『いだてん』取材担当・渡辺直樹インタビュー
前人未到の大河ドラマ『いだてん』はいかにして作られたのか 取材担当者が明かす、完成までの過程
一次資料を掘り起こすところからはじまったドラマ
―― 清水さんの参加はいつ頃ですか?
清水:直樹さんたちが2年以上調べてくれたところから参加しました。レールが敷かれているところにサポートで入った感じです。たとえば、日記が昔のハンドライティングだから読めないという時に、僕がかつて大河ドラマでお付き合いしたことがある先生に、昔の崩し字を読める人を紹介してくれないかと。
―― 『いだてん』の作り方をどう思われましたか?
清水:作り手が直接、同時代や当事者に書かれた一次資料や日記にまで当たるというところまでやっている大河は、ほとんど例がないと思います。大河ドラマにずっと関わってきたのですが、戦国時代や幕末を題材にした作品の場合は、研究者が調べてまとめた論文や書籍などの二次資料を元にやっていくというのが、今までやってきた作り方です。もちろん、『いだてん』は近代が舞台だから可能だったということはありますが、取材チームは資料がないから諦めることはなるべくせずに国会図書館などにコツコツ通って徹底的に調べた。もちろん知識がなければ日記の価値はわからないので、二次資料、三次資料にも当たっていく。その知識があるから一次資料も読めるようになっていくと。だから調べると同時に、常に勉強も必要でした。
――一次資料に当たるということは最初から考えていたのですか?
渡辺:それしか方法がなかったんです(笑)。金栗さんに関しては先日亡くなられた長谷川孝道さんが書かれた『走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝』(熊本日日新聞社)という伝記の他にはほとんど資料がありませんでした。人となりをもっと知りたい、ここで書かれたことの裏を知りたいという時に、日記が地元の熊本の公民館と博物館にあると聞いて。日記がある以上、ここからスタートするしかないと。
清水:本当に歴史作家の仕事ですよね。
――ある意味、 「原作」を自前で作られたわけですよね。二次資料、三次資料を踏まえていないと一次資料は理解できないものでしたか?
渡辺:ものによります。概略をつかんでからじゃないと意味がわからないものはありますが、二次資料や三次資料は著者の解釈が入るので、間違っていることも多いんです。日記や手紙にはその人の手触りがあるので、何も情報を入れずに最初に読んだ方が、空気感が掴めることが多かったですね。個人的には一次資料に一度当たって、そこから二次、三次を読んで、また一次に戻るのがいいと思います。
――時代が現代に近づいてくると、今度は情報の絞り込みが大変だったかと思います。
渡辺:そうなんです。情報量が多すぎても絞り込む時間が膨大にかかってしまう。ロサンゼルスオリンピック(1932年)も大変でした。派遣された選手団の皆さんが書いていた日記がいくつも見つかったんです。何時に起きて、何を食べて、また何時に移動をして……という大会期間中の行動が事細かに分かってしまった。担当した橋本ディレクターが必死でその情報をまとめて、膨大なデイリーシートを全日程1日ごとに作ってくれて、ようやく行動を可視化することができました。手間をかけた分、選手がお互いのことをどう思ってたとか、大横田勉(林遣都)が日に日に体調を悪化させたことなど、実際にあったエピソードを劇中に盛り込めたと思います。
――資料を渡された宮藤さんはどういう反応でしたか?
