チェット・ベイカーの“愚かな魂”の深淵 『マイ・フーリッシュ・ハート』が湛える“音楽そのもの”の魅力

C・ベイカーの“愚かな魂”のぞき込む意欲作

 チェットの心を覆っていた“虚無”とは何だったのか。そして、彼の音楽の中心にある“ブルース”とは、果たして何を意味するのか。その探求はやがて、妻に振るった暴力によって現在別居中どころか、傷害罪で訴えられようとしているルーカス自身の“愚かな魂”と、静かに共鳴してゆくのだった。チェットが奏でる、悪魔的に美しい音楽の調べと共に。それはまさしく、深淵をのぞき込もうとするものが、自らの内面に広がる深い闇に取り込まれていくかのようだった。どこまでがルーカスの現実で、どこからが彼の幻想なのかわからない、不思議な質感を湛えた映像世界。そして、チェットの混乱する内面と激しく共鳴しながら、夜の街を彷徨するルーカスが、その最後に見た光景とは?

 本作の監督を務めたのは、オランダの新鋭、ロルフ・ヴァン・アイクだ。アムステルダムで映画を学んだ彼は、世界的なミュージシャンでありながら、自身がよく知るこのアムステルダムの地で不可解な最期を遂げたチェット・ベイカーという人物に、かねてより大きな興味を持っていたという。その伝記本や数々の記事を読み込むことはもちろん、生前の彼を知る人々に何度もインタビューを試みながら、本作を撮るためのリサーチに、実に3年もの月日を費やしたというヴァン・アイク監督。本作の“ナラティブ”であるルーカス刑事とは、チェットの音楽とその生涯についてはもとより、かの地に生きる者として、その“最期”に何よりも強く惹きつけられた、監督自身の姿を反映したものなのだろう。そう、この映画は、死後30年を経た今もなお、世界中の人々を惹きつけてやまないチェット・ベイカーというミュージシャンの“深淵にあるもの”を、現在に生きる我々の視点によって探求し、フィクションを交えながらそれを再構築しようとする、実に意欲的な作品なのだ。

 それは、本作でチェットを演じているスティーヴ・ウォールが実際に活躍するミュージシャンであり、チェットを意識しつつも、そのくたびれた見た目からは想像のつかないソフトで甘いヴォーカルを自ら披露していることも、大いに関係しているのだろう。アウトテイクに至るまで、膨大な数が残されているチェットの音源をそのまま使用するのではなく、主演のスティーヴ・ウォールが自ら歌い、そのトランペットの音色はルード・ブレールス、ピアノはカレル・ボエリー、ギターはマルティン・ヴァン・デール・グリテンという現在のジャズの第一線で活躍する“オランダ人トリオ”が、映画のなかで実際にチェット・ベイカーの楽曲を奏でているのだ。

 監督も含めた彼らが、それぞれのやりかたでのぞき込み、表現するチェット・ベイカーの“深淵”とは、どんなものなのか。いずれにせよそれは、こちらも思わず見入ってしまい、じっと耳を澄ませてしまうような、抗い難い“音楽そのもの”の魅力を、間違いなく湛えているのだった。そして、映画を観終えたあと、深い余韻と共に、本作の冒頭に置かれたチェットの長いモノローグが、よりいっそう強い説得力をもって、観る者の心に押し迫ってくるのだ。そう、「誰しも問題を抱えている。問題がなくならない限り、ブルースも死なない」──確かに、その通りなのだろう。こうしてチェットの音楽は、かつても今もこれからも、人々の心の奥底にある“愚かな魂”と共鳴し、甘美なハーモニーを奏でてゆくのだろう。

■麦倉正樹
ライター/インタビュアー/編集者。「リアルサウンド」「smart」「サイゾー」「AERA」「CINRA.NET」ほかで、映画、音楽、その他に関するインタビュー/コラム/対談記事を執筆。Twtter

■公開情報
『マイ・フーリッシュ・ハート』
11月8日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
監督・脚本:ロルフ・ヴァン・アイク
出演:スティーヴ・ウォール、ハイス・ナバー、レイモンド・ティリー
配給:ブロードメディア・スタジオ
2018年/オランダ/原題:My Foolish Heart/87分/シネマスコープ/PG12
公式サイト:my-foolish-heart.com

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