2017年版『オリエント急行殺人事件』は観客を未知の世界へと誘うーーケネス・ブラナーの新解釈

小野寺系の『オリエント急行殺人事件』評

 ケネス・ブラナーは、嫌味なほどに自信家なポアロ探偵を、まずは定石通り、厳格かつユーモラスに演じている。特徴的なのは、事件がなかなか解決できない焦りと不安から、かつて愛した女性の写真を見つめながら弱音を吐く場面である。そこにいるのは、まさに「生きるべきか死ぬべきか」と煩悶する、シェイクスピア悲劇『ハムレット』のような、悩めるポアロ像である。

 また、容疑者を一堂に集めて謎解きをするお決まりのシーンでは、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』をモチーフにした構図を作るという冒険を見せている。『最後の晩餐』は、舞台で役者たちが並ぶように、キリストを中心に使徒たちを横並びに描いている。それはダ・ヴィンチが、舞台を意識した「劇的な印象」を鑑賞者に与えることを狙ったものだ。そしてそれは、舞台俳優出身のケネス・ブラナー自身のねらいにも重なっているだろう。

 本作でポアロは、「この世には善と悪しかない、その中間はあり得ない」と言った。それはキリスト教における厳格な二元論を基にした考え方だ。朝食の卵のサイズの違いや、片足の靴でフンを踏んでしまったため、もう片方も踏まないと気が済まないという、病的なまでに「片方」や「中間」という曖昧さを忌避し、それが自身の哲学であったポアロは、この事件によって、初めて単純な悪ではない犯人と対峙することになる。「裁くべきか、裁かざるべきか、それが問題だ」と、おそらくは心の内で思い悩んだ「ハムレット・ポアロ」は、果たしてどちらを選択するのか。この葛藤の醸成というのは、『LOGAN/ローガン』や『ブレードランナー 2049』を手がけた脚本家、マイケル・グリーンの手腕によるものであろう。

 こうやって新たに創造した新しいポアロは、そのセリフのなかで傲岸不遜にも神と自分を重ねながら、じつは子羊のように心の内で助けを求める、おそらくはシリーズの映像化作品のなかで最も弱い、等身大の人間として描かれている。私にはその姿が、原作にすらないエモーショナルでセクシーな、新しいキャラクターと物語の解釈だと映った。同じ楽譜を使ったクラシック曲が、時代を超えた様々な指揮者によって全く違う意味が与えられていくように、脚本や演技、演出によって、映像作品も全く違うものに変貌を遂げることができる。われわれが乗った列車は、紛れもなく「オリエント急行」だったが、その行先は未だに見たことのない世界だったのだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『オリエント急行殺人事件』
全国公開中
監督:ケネス・ブラナー
出演:ケネス・ブラナー、ジョニー・デップ、ミシェル・ファイファー、デイジー・リドリー、ジュディ・デンチ、ペネロペ・クルス
配給:20世紀フォックス映画
(c)2017Twentieth Century Fox Film Corporation
公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/orient-movie/

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