『レディ・プレイヤー1』は見る「LOVE PHANTOM」? 完璧を求めてしまう夢の映画

加藤よしきの『レディ・プレイヤー1』評

 B'zの代表曲「LOVE PHANTOM」は、失恋の歌である。ある男が理想的な女と出会う。しかし、なまじ自分の理想通りだったせいで、男は女に更なる理想を求め、やがて男の想いは女の重荷となり、恋は終わる。そして男は彼女ではなく “完璧な愛の幻想”を追っていたと気づくのだった……。『レディ・プレイヤー1』(18年)鑑賞後、私は「LOVE PHANTOM」に行きついた。

 生きる伝説スティーヴン・スピルバーグが手掛けた本作は、「映画の世界に飛び込もう!」を地で行くもの。物語の舞台は超巨大仮想現実空間「オアシス」。そこでは好きな現実とは異なる姿、いわゆるアバターで生きることができる。そしてオアシスの開発者が「三つの試練をクリアした者に、56兆円の遺産と、この世界の所有権を譲る」と遺言を残したことにより、ゲーマーたちの熾烈な戦いが幕を開ける。仮想現実空間という設定を最大限に活かし、本作には“現実”の人気キャラクターが多数参戦している。キティちゃんやロボコップがその辺を歩き、ガンダムが戦う横で、アイアン・ジャイアントが戦う。いわゆる大人の事情が一目で吹き飛ぶシーンが連発する。それは普段から「もしケンシロウがデス・スターに入り込んだら?」と空想する私には、夢そのもの。そして同時に、強烈に妄想を刺激される光景だった。こういう世界が実在したら、自分ならどうする? 何のアバターで行く? やっぱり『丑三つの村』(83年)アバターか? 絶対に見ることはないと思っていた光景を、実際に見てしまった。まさに夢を見ているような幸せな時間だ。

 その一方で、冷静になる部分もあった。特に劇中の「現実」での物語には乗り切れなかった。広大なスラム街のビジュアルは見事だったが、主人公たちの物語に注目すると、納得のいかない部分が多いように思う。特に結末の画は決定的だ。語られるメッセージは良いとして、あの画には鬱屈した感情を覚えた。しかし、それから数日間、私は考えに考えていた。理想の映画だったのに、なぜ最後にあんなことに? 何か意図があるのでは? スピルバーグとの一方通行な心理戦を『喧嘩稼業』くらい繰り広げ、やがて気がついた。なぜ私はここまで必死に『レディ・プレイヤー1』の全てを好きになろうとしているのか? なぜ私にとって完璧な映画になってほしいと、ここまで強く願っているのか? そして思い至ったのが「LOVE PHANTOM」である。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる