『過保護のカホコ』急展開の9話に賛否両論? 視聴者がドラマに求める“リアリティ”とは
『過保護のカホコ』は、カホコ(高畑充希)という過保護に育てられたヒロインが、大学で知り合った麦野初(竹内涼真)に出会って、徐々に変化していく姿を描いたドラマである。
その中でカホコが、母親の泉(黒木瞳)の呪縛からどう解放していくのかが重要だと思われるが、そのためには泉自身も同時に変わっていかなくてはならない。
しかし、ドラマは終盤の8話に入ってカホコと初が結婚の意志を固めても、「本気で反対させてもらうから」と、泉が変わったきざしが見られない。それをどう最終回までに収拾していくかがドラマの終盤のテーマになるかと思われた。
9話では、どうやらその鍵はカホコの祖母の初代(三田佳子)にあり、彼女が病に倒れたことで、泉やカホコだけでなく、バラバラで問題を抱えまくっていたカホコの叔母たち、そして初代の夫である福士(西岡徳馬)までもを一気に変えていく。
特に、福士が初代の死に際して、なにもできずオロオロするしかなく、縁側で子供のように体育座りをしていたと思ったら、おもむろに庭いじりを始めようとしていたシーンは、決していい話ではないが、福士の感情がそのままに出ていてぐっとくる。その後、カホコの導きによって、初代への感謝が伝えられたというシーンでは、その場にいた家族の気持ちを「生きているうちにちゃんと伝えなきゃ」と変えたシーンは、感動を呼んだとも思う。
また、初代が大事にしていた宝物である泉たち三人姉妹の思い出の品を見せ、そして初代の「母親としてちゃんとやってこれたかしら」と涙ながらに訴えるシーンで、ギスギスしていた三姉妹の気持ちを変えたというシーンもあった。
9話で一番大事だと思われたのが、初代の言う「その愛に自由があるかどうかよ、カホコから考えることを奪わないでね」というセリフだ。それは、このドラマの初回からずっと描かれていたテーマだ。カホコは一話から、就職の面接の予行演習を泉と一緒にしているときでも、「そこはこうしたらいいんじゃない?」と、先回りして泉がカホコの思考を奪ってきたことが描かれていた。
だからこそ、カホコは世間知らずで、その「自分で考えること」を、初を好きになったことによって取り戻す。なぜなら、誰かを好きになることは、第三者の考えで動くことが少なく、「自分で考えること」に繋がりやすいからだ。
それは話の筋として、決してモヤモヤするものではない。しかし、最終回に向けて、初代の死に直面し彼女のセリフによって、一気に解決してしまいすぎではないかと思ってしまうのはなぜなのだろうか。
母親が過保護になりすぎることは、昨今では毒親問題として多く語られるテーマであるし、このドラマもそんな世の中の風潮に焦点を当てたものであると思われる。最近では、NHK『お母さん、娘をやめていいですか?』でも描かれたテーマである。
しかし、こうした問題は、10話程度のドラマで、最終話に向かって順調に解決させていくということ自体が難しいものであるとも思われる。この『過保護のカホコ』では、初代の死に際して家族というものの大切さにそれぞれが気づくということに向かっているが、そこは実際に毒親と対峙している人にとっては、リアリティのないものに映ることもあるだろう。
もっとも、9話の展開は、ネットでは概ね好評なようで、感動して涙したという意見も多く見られた。反対に、この展開を「ご都合主義」と指摘したネットニュースに対しても賛同の声は多かったようである。それは、意外な展開を脚本の遊川氏に求めすぎなのだろうか。それとも、ドラマが何かを終わらせるために全力で動いていることに我々視聴者が繊細になっているからなのだろうか。