監督が運転するタクシー“ソン・ガンホ”に乗り光州事件を追体験 『タクシー運転手』の普遍的な希望

『タクシー運転手』が描く普遍的な希望

 『タクシー運転手 〜約束は海を越えて〜』(17年)は素晴らしい作品だと思う。本作を手掛けたチャン・フン監督は、すでに『義兄弟 SECRET REUNION』(10年)『高地戦』(11年)といった快作を手掛けているが、ここにきてさらに進化し、新たな傑作を生みだした。

 1980年5月の韓国。タクシー運転手を営むマンソプ(ソン・ガンホ)は、とある儲け話を耳にする。「ドイツ人をソウルから光州まで連れて行けば、大金がもらえるらしい」マンソプは困窮しており、幼い娘にも苦労をかけていた。こんなおいしい話はないと、ドイツ人のピーター(トーマス・クレッチマン)を連れ、鮮やかな緑のタクシーで光州へ向かう。しかし、政府が情報統制をかけていたため、マンソプは知らなかった。彼らが向かう光州は、民主化を求めるデモ隊と、それを鎮圧しようとする軍隊によって、戦場になっていることを。

 本作は「光州事件」という実際にあった歴史的悲劇を題材にした映画だ。この事件は韓国が抱えるトラウマであり、手を出す以上、中途半端は決して許されない。しかし、本作はそんな難しい題材を多くの人が共感できる人間ドラマとして見事に映画化している。これは俳優たちの確かな演技力と、監督を務めたチャン・フンの力だ。

 いわゆる人間ドラマでは、観客に虚構のキャラクターを「自分と同じ人間だ」と認識させる必要がある。チャン・フン監督はその点が抜群に巧い。本作でいえば、たとえば食事の扱い。物語が劇的な展開を迎える前、「このソン・ガンホは貴方と同じ人間なのですよ」と示すかのように、必ず食事のシーンが入る。人種・性別・言葉・思想・文化の違いはあっても、必ず食事はするもの。この人として当然の行為の強調だけでも、ぐっとキャラクターへの親近感が強くなる。また、ソン・ガンホの猫背気味の姿勢も重要だ。これは過去作でも確認できるガンホの定番である(このガンホ猫背を見慣れているせいか、姿勢を正したガンホを見ると「シュッとしている!」とビックリする)。脚本上、序盤はほぼガンホの一人舞台と言ってもよい構成になっており、ここでのガンホの一挙手一投足が、やがて観客の意識を「自分と同じ人間」から、さらに踏み込んだ「私は今、ソン・ガンホだ」まで持って行ってしまう。観客は当事者の目線となって、中盤以降、すなわち光州事件へ投げ込まれるのだ。

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