成馬零一の直球ドラマ評論
『べっぴんさん』最終週はなぜ“迷走”したのか? 意欲作が浮き彫りにした朝ドラの問題点
先週、最終回を迎えた連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『べっぴんさん』(NHK)。残り一か月を切った時点では、坂東すみれ(芳根京子)たちキアリスの面々たちの姿と、娘のさくら(井頭愛海)たちの青春を対比させることで、戦前と戦後の女性の生き方を描いた傑作となるのではないかと期待していた。しかし最終的には、無残な崩れ方をしてしまったように思う。(参考:朝ドラの定型を崩してきた『べっぴんさん』、残り一ヶ月でどうなる?)
時代は1970年となり日本は大阪万博で沸き立っていた。高度経済成長は頂点を迎え、戦後の貧しさを克服した日本の象徴として万博のステージに立つ、若者向けファッションブランド「エイス」の社長・岩佐栄輔(松下優也)。一方、総合商社「KADOSHO」の社長・古門充信(西岡徳馬)が大ボス的なたたずまいで登場する。古門社長は高度経済成長の暗黒面を体現する資本主義の権化とでも言うような存在として栄輔を支援する。しかし、オイルショックで景気が傾くと融資を引き下げてしまい、栄輔の会社は倒産。時代の寵児は一気に転落してしまう。
一方、キアリスは、開発宣伝部長となった村田健太郎(古川雄輝)が経営規模を拡大したことでキアリスらしさを見失っていく。不況となり、売り上げが下がる中、古門社長の悪魔の囁きが健太郎の心を揺るがす。この、キアリスVS古門社長という展開は面白い構図を作り出したと思う。しかし、残念ながらここから物語は迷走。
なぜか映画を作ろうとキアリスの面々が言い出し、さくらの娘・藍を主演にした赤ん坊の映画を撮り始めるのだが、「これは何の話なんだ?」と頭を抱えてしまった。
映画製作に参加することによって転落した栄輔が自分を取り戻し、小野明美(谷村美月)と仲良くなる姿を見せることで、二人が結ばれるエピソードにつなげているのは頭では理解できるのだが、この話に一週間使うのだったら、もっと描くべきことがあったはず。また、栄輔と明美を無理やりくっつけたことで、栄輔にあったすみれに対する愛憎が胡散霧消してしまったことも残念だ。
銀座に総合店「キアリスワンダーランド」を出す際に古門社長からの協力を受けるかどうかという商談が物語上のクライマックスとなるのだが、すみれたちが断り、古門社長が自分とは全く違うが「それはそれで素敵な生き方だ」とすみれたちを肯定し、あっさりと対立を切り上げてしまう。おそらく古門社長の描写を増やすと、負荷が強すぎて、みんなが楽しく暮らす優しい世界をドラマに求めている視聴者がついてこなくなるという判断だろう。対立シーンを引っ張らないのは朝ドラだけでなく近年のテレビドラマの大きな傾向だが、それが悪い方向に転がってしまった。