すべてはおっぱいのためにーー青春映画『14の夜』はなぜ愛おしいのか?

青春映画『14の夜』はなぜ愛おしいのか?

 なんとも愛おしい、小さい頃の秘密の宝箱のような青春映画が誕生した。これまた愛おしくてたまらなくなった映画『百円の恋』、『お盆の弟』の脚本を手がけた足立紳の初監督作品である。

 14歳というのは何かしら強烈なもので、男子にとっては特にそうらしい。ミシェル・ゴンドリー監督の『グッバイ、サマー』でも、性への興味と、未来への不安、揺らぐアイデンティティと、子供でも大人でもない狭間で悩む14歳の少年たちが廃品を組み立てて作った車に乗って、ひと夏の冒険をする物語が描かれていた。『14の夜』の少年・タカシ(犬飼直紀)もまた、アイデンティティ喪失の危機に陥り、無我夢中でおっぱいを求めるのである。

 舞台はレンタルビデオ屋の『ビーバップ・ハイスクール』や『時をかける少女』のポスターが懐かしい1987年の田舎町。田んぼに囲まれたあぜ道をヨレヨレと走る少年・タカシが、途中道路脇に捨てられたエロ本を覗き見し、玄関に置かれた牛乳を飲みながら胸の大きい隣家の幼なじみ・めぐみ(浅川梨奈)をチラチラと見つめるところから物語は始まる。

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 問題を起こして休職中の情けない父親(光石研)が毎日家にいるということ以外はたいして何もない夏、タカシは、柔道部の仲間たちとエロ本をめくったり、レンタルビデオ屋で成人映画の暖簾の向こうに憧れながらエロそうな映画を探したりと、悶々とした日々を送っていた。『卍』、『ザ・レイプ』、そして『O嬢の物語』といった作品群には思わず自分の中学生時代を反芻してしまう人も多いのではないだろうか。

 レンタルビデオ屋「ワールド」にAV女優・よくしまる今日子がサイン会にやってきて、午前12時を越えるとおっぱいを吸わせてもらえるという都市伝説としか思えない噂は、そんな彼らにとっても、彼らにやたら絡むヤンキー同級生・金田(健太郎)たちにとっても刺激的な大事件だった。この映画は、タカシが予期せぬさまざまな妨害をくぐり抜け、よくしまる今日子のおっぱいに辿りつけるのかという一夜の壮大な冒険と成長を描いた、まあ実にくだらないと言えばくだらない話で、「男ってバカね」と言えばそういう話なのだが、なぜか最後は泣けてくるとてつもない映画なのである。

 廃品の山の中、廃棄自動車に4人の少年たちが集まり、1人の少年はおもちゃのピストルを抱えている。誰々はもうセックスしたのか、していないのか。そしてタカシはこの映画の主題とも言うべき重要な問いを呟くのである。

「この先の人生で、おっぱい、思いっきり揉みまくれることあるのかな」

 彼らの対極には、映画部がいる。自分たちよりも下の存在だと思って見下していたのに、何らかの賞をとり、目標を持って活動している映画部員たちが、自分たちよりも輝いて見えて、タカシはそのことに危機を感じている。イケメンでもヤンキーでもなく、映画監督にもなれそうにない自分たちは、おっぱいを揉みまくれる日がくるのか。それは彼に訪れたアイデンティティ喪失の危機なのだ。

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 映画を撮る側と、映画を観る側の対比が面白い。映画部という映画を撮る側の対極として、タカシたちを位置づけると、彼らはとことん観る側の存在であることがわかる。放課後足繁く通うレンタルビデオ屋、夜の公園のカーセックスを覗く行為、そしてタカシの小学生の頃の願望「ジャッキー・チェンになりたい」。

 タカシが軽蔑する父親と、父親が敵意をむき出しにするタカシの姉の婚約者(和田正人)の対比もまたそうだ。文学雑誌に文章を投稿し続けても通過したことのない父親と、かつて俳優を目指していた明るい好青年。父親はどんなに焦って探してもカメラを見つけることができない。つまり、撮る側には回れない。

 タカシと彼の父親もまた似ている。軽蔑する父親と自分が同じなのではないかという危機感。もう1人、どうしようもない父親を持ったミツル(青木柚)という少年がいるが、「ミツルのお父さんに比べればまだうちの父さんのほうがましだと心の底から思った」とタカシが独白するように、彼はミツルに対して少しの優越感と安堵を覚えるのである。それもまた、やがて覆されるのだが。

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