『エイス・グレード』はSNS時代の『ライ麦畑でつかまえて』? 作品に宿る普遍的なメッセージとは

『エイス・グレード』に宿る普遍性を探る

 J・D・サリンジャーによって書かれた、『ライ麦畑で捕まえて』という伝説的なティーンネイジ小説がある。今ではすっかり社会的文脈がわかりにくくなっているが、ここに描かれたホールデン・コールフィールドという少年は当時としてはまったく「陰気でイケてない」、社会や学校のカーストから落ちこぼれた少年像だったのだ。サリンジャーはついに死ぬまで、どんな大金を積まれてもこの小説の映画化を許可しなかったのだけど、『エイス・グレード』のケイラは映画という言語に翻訳された、21世紀の女の子としてジェンダーリライトされたホールデン・コールフィールドなのだと思う。そして、「ライ麦畑で遊ぶ子供たちが崖の奈落に落ちそうになるとき、僕はその手をつかんで捕まえる、ライ麦畑のキャッチャーになりたい」というあの有名な一節は、 YouTubeというライ麦畑から現れ、下の世代の奈落、SNSの裂け目を知っているボー・バーナムになんと似ているのだろう。

 アメリカはベースボールを続けるだろう。社会に対立性や批判性はあってしかるものだし、この映画の批評的・興行的な大成功をマーケティングして作られたような模倣作に対しては、明日からも批評家のバットがうなりをあげ、観客が腐ったトマトを投げつけるのかもしれない。でもこの『エイス・グレード』という映画に関しては、観客はベースボールを一瞬忘れ、初めてキャッチボールをした、世界とコミュニケーションが成立した日の記憶を呼び起こされて13歳に引き戻されてしまうような映画になっていると思う。そしてもちろん、すべてのベースボールはキャッチボールから始まるし、辛辣な批評や激しい批判はコミュニケーションが支えているのだ。

 映画の中で描かれるケイラと父親のコミュニケーションは、親子と言うよりもまるでそれぞれの時代のホールデン・コールフィールドが、次の世代が崖から落ちないように手をさしのべているかのように見える。それはきっとサリンジャーの時代から、いやもっと前からずっと続いてきた、時を超えた13歳同士のコミュニケーション、ライ麦畑のキャッチボールなのだ。ボー・バーナム監督がサリンジャーが好きかどうかは知らない。でも彼はかつて、きっとケイラくらいの年齢で、どこかの誰かから、あるいは名もない作品のなんということはないシーンから、生まれて初めてボールを受け取ったのではないかと思う。それは続いていく。この映画の中に出てくる数々のSNSの名前は5年もすればたちまち過去のものになるだろうが、この映画に描かれるケイラの悩みは50年後の13歳が見てもきっと自分のことのように受け取ることができる。ジェネレーションZのあとが何という名前で呼ばれようと、人間はいつも0歳で生まれ、やがて生まれて初めて13歳になるのだから。

■CDB
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■公開情報
『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』
9月20日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、シネクイントほか全国順次ロードショー
監督・脚本:ボー・バーナム
出演:エルシー・フィッシャー、ジョシュ・ハミルトン、エミリー・ロビンソン、ジェイク・ライアンほか
音楽:アンナ・メレディス
製作:A24
配給:トランスフォーマー
2018年/アメリカ/英語/93分/原題:Eighth Grade/G/日本語字幕:石田泰子
(c)2018 A24 DISTRIBUTION, LLC
公式サイト:http://www.transformer.co.jp/m/eighthgrade/
公式Twitter:@EighthGrade_JP

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