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『義母と娘のブルース』感謝せずにはいられないフィナーレに “愛”に溢れたドラマの軌跡を振り返る

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「私が笑ったら自分が笑った気になるってさ、私が傷つけられたら自分のことみたいに怒るってさ、自分が欲しかったもの全部あげたいってさ、そういうの、そういうのね、世間では愛っていうんだよ」

 ついに最終回を迎えてしまった『義母と娘のブルース』(TBS系)。仕事はできるのにそれ以外となると恐ろしいほど不器用で謙虚で愛らしい亜希子(綾瀬はるか)と、父・良一(竹野内豊)ゆずりの太陽のような朗らかさを持ったみゆき(上白石萌歌)の日常をまだまだ見守っていきたかった。そして大樹(井之脇海)とみゆきが新たな家族を作っていくところを、そして麦田章(佐藤健)率いる『麦田ベーカリー』が第二のキムタヤになるところを……何年でも見届けたかった。彼らが笑ったら私たちも頬がゆるみ、彼が涙を流せば私たちも目頭が熱くなる、そんな私たちはみゆきの言葉を借りるなら、すっかりこのドラマを愛していることになるのだろう。愛に溢れたドラマは、私たちの中に空いた心の穴を埋めてくれる。そんな作品に巡り会えた小さな奇跡に、感謝せずにはいられないフィナーレだった。

愛なのか、エゴなのか

 亜希子が自分を育てるためにキャリアも、愛のある結婚も諦めたのだと思い込んでいたみゆき。章との恋愛がうまくいけばいいと願ったのも、亜希子が自分のせいで手に入らなかった幸せを、取り戻してほしいと考えてのこと。だが、亜希子と良一の間には確かな愛があったことを知らされると、今度はキャリアを再び手にしてほしいと躍起になる。大手コンサルティング会社からのスカウトを受け入れられるように、大学受験をわざと失敗するという強硬手段に出たのだ。全ての大学に落ちれば、就職するしかなくなるという魂胆。だが、その作戦を実行する前に第1志望の大学に合格しており、その通知が亜希子のもとに届いてしまう痛恨のミスをしてしまう。そんなツメの甘さもみゆきらしい一面だが、亜希子は怒り心頭。甘やかしてあげたいという亜希子と、負担になりたくないというみゆき。お互いの幸せを願うほどに、想いはすれ違う。そして、全ての受験が終わると、ふたりはテーブルを挟み相対して座り、本音でぶつかり合うのだった。

 亜希子は、自分の心の穴を埋めるために、エゴのためにみゆきの母親になるという提案にのったこと。みゆきを育てることで、親を早くに亡くし、満たされなかった自分自身を育て直していたのだと包み隠さず話す。親が子にしてあげたいことも、子が親にしてあげたいことも、“相手のため”と言いながら、その本質は“自分のため”だったりする。自分がしてあげたいからしているのだ、と自覚しているからこそ、亜希子は「エゴ」という言葉を使ったのだ。家庭に対して自己犠牲的ではなく、自分の手で自分の人生を選んでいる、という強さ。その意気込みが今の時代を強く生きる母親像を感じさせる。

 「だから恩義を感じる必要はない」。そう言い切る亜希子に、みゆきは「それを愛っていうんだよ」と抱きしめる。その姿に良一の葬式で初めて「お母さん」と呼んで涙を流し、亜希子に抱きしめられた小さな女の子のみゆきが、いつの間にか亜希子の自由を願う大人の女性へと成長していたのだと感じる。第1話でみゆきに名刺を差し出した亜希子と、最終話で亜希子に名刺を差し出すみゆきが重なるように。良一から愛をもらった亜希子は、その愛をみゆきに渡し、そして今度はみゆきが亜希子に返したいと願う。きっと、家族というものは血のつながり以上に、そんな愛のリレーでできているのだろう。

      

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