「平成バラエティ史」を振り返る【後編】ーー時代を味方につけたテレビ東京が主役的存在に躍り出る

テレビ東京が「平成バラエティ」の主役的な存在に

 もう間もなく、「平成」が終わり、新元号「令和」の時代が始まる。90年代後半より放送開始した人気番組『めちゃ×2イケてるッ!』や『SMAP×SMAP』『とんねるずのみなさんのおかげでした』(すべてフジテレビ系)などが、この数年の間で放送終了を迎えたことが象徴するように、このおよそ30年でTV番組、とりわけバラエティ番組は大きく変わったように思える。  

 TVバラエティにとって、平成とは一体どんな時代となったのだろうか。およそ30年にわたる「平成バラエティ」の歴史を社会学者・太田省一氏に振り返ってもらった。ドキュメントバラエティの誕生や、コントとドラマの接近・融合について論じた前編に続き本稿では、その後編をお届けする。(編集部)

バラエティのなかのオタク文化~『アメトーーク!』とタモリ

 昭和の漫才ブームからの流れで定着したフリートーク形式の番組は、平成も健在だった。

 この分野の代表的存在は、いうまでもなく明石家さんまである。『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系、1997年放送開始)や『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ系、2015年放送開始)など、平成を通じてさんまはお笑い芸人、芸能人、素人とあらゆるひとを相手にトーク番組のMCとして活躍し続けた。ボケ、ツッコミ、ノリツッコミ、キャラいじりなど漫才的コミュニケーションの技術を自由自在に駆使しながら、軽快なテンポのトークをさんまは進めていく。

 さんまの番組もそうだが、こうしたフリートーク中心のバラエティで定着したのがひな壇形式の番組である。MCがツッコミ役となって、ひな壇に座る芸人たちのボケやキャラをバランスよく引き出すスタイルである。

 ひな壇トークには、芸人の世界の縮図のようなところがある。現在の芸人にとってひとつのゴールは、さんまなどのようにトーク番組のMC、仕切り役になることである。若手芸人たちは、ゆくゆくはそうなるためにまずひな壇で「爪痕を残す」ことから始め、自らの存在をアピールする。

 そうしたひな壇番組のなかで独自の立ち位置にあるのが、2003年に始まり2006年からレギュラー化されたテレビ朝日『アメトーーク!』と言えるだろう。

 毎回、ある共通項を持つ芸人が「○○芸人」としてひな壇に登場し、司会の雨上がり決死隊とともにフリートークを繰り広げる。共通項となるテーマは、実にさまざまだ。ただなかでも特徴的なのは、「高校野球大好き芸人」や「キングダム芸人」のように、野球観戦や漫画など自分たちの趣味に関するマニアックなトークの頻度が高いことだろう。それは、オタク文化が市民権を得た平成という時代と無関係ではない。

 現在のバラエティにおいて、オタク的な要素は欠かせない。たとえば、『マツコの知らない世界』(TBS系、2011年放送開始)を見れば、毎回のように多彩なマニアが登場して蘊蓄を語っている。MCのマツコ自体、地図や都市再開発のマニアであることは番組でも語っているので有名だろう。

 そうしたなかで、平成になってさらに脚光を浴びる存在になったのがタモリである。元々は昭和時代に「密室芸人」として毒のある知的な芸風でブレイクしたタモリは、いまではむしろ、テレビ朝日『タモリ倶楽部』(1982年放送開始)やNHK『ブラタモリ』(2008年放送開始)を思い出すまでもなく、鉄道や地図・地形のマニアとして存在感を発揮している。オタク文化が浸透した平成において、趣味人・タモリは、若い世代からも憧れ、尊敬される存在になっている。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「国内ドラマシーン分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる