前代未聞の『ブレードランナー』フェスはなぜ開催可能に? 仕掛け人が語る、その全貌

『BRFF』仕掛け人インタビュー

 今へと続くシネコンブームの火付け役となり、川崎で愛され続け今年30周年を迎えた「チネチッタ」。同シネコンを含む商業施設「ラ チッタデッラ」やライブホール「クラブチッタ」などを運営するチッタグループが、このたび、今秋最大の注目作『ブレードランナー 2049』の公開を記念して前代未聞のファン・イベントを仕掛ける。『ブレードランナー・ファン・フェスティバル』(以下BRFF)と銘打たれた本イベントは、世界的に熱狂的なマニアを持つSF映画の金字塔『ブレードランナー』のファンから、まだ『ブレードランナー』未体験の映画ファンにまで開かれた一大特別企画。今回のイベントの仕掛人である株式会社 チッタ エンタテイメント、代表取締役社長の美須アレッサンドロ氏と、同社常務取締役プロモーション本部長の土岐一利氏に登場してもらい、その全貌を聞いた。

前例のない中、シネコンに舵を切れた理由

――まず、BRFFの話に入る前に、チネチッタは今年30周年を迎えました。振り返ってみて、どんなことが思い起こされるでしょう?

美須アレッサンドロ(以下、美須):チネチッタが誕生して30周年というのも大きいのですが、社内的にはチネチッタをさらに進化させる形で作り上げた商業施設「ラ チッタデッラ」も開業から15周年ということで、2つの大きな節目を無事に迎えられたことにほっとしています。日本最初のシネコンというのは諸説あって(笑)いまだはっきりしませんが、チネチッタが誕生した当時は、ワンフロアに5つ以上あるのがシネコンと定義されていたんです。

――その定義も今となっては曖昧ですよね。2フロア、3フロアに分かれているところもありますから。

美須:となると、もうチネチッタが最初のシネコンといってもいいのかなと…(笑)。いずれにせよ、まだシネコンが日本になかった時代、今の会長がよく決断して、その方向に舵を切ったなと感じています。シネコンにしていなかったら今ごろ、相当苦労していただろうなと想像します。おかげさまで地元のみなさんに、それこそ2世代、3世代と愛される劇場になってきているのがうれしいですね。 

美須アレッサンドロ氏

――前例のない中、シネコンに舵を切れた理由は?

美須:創業者である僕の曽祖父がそもそも、「映画のデパートを作る」という言葉を残していたんです。その理念があったからこそだと思います。

――その30周年という記念すべき年に「BRFF」という一大イベントを組むことになりました。どのように企画は立ち上がったのでしょう?

美須:まず、私自身が『ブレードランナー』のファンでした。それで会社でほかの社員と話していると、自然と川崎の話になり、まあ京浜工業地帯が出てきたりして、するとあそこは『ブレードランナー』のモチーフになった噂の場所だよね、なんて会話に時折なっていたんです。それがずっと頭に残っていて、いつか『ブレードランナー』に絡んだスペシャル企画ができないかなとずっと思っていました。そしたら今回、35年ぶりの新作『ブレードランナー  2049』が公開になるとの情報が入ってきて。これは何かやりたいなと。それでイベントのボスである彼にまず話を持っていったのが始まりです。

土岐一利氏

土岐一利(以下、土岐):僕自身も『ブレードランナー』の大ファン。ただ、ファンゆえに『ブレードランナー』は名画座的なイベントでさえも上映が難しい映画であることを知っていました。ですから正直、社長から話を受けたときはうれしかった反面、“これはハードルの高い案件が来たな”、と(苦笑)。でも、舞台のロサンゼルスの近未来の風景は川崎臨海部がモチーフになっていると都市伝説的に語られていたので、たとえばその場所で『ブレードランナー』のイベントできたらもう“最高”だなと考えまして、もうここは腹を括って、やるだけやってみようと、ダメ元で企画書を書き始めました。そして、最終的に二転三転というか、もう五転六転ぐらいして(笑)。ようやく実現にこぎつけたのが今回の『BRFF』です。

美須:実現したのはある意味、奇跡ですね。本当に関係者の皆様にご尽力いただいたことに感謝しています。

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