渡海は日曜劇場に“メス”を入れたか? 『ブラックペアン』に見る新たなヒーロー像

『ブラックペアン』に見る新たなヒーロー像

 いつだってヒーローは最後には勝利を手にしてくれるものだ。めくるめく逆転劇に胸を熱くするような、いわゆる“水戸黄門的プロット”は『半沢直樹』以降、『下町ロケット』『小さな巨人』『陸王』といった日曜劇場作品の持ち味として好評を博してきた。そして、現在放送中の『ブラックペアン』においてもそうした展開が魅力の一つであるとしばしば評される。しかし、『ブラックペアン』における渡海征司郎(二宮和也)は、半沢以来のヒーローの描かれ方とはどことなく異なる側面が見受けられる。以下、3つの視点から本作の特徴を考察していこう。

1. 壁がない

 『半沢直樹』の半沢直樹(堺雅人)、『小さな巨人』の香坂真一郎(長谷川博己)、『陸王』の宮沢紘一(役所広司)らは、作中で大きな壁や困難に直面する。しかも、嫌味で狡猾な敵やライバルも主人公の前に立ちはだかる。もちろん視聴者の中では、「最後の最後には主人公が勝つ」という暗黙の想定がある。それにも関わらず、話が進むにつれてどんどんヒーローは窮地に追い込まれていき、「ひょっとしたら負けてしまうのではないか?」というハラハラ感に襲われていく。ところが、21時43分辺りから怒涛の巻き返しが繰り広げられ、大きな爽快感や達成感を味わってエンディングを迎える。

 確かに、『ブラックペアン』においてもそうした流れを感じ取ることができるかもしれない。成功しそうにないオペを見せられた後に、颯爽と渡海が現れ巧みなテクニックを発揮して、最後には無事患者を救い出すという点においては。しかし本作では、実際のオペまでに、あるいはオペの最中に壁に直面するのは、高階(小泉孝太郎)や、世良(竹内涼真)や、黒崎(橋本さとし)らであって、渡海本人ではない。西崎(市川猿之助)ら帝華大学の面々が立ちはだかるも、あくまで世良たちにとっての敵役に過ぎず、渡海は端からライバルだとは思っていない。唯一、佐伯(内野聖陽)は、渡海の父・一郎(辻萬長)と過去に何らかの確執があったと思われるが故に、位置づけとしては、渡海の敵役とみなせるかもしれない。しかし、渡海を見ている限り、半沢や宮沢たちとは違って、敵を前に苦悶するというよりはむしろ、「俺はこいつを倒せる」というどこか余裕に似た雰囲気を醸し出しており、実際、第9話の最終シーンでは、渡海が佐伯に何かを呟いて、佐伯の表情をわずかに変えさせる一幕があった。

 では、そんな完全無欠の渡海ではキャラクターとしての深みに欠けるのではと思ってしまうかもしれない。完璧なヒーローが何事もなく完璧にオペを終える。しかし、実際の渡海は裏ではオペまでに綿密な計画を練っている場面がしばしばある。スナイプやカエサルの説明書を読み込んでいたり、患者に関するデータを取り寄せて、他の医者たちが見落としている重大な点を見つけていたりと、決して“ノー勉”で手術に望んでいるわけではない(当たり前だけれど)。渡海のこうした影の努力がところどころで映されるも、表立ってはアピールしないところにクールな天才外科医の格好よさが滲み出る。

2. オーソドックスな勧善懲悪ではない

 黄門様が印籠を出して、周りの者が「ははぁ」とひれ伏す。オーソドックスでありながら、ロングセラーであり続けるこの話型は確かに魅力的であり、いつの時代も多くのファンを引きつける。初めはてっきり、“メスVS.最新医療機器”という対立を作品の根底に置いて進められていくのかと勘違いしていたが、全く違った。確かに、渡海自身、スナイプのことをおもちゃ呼ばわりしたり、「メスのほうが100倍楽」なんて言っているように、どちらかと言えば“メス派”に近い医者のように見受けられる。しかし、第9話までに、渡海がなんだかんだで、スナイプやカエサルを使うオペが何度もあった。西崎は、これからはメスの時代ではなくなると豪語しているが、渡海はメスと機器、どっちがいいとかいった考えはないのであろう。メスにはメスにしかできないことがあると思っていると同時に、最新機器だからこそ為せる業というのにもある程度の理解は示しているのだ。メスはいい、機器は不完全だという構図には走らず、「カエサルであれなんであれ、それが本当に人を救えるのか?」という一点こそが、渡海が問題とすることなのだ。渡海は毎話で人間と機器のふさわしい付き合い方を視聴者に示してくれた。

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