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サエキけんぞうの『マダム・フローレンス!』評:悲劇と喜劇にまみれた史実の映画化

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 事実についてまず考えよう。本当に起こったらしいことについて映画がどういう解釈をするか? そこが問題だ。『マダム・フローレンス!夢見るふたり』を語る前に、その主人公であるフローレンス・フォスター・ジェンキンスのことを知ることが面白い。

 フローレンスは“史上最悪のオペラ歌手”と呼ばれる。音程とリズム感が全くなく、一音たりとも持続的に発声できない。しかし、彼女はその破天荒な歌で大変な人気を博した。彼女の1944年のニューヨークの最高峰カーネギーホール公演は、今も同館のアーカイブで一番人気だ。そのチケットは即完売し、ホールの外には入りきらない客が列をなしたという。彼女を絶賛したのはあのコール・ポーターなどの音楽家。オペラ史上トップ歌手エンリコ・カルーソーは、彼女を「称賛と尊敬されるべき歌手」と評している。この映画の最後に、本物のフローレンスの歌を聴くことができるが、それはまさに赤塚不二夫的な世界観のすさまじい歌である。

 以上の話は史実とされていて、これを映画化したのが『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』である。この史実と認識が、映画を見る楽しさを倍増させる。

 フローレンスを演じるのは、メリル・ストリープ。『マンマ・ミーア!』や、今年公開されたジョナサン・デミの傑作映画『幸せをつかむ歌』ではあっと驚くロック姉ちゃん(オバさん)役を快演し、歌う女優としての地位が確立された。しかし、今回は音痴のオペラ歌手。オペラのコーチのもとで2カ月アリア歌唱特訓を積み、最後の2週間で音程を外す練習をしたという。何という手の込んだ作業だったろう。わざと音痴に歌うことは、ハタから見るととても困難な作業に思える。どのように音をハズす訓練をしたのか?とても気になる。合っている音程を意識しながら、そこからハズしていくしかないだろう。メリルは困難な作業ではなかったと言っているようだが……。

 史実を続けよう。フローレンスは、1868年、ペンシルヴァニアの裕福な家庭に生まれる。7歳で音楽の才能が開花。ホワイトハウスに呼ばれてコンサートも行う。17歳で年上医師と結婚。夫から梅毒をうつされ、治療の副作用で、音感を失い、演奏に支障が出るようになる。離婚後1907年、本作でヒュー・グラントが演じるシンクレア・ベイフィールドと恋に落ち、再婚。彼女の父は死去し、莫大な資産を相続する。NY社交界に進出、NY音楽界に巨額の財産を投じるパトロンとなり「マダム・フローレンス」と呼ばれるようになる。本作は、1930~40年代のニューヨークの街並みを驚くほど華麗に再現した舞台、社交界で華々しく振る舞うフローレンスと共に始まる。

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 フローレンスは“裸の王様”だ。潤沢に金を落としているオペラ界の人々と演奏者を集め、豪華な(ちょっとヤリ過ぎな)衣装を着た彼女が登場。その強烈な音痴っぷりに初めて聴く者は衝撃を受け、思わず外に出る輩も。しかし、彼女を守ろうとする夫や執事をはじめとする強力なガードで、歌がヘタクソと思われていることを彼女には知らせないようにする。

 特に好演するのは専属ピアニスト、コズメ・マクムーン役のサイモン・ヘルバークで、オドオドしながら金の魅力に負けて、音痴歌のサポートに引きずり込まれる様子を演じている。

 この映画を観ていて気持ちがモゾモゾするのは、夫役ヒュー・グラントや、このサイモンが、金持ちのフローレンスに対して徹底的なヨイショ役を演じていること。現代の社会での死角、それは「ヨイショ」だ。2ちゃんねるやツイッターでは、背中も震えるほどの鋭い悪口がまかり通っているのに、現実の社会を創り出しているのは強者へのお世辞だ。社会に出れば、それがシステムの潤滑油であり、経験を積むほどにそれが一概に罪悪ではないことも分かる。しかし、あまりにも苦い批評的な口調が日常化しているため、例えばFACEBOOKで高年層がしている「おだて」を若者はヤレヤレと思っている。SNSがはびこらせた世界的風潮かもしれない。「おだて」の持つそんな緊張感を、この脚本は意識しているような気がする。

 特に、英国人だがアメリカン好夫を演じるヒュー・グラントには大注目だ。顔の筋肉を120%使って全身で妻をたてる! 目の表情と頬の動きで女に金を出させるような技が、我々にあるか? そんなアクションが日本の男には欠けている。というか、後述するフランス映画を見れば、こんな行動を万国の男がとれるわけでもないことも分かる。

 周囲が自分の歌をどう思ってるか? 心の底に不安を隠しながら社交界の主を演じるメリル・ストリープの怪物的な演技も凄い。疑心暗鬼を潜めた老境の顔面の真実、それは演技の極北ともいえるかもしれない。

 このように、フローレンスが自分の歌唱力に致命的な欠陥があることに気付かないまま、歌手の夢を追うというのがこの映画の描写だし、史実のようではある。しかし、冒頭の史実を想い出して欲しい。7歳で音楽才能開花、ホワイトハウスでコンサートをしたことも、事実なのである。彼女にはもともと音感はあったのだ。それが薬害により、失われた。しつこいようだが、元々音程のインテリジェンスはあったわけである。「音程のインテリジェンス」とは、演奏表現に至る神経の道筋である。音痴になってしまったということは、神経回路がなくなったのではなく「歪められた」ことを意味する。ねじれた神経の中でも、彼女はかつての勘をたぐって、彼女なりにベストをつくしているのではないか? 実は、そこに彼女の「破壊的な音痴歌の魅力」の秘密があるのではないか? と思ってしまう。音痴歌手とただ表面的に片付けられている状況はナゾに包まれている。そうした事情を考えながらこの映画を見ると「ふ~ん? そうか」あるいは「う~ん、本当かなあ?」と思える箇所が随所に登場する。はて、真実は?

      

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