【ネタバレあり】『アナと雪の女王2』に見る“アメリカ映画”らしさ 変革者=エルサが向き合った共同体の暗部
社会現象化する大ヒットとなった前作『アナと雪の女王』('13)から6年、続編となる2作目が公開された。テーマ曲「レット・イット・ゴー~ありのままで~」のキャッチーさもあいまって、全世界興行収入でもディズニーアニメ史上トップに君臨する『アナと雪の女王』。それまで長らく物語の定番であった「白馬の王子様と結ばれるハッピーエンド」という初期ディズニー的エンディングから脱却し、力強くシスターフッド(女性同士の絆)を描いた前作。以降6年のあいだに、米国では大統領も変わり、社会状況も大きく変化した。フェミニズムやリベラリズムを吸収しながら進むディズニーは、揺れ動く現在のアメリカを、どのような形で作品に反映させるのか。クリス・パックとジェニファー・リーの監督コンビは前作からの続投となり、作風とテーマ性を引き継いでいる。
物語の舞台となるアレンデール王国で、アナとエルサの姉妹は穏やかに暮らしている。いっけん何の問題もないように見える彼らの生活だが、エルサを悩ませているのは、彼女にだけ聞こえるふしぎな歌声である。他の者には聞こえないその声はエルサを呼び、見知らぬ場所へと誘っている。時を同じくして、アレンデールは謎の異変にみまわれ、人びとは町から避難せざるを得ない状況へ陥る。アレンデールの問題を解決するため、声の導きに従って旅へ出ることを決意したエルサ。彼女の後を追い、アナ(エルサの妹)、クリストフ(アナの恋人)、スヴェン(クリストフと行動を共にするトナカイ)、オラフ(魔法をかけられて意思を持った雪だるま)の一行は、北方の地へと赴く。
今回、数年ぶりに『アナと雪の女王』を見返してみたが、王女エルサはずいぶん過酷な幼少期をすごしていたのだと冒頭の描写に驚いた。秀でた能力を持つ少女を人目のつかない場所へ幽閉し、家族との交流すら認めずに、世間から隔離するという後ろ暗い設定はなかなかに強烈である。共同体から魔女のように扱われ、孤立した王女がひとり山奥の城で生きるという重い展開は、才能のある女性の存在を認めず、腫れ物のように扱う社会の歪みである。前作は、才気あふれる女性エルサの自己肯定とシスターフッドを通して解放への道のりを描いたが、今作は、彼女が属する社会が過去にどのような過ちを犯してきたか、その根本へと立ち返る動きが中心となる。こうしたストーリー展開は、ここ数年のアメリカ映画に広く見られる傾向ではないだろうか。
社会が背負った過去の暗部を見直し、問い直す行為は、現在のアメリカ映画におけるひとつの流れだ。アメリカは、歴史のどのポイントでどのように分岐したか。なぜ、いまのような社会に変貌したのか。こうした問いを立てた映画作家は、過去を描くことが多い。ピーター・ファレリー『グリーンブック』('18)やスパイク・リー『ブラック・クランズマン』('18)は、かつて実在した人物や事件を取り上げながら、アメリカ史における差別の実態へ迫ろうとする作品だ。ジェイソン・ライトマン『フロントランナー』('18)やアダム・マッケイ『バイス』('18)もまた、実在の政治家を題材としつつ、アメリカ政治の転換点を探っている。われわれはこれまでどのような道を歩み、いかなる選択を行なったのか。同様にエルサは、アレンデール王国の過去に立ち返り、かつて犯した罪の正体を見きわめようとする。人びとがいままで見ないようにし、忘却しようと封じていた記憶に向き合うことができるのは、かつて共同体からつまはじきにされたエルサだけだ。アーレンデール王国は、かつての罪によって精霊の怒りにふれており、鎮めるには過去を清算しなくてはならない。