『キューブリックに魅せられた男』が映し出す、キューブリックとその作品に人生を捧げた男の生き様
キューブリックが亡くなったのは1999年3月7日。遺作『アイズ ワイド シャット』がアメリカで公開されたのは同年7月16日。日本公開はその2週後。当時、人気絶頂(今も大人気だが)だったトム・クルーズ&ニコール・キッドマン(元)夫妻が予定を大幅に上回る長期間の撮影によって作品に拘束され続けたことでも大きな話題となっていたが、キューブリック死去の第一報と共に届けられたのは「『アイズ ワイド シャット』の撮影も編集も終わっている」という情報だった。我々ファンはキューブリックの死去に悲しみながらも、数ヶ月後に12年ぶりの新作が観られることにワクワクせずにはいられなかった。
しかし、撮影と編集が終わっているからといって、作品がそのままキューブリックの思い描いていた通りに上映されるとは限らない。何しろ、キューブリックは自身の作品の日本語字幕まで詳しくチェックすることで知られていた(『アイズ ワイド シャット』初公開時の日本語字幕は、残念ながらその体制が崩れたタイミングで世に出てしまったようだが)。『キューブリックに魅せられた男』では、キューブリックの死に最も大きなショックを受けていた一人に違いないヴィターリが、周りがその死の余韻の中で大騒ぎをしている中、いかにキューブリックの遺した作品のためだけに全身全霊を捧げていたが克明に描かれている。ヴィターリは確かに情の部分でもキューブリックその人に魅せられていたが、何よりもその作品に魅せられてそこまでの人生を捧げてきたのだ。本作で自分が最も感動したのは、キューブリックが死んでからの彼の行動とその生き方だ。
映画監督に限らず、どんな天才もいつかは死ぬ。そこで残された作品を、我々は当たり前のようにフィジカルで所有したり、ストリーミングで観たり聴いたりしている。映画の場合、特別な上映があれば会場に足を運ぶ。しかし、それが「ちゃんと」残されて、「ちゃんと」届けられるためには、ヴィターリのような、「人」だけではなく「作品」に身を捧げることができる存在が必要なのだということが、本作を観るとよくわかる。彼には感謝しかない。今後もキューブリックの新しい規格のフィジカルが出たら買います。
■宇野維正
映画・音楽ジャーナリスト。「MUSICA」「装苑」「GLOW」「Rolling Stone Japan」などで対談や批評やコラムを連載中。著書『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)、『くるりのこと』(新潮社)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)。最新刊『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア)。Twitter
■公開情報
『キューブリックに魅せられた男』
11月1日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
監督・撮影・編集:トニー・ジエラ
出演:レオン・ヴィターリ、ライアン・オニール、マシュー・モディーン、R・リー・アー メイ、ステラン・スカルスガルド、ダニー・ロイド
配給:オープンセサミ
配給協力:コピアポア・フィルム
2017年/アメリカ/カラー/94分/ビスタサイズ/5.1ch
(c)2017True Studio Media
公式サイト:kubrick2019.com