『猿の惑星:聖戦記』に溢れる武論尊ヴァイブス! 猿たちが見せる男気と哀しみ
これほどまでに「原作・武論尊(もしくは史村 翔)」をクレジットで探したハリウッド映画があったでしょうか。こんなトコにいるはずもないのに。それほどまでに本作の武論尊レベルは高いです。断言しましょう。今アラサー/アラフォーの人にとって、2017年10月現在の映画館で最も武論尊を感じられるのは本作です。あの武論尊のヴァイブスを感じたい人は劇場へGO! 本作から入っても楽しめますが、もちろん『創世記(11年)』『新世紀(14年)』を通して観てから行くと、魅力は倍増です。
勝手に盛り上がってしまいましたが、武論尊って誰だと思っている人も多いでしょう。と言うか、そもそも「武論尊」の読み方も分からないかもしれません(「ぶろんそん」と読みます)。映画のレビューに入る前に、まず武論尊の説明をしなければならないでしょう。武論尊は漫画原作者です。代表作は原哲夫と組んだ『北斗の拳』、池上遼一と組んだ『サンクチュアリ』などでしょうか。少年誌・青年誌の両方で時代を牽引した、まさに日本漫画界の生ける伝説です。
そんな武論尊先生が得意とするのは、男たちがぶつかり合う熱気全開のドラマティックなアクションもの。超カッコイイ男がたくさん出てきて、超カッコイイことを言いながら、超カッコイイことをして、超カッコよく死んでいく……そんな感じです。『北斗の拳』はその代表格でしょう。時には1話中で【新キャラが登場】→【そのキャラが男気を発揮して死亡】という、前述のサイクルを脅威の速度で見せてしまいます。
また武論尊の特徴として「悪玉を善玉に転調させるのが異様に上手い」という点もあります。この転調の際に武論尊が多用するのが「哀しみ」です。『北斗の拳』で言えば、子どもたちにピラミッドを作らせていたのに、色々あって哀しい過去を語りだし、最後は愛に餓えた男としてドラマティックに散った聖帝サウザー。青年誌での代表作『サンクチュアリ』にもそういうキャラクターは大勢いました。中でも武闘派ヤクザの渡海さんは有名です。超トラブルメイカーとして登場したのに、突如として主人公の下につくことを宣言し、頼れる兄貴分へジョブ・チェンジ。さらに運命に翻弄される中で、不器用で哀しい男となっていきました。悪玉に哀しみを背負わせること、そして登場時のキャラ性とは真逆の行動をさせることで、キャラクターに深みを持たせる。いわば意図的なキャラブレです。「このキャラはこうだから、こう動く」ではなく、「こう動くから、このキャラはこうなんだ」という発想で、キャラに深みを持たせるのです。