渡辺:分厚い資料を持って「わー、マジすかーっ」て(笑)。
清水:そう思うよね(笑)。
――嘘がつけないってことですからね。
渡辺:第31回「トップ・オブ・ワールド」の最後に、ロサンゼルスオリンピックで日本泳法を披露したシーンがありますが、あの話は誰も知らなくて、日本水泳連盟の方にも「あんなフィクションやっていいの?」とも言われました。でも、日本水連が出していた雑誌「月刊 水泳」の古い号に、1ページだけ日本泳法の模範演技をしたという記述があったんです。当時のロサンゼルスの新聞にも当たったら、そこにも書かれていた。視聴者の方々が思っている以上に、『いだてん』で描かれているエピソードは史実通りだと思います。
――たとえば、第36回の「がんばれ前畑」で演出の大根仁さんが、史実では前畑がお守りを呑んだのを、劇中では電報の紙を呑むように変えたと聞きました。
渡辺:史実を変えない範囲で起こっていてもおかしくないこと、例えば、紙のお守りを呑んだのだから手紙(電報)を呑んでいてもおかしくないのでは?など、それぞれのケースで迷いつつ、起きた行為を見ている人間(視聴者)に、よりドラマとして伝わりやすくなるための細かいフィクションを入れています。
――そうなると、史実における変えるラインと変えないラインがすごく気になります。
清水:史実を全て忠実に描くことに価値があるかというと、必ずしもそうとは限らないですよね。フィクションって、誇張したり、省略するからこそ伝わることもあるだろうし、すべてを伝えたとしても何が言いたいのかわからなくなるということもある。
ただ、大河ドラマを作ってきた人間として言うと「事実はこうだったけど、こう書き換えちゃった方が面白いよね」という形で作った話と「動かせない事実を枷にして、絞り出すように生み出した話」だと、後者の方がフィクションとして強いということが多いですね。
――現実を超える説得力と面白さが求められるわけですからね。
清水:真相がわからないから、ここは作り事にしようというフィクションと、わからないけど、徹底的に調べてみようと思って書かれたものだと、後者の方が作品として強い。だからこそ宮藤さんは、直樹さんたちが調べてきた史実を尊重されていのだという印象が強いです。
渡辺:「事実を大切にした」という点で言うと、四三の妻となる「スヤ(綾瀬はるか)さんの再婚」の件ですね。あれはどこにも書かれていなかった話なんです。金栗さんが書いたものでも、池部家に養子に入りスヤさんと結婚したという話だけでしたが、宮藤さんと池部家のお墓を見に行った時に、1912年に亡くなっている人がいることに気づいて「この人は誰だろう?」という話になりました。もしかして、池部幾江(大竹しのぶ)には息子(池部重行)がいたのかもと思い、ご家族の方にお会いして伺ったところ、「実は(スヤさんは幾江の息子と結婚していて)再婚らしいです」と教えてくれて。おそらく体を悪くして早くに亡くなられて、スヤさんは後家さんになった。そこに金栗さんが婿入りしたと。ただ非常に話がややこしいじゃないですか。金栗さんとスヤさんは、お見合いだけど恋愛のようだったという関係を想像していたのに、スヤさんは初婚ではなかったわけで。ですが、その時に宮藤さんは「事実だとしたら面白いですね」と言われて。
――「面白さ」を選んだわけですね。
渡辺:当初イメージしていた単純な恋愛結婚にするよりも、そこは史実通りでいきましょうとなりました。ご遺族の方にも「家族としては複雑かもしれませんが、そのまま描かせていただけませんか」とお願いし、ああいう展開となりました。結果、金栗さんとスヤさんの独特な夫婦関係が生まれたのではないかと思っています。
個人の思いを知ることで時代の見え方も変わる
――最後に『いだてん』に参加した感想を教えてください。長い時間を費やしたわけですけれど。
清水:直樹さんにそれを聞くのは、田畑政治に「あなたにとってオリンピックとは何でしたか?」と聞くのと同じものですよ(笑)。
渡辺:この仕事ができたことはとても感謝しています。一つの家族を描くような“小さな物語”を作ることも大好きですが、“大きな物語”を作ることのできる機会や放送枠は、世界中を見渡してもそんなにたくさんはないので。ある意味、日本という国家の大きな物語ですよね。『いだてん』はオリンピックと落語を切り口に、政治から文化に至るまでの今に繋がっている“日本”を横断していくドラマだなと深く感じました。このドラマのために読んだ、日記だったり、手紙だったりから、ささやかな個人の思いを知ることで、僕自身ちょっとだけこの国の見え方や時代の見え方が変化しました。見ている人にとってもそうであったらとても嬉しいなと思います。
――変化したというのは?
渡辺:何を大事にしていったらいいのか?ということですかね。今の時代にも震災が起きて、オリンピックがやってくる。同じように人がどうしたらいいのか悩んでいる時に、シンプルに考えていいんじゃないかと。どんなにいろんなことがあっても、「楽しいことが一番」だと。田畑さんや嘉納さんが言うように。
――「楽しいの? 楽しくないの? オリンピック」に戻るわけですね。清水さんはいかがでしたか?
清水:このタイミングでオリンピックを切り口に近現代史を振り返るという機会は他になかったと思いますので、『いだてん』は時代が作らせた作品なのだと思います。
(取材・文=成馬零一)
■放送情報
『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』
[NHK総合]毎週日曜20:00~20:45
[NHK BSプレミアム]毎週日曜18:00~18:45
[NHK BS4K]毎週日曜9:00~9:45
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺(はなし):ビートたけし
出演:阿部サダヲ、中村勘九郎/綾瀬はるか、麻生久美子、桐谷健太、斎藤工、林遣都/森山未來、神木隆之介、夏帆/リリー・フランキー、薬師丸ひろ子、役所広司
写真提供=NHK
公式サイト:https://www.nhk.or.jp/idaten/r/