「ありがとう」の声続出 『半分、青い。』鈴愛を支え続けた仙吉の立派な人生を振り返る
猪突猛進。わが道を行く鈴愛ももちろん1人の人間で、怒涛の人生の中で何度も壁にぶつかってきた。一度止まってしまうと、これまでの歩き方を忘れてしまったのかのように動けなくなる鈴愛。そんな彼女のために、仙吉はいつも道標になって優しく語りかける。
仙吉の言葉は、朝の準備で慌ただしい視聴者の目頭をしばしば熱くさせる。確かに鈴愛は自分勝手な一面があり、端から観ていると苛立ちを覚えてしまうのも否めない性格だ。ただ、ドラマだから客観視できているだけで、ふと考えてみると、鈴愛の失敗やつまずきは、誰しもにありえることのようにも思える。
例えば記憶に新しいところでいうと、第117話。鈴愛は漫画家であった自分を黒歴史化し、娘のかんちゃん(山崎莉里那)に絵を描くことができなくなっていた。生きていれば誰しも、当時は一生懸命取り組んでいたはずなのに、結末が美しくなかったゆえに、大切な過去を葬りたくなることもある。
過去と向き合うことを拒絶する鈴愛に対し、仙吉は「人間っちゅうのは、大人になんかならへんぞ。ずっと子供のままや。競争したら勝ちたいし、人には好かれたいし、お金は……欲しい(笑)」と声を掛ける。
周りの人たちが成長していくのに、自分だけ置いてけぼりを食らっているような気持ちになることがある。そんな時、自分の要領や出来の悪さを責めてしまう。そこから脱却する簡単な方法は、失敗した過去を侮蔑することによって、現在の自分を上げ、まるで自分が成長したかのように錯覚させるということだ。大口を叩いて飛び出した夢が、がらがらと崩れていく鈴愛の心にも、同じような現象が起きていたと考える。
ただ、鈴愛が漫画家をやめていなければ、仙吉の五平餅は受け継がれなかったかも知れないし、かんちゃんもこの世に存在していなかった可能性すらある。目を背けたくなる失敗が、必ずしも無駄だったということはない。記憶というのは図太く、忘れたいことほど残るため、完全に葬ることはできない。だからこそ、仙吉は100点満点でない人生を丸ごと認める方を選んだ。
「忘れたらあかん!」。甘やかしているようにも見えるかも知れないが、梟会という愛あるツッコミを入れてくれる友人たちが鈴愛にはいるのだから、仙吉の役割はこれで大正解だったと思う。生きていれば必ず苦しいことが降りかかるのだから、仙吉さんのような何でも受け止めてくれる人がいたっていいじゃないか。
「大丈夫だ」。鈴愛が漫画家をやめることを電話で仙吉に告げた際も、驚くことなく当然のことのように事態を飲んだ。こらえきれぬ涙を溢れさせながら話す鈴愛に、仙吉は自身の戦争体験を交え、人間の強さを説く。捕まると捕虜になる環境で、現地の人にかくまってもらい、穴ぐらに隠れて2週間ほど過ごした過去を打ち明けた仙吉。彼の当時の唯一楽しみは、太陽の加減で穴ぐらに光が差し込む1日のうちのたった15分の時間だった。「15分光が差すだけで、人はそれを楽しみに生きていける」「鈴愛、どうにでもなるぞ。大丈夫だってことや。人間は強いぞ」。