『マイティ・ソー バトルロイヤル』はマーベル映画にとって危険な存在に? 路線変更の背景を考察
『マイティ・ソー バトルロイヤル』は、これまでの『マイティ・ソー』前2作とは大きく異なり、ギャグと肉弾バトルが大幅に増量し、それらが隙間なく速いテンポで繰り返される凄まじい作品になっていた。しかもそれは、同じようにテンポの速い、J・J・エイブラムス監督の演出のように、ドラマが途切れないような造りになっているわけではなく、単純に目まぐるしいのである。
少しでもチャンスがあれば笑わせようとしてくるし、シリアスに描写するようなシーンまでギャグとして消費してしまう。というのも、本作の監督は、コメディー作品で演出のキャリアを積んだタイカ・ワイティティなのである。スタジオの側が、はじめからコメディー作品を期待していたのだ。
確かにいちいち笑ってしまうが、なぜ本作は路線を変更し、このようなコメディー・アクション映画に生まれ変わったのだろうか。ここでは本作の内容や、その背景を基に理由を考えながら、今後のマーベル・ヒーロー映画の未来について、じっくりと考えていきたい。
本作とは真逆に、政治サスペンスとしての見どころを持ったマーベル映画が、『キャプテン・アメリカ』の2、3作目である『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(2014)、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)だった。キャプテン・アメリカのシリーズとはいいながら、「アベンジャーズ」の面々が登場してぶつかり合う3作目は、2018年に公開予定の『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』に先駆けた、実質的には『アベンジャーズ』の新作といえる内容だった。
しかし、その『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』には、アベンジャーズのなかでも重要な存在だった、雷神ヒーローの「マイティ・ソー」、そして緑色の巨大な超人「ハルク」は登場していなかった。「あれ? ソーやハルクって、なんで出てこないんだっけ?」と思った観客も多かったはずだ。
こんなことを書いている私自身も、そのときは記憶の彼方にあったのだが、『アベンジャーズ』シリーズの2作目『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(2015)において、ソーはインフィニティ・ストーンといわれるアイテムの謎と、それを取り巻く陰謀を独自に暴くため、チームに別れを告げており、ハルクは自分の暴走によって地球の人々を危険にさらしたことに絶望し、独りきりであてもなく宇宙に旅立っていたのだった…。それまでの間、この二人の人気ヒーローは、本格的にはマーベル映画で活躍していなかったし、アベンジャーズを二分する重大な事件から蚊帳の外に置かれていたのである。
だが『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』にソーとハルクが登場しないという設定は、監督を務めたルッソ兄弟にとっては好都合だったのかもしれない。マーベル映画にリアルな政治性をもたらした彼らのドラマのなかでは、アベンジャーズのなかでも荒唐無稽なまでに圧倒的なパワーを持ったソーとハルクは、手に余るヒーローだったように思える。
そうやってアベンジャーズがシリアス化していったのであれば、この離脱組を再び合流させるまでにどう扱うのか。その答えが、「リミッターを解放して楽しくやらせよう」という、いったん政治的な方向に舵を切ったマーベル映画の作風を補完する存在にさせる発想である。本作『マイティ・ソー バトルロイヤル』は、よりシリアスな内容の原作『マイティ・ソー ラグナロク』や『プラネット・ハルク』を基にしながらも、ギャグを楽しむ作品に改変したのだ。
神であり王子という立場から、ローマ時代のグラディエーター(剣闘士)のような、人権すら剥奪された奴隷の地位にまで転落する、本作のソー。自分の国であるアスガルドは占領され、身内の死を経験し、おまけに恋人も去ってしまった(本作にナタリー・ポートマンは出演していない)。その悲壮感は、ギャグがいちいち差し挟まれることによって限りなく緩和され、あたかもそれらの不幸は、トーストを床に落としたらジャムを塗った面が床についてしまったくらいの気軽な不幸にすら感じてしまう。しかも、主演のクリス・ヘムズワースは体重を増加させトレーニングに励んだことで、これまでにないムキムキな身体を披露している。
そういうバランスになった背景には、前作『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』の雰囲気が少しシリアス過ぎたという反動もあったはずである。本作の冒頭では、前作の感動的な描写を、劇中劇によって茶化しているシーンすらある。それは、「今回はシリアスなシーンは全部ぶっ壊していくよ」という宣言に思える。
さらにもうひとつの理由としては、コメディーの要素が強い『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ売り上げの好調という結果もあったはずだ。本作とは、キャラクター同士がイチャイチャと掛け合いをするという魅力を最重視しているということでも共通している。そのような軽さと、コメディー作品に改変するという目論見は、本作が全米の週間興行収入ランキングで圧倒的な差の1位を獲得したことで、確かに図に当たったといえるだろう。