犬養毅(塩見三省)と出会って彼の思いを聞いたのに、「暗いニュースは読みたくない」と切り捨ててしまうのがすごい怖いなと思ったんですよね。でも、その後はスポーツが好きな明るい人としての一面が描かれることが多かったので、間違った見方をしたのかなと思った時期があったけど、やっぱりそう感じたものは間違いではない部分もあったんだなと。妻との関係性も、いいものにも見えるし、どっか不安な感じもあって。でもそれも、『スリー・ビルボード』や『よこがお』などに見られる、人間性や善悪が一貫してることなんて現実にはありえないというリアリティだなとも思いました。

成馬:純粋な競技スポーツだったオリンピックが政治的なものに飲み込まれていくことになったきっかけを振り返ると、まーちゃんと犬養毅のあのシーンを思い出しますよね。『いだてん』は宮藤官九郎にしては珍しく政治や社会を丁寧に描いてるんですよね。それこそクドカンは「みんなでビールを飲んで騒いでるだけで幸せ」みたいな仲間同士の共同体、政治の世界とは無縁の市井の人々を描いていた存在だったんですが。

田幸和歌子(以下、田幸):『いだてん』には女性メダリストたちもたくさん出てきて、フェミニズム的な回も何度かありましたね。

西森:クドカンが、韓国映画『お嬢さん』のパク・チャヌク監督と対談をしていたんですが、そのあたりから徐々に変わってきたのかなって勝手にそんな風に思ってみています。『監獄のお姫様』(TBS系)は、あきらかに『お嬢さん』に描かれていたような構造がみられたし、ハ・ジョンウ演じる藤原伯爵が、伊勢谷友介演じる板橋吾郎に重なりました。これも、男の罪を演じることを引き受けてる系ですね。でも、その前に放送された『ごめんね青春!』(TBS系)の頃はまだ書けていなかったと思うんですよ。『いだてん』でも「男の可愛さとか男のわがままを許せ」みたいなところはまだあって、ただこれもやっぱり、揺らぎあるキャラクター、人間の中の両面を見せることになっているように思います。私たちだって、男のわがままを許したくはないけれど、それが可愛く見える瞬間だってある。そこは、どっちがどっちには簡単には分けられないもので。

成馬:『本気のしるし』の原作漫画もそうですが、00年代に、男子校的な共同体があって、それを壊す悪女みたいな存在をみんなが好んで描いていた時期があって、クドカンもそういう対比でドラマを作っていたんですよね。ホモソーシャルな空間を砕くためのサークルクラッシャーとしての女性を描いていたのですが、2019年になって、やっと、そうじゃない描き方ができるようになってきたんだと思います。

西森:一方の視点で描くとそう見えるだけで、反対から見ると、そうせざるを得ない理由があるんですよね。『カルテット』の有朱もそうなんですけど、人を惑わしたり、サークラをすることでしか抵抗できないからということもあると思うんです。さっきも言ったように、深田監督にインタビューした時に「女の人がエンパワーメントされて強いものとして書きすぎると、本当に虐げられたりしていることが消えてしまうから、なきこととするほうがひどい」という風におっしゃっていたことを考えると。浮世の現状を無視しないことが、フェミニズムなのかもしれない。

成馬:それこそ大根仁監督の『モテキ』などにも繋がっていきますよね。『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』も水原希子演じる女の子がファムファタール的な感じですが、やっぱり#MeToo運動以降、明確に空気が変わっていて。だから大根さんも『いだてん』をやったことは大きかったかもしれませんね。女性の描き方に関して、一段上がった感じがします。

西森:ファムファタールを女性が演じるものであったところを、男性が演じたことで反転させたものとしてEXILE/三代目J SOUL BROTHERSの小林直己さんが出演した『アースクエイクバード』(Netflix)があったと思うんですけど、ファムファタールという意味で男女を反転させたこの作品を見ると、これまでのファムファタールが何だったのかが見えてきて面白かったですね。

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