『世界一キライなあなたに』がリアリティを持ち得た理由 荻野洋一が劇構造から読み解く
この映画の元ネタは、おそらく『マイ・フェア・レディ』(1964)だろう。ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』(1913年ウィーン初演)の映画化である。ロンドンの下町娘が大学教授とひょんなことから知り合い、教授の手ほどきで立派なレディに教育されていく。フランス映画『最強のふたり』は、ロンドンの階級差をパリの人種差に置き換えた変則リメイクであって、『世界一キライなあなたに』はそれをもういちどイギリス的な階級差に戻した上で、患者/介護人という関係を盛り込んだ。「私ならこの人を救えるわ」という武者ぶるいのような自己肯定感が、彼女を情熱的なメロドラマの主人公へと変貌させるだろう。
ピグマリオン的メロドラマの肝心な点は、最初の時点では一方がもう一方に対して圧倒的な優位性を持っていること。教育水準の差であったり、階級の差であったり、人種の差であったり、問題は非常に保守的で、進歩的な観客が鼻白むメロドラマでさえある。ところが、両人がおたがいを知れば知るほど、一方の優位性は揺らいでいき、最終的には無化され、あまつさえ逆転の様相さえ呈するのだ。つまり、差がなくなり、両者は似たもの同士になってくるということだ。
相互浸透という化学変化によって、両者は似たもの同士になる。でも同じにはならない。先ほども述べたように、お似合いなものは退屈だからだ。それではつまらない。だから「1+1=2」というリアリズムにも、「1+1=1」というおとぎ話にも落ち着かない。まさにウィルがルーに投げかける「落ち着くな。シマシマの足を誇れ」というメッセージそのものである。妥協的な人生に落ち着くことをよしとせず、「好きにしろ」と自分と相手に言い続ける。したがってこの映画における公式の正解は「1+1はいつまでも1+1のままであり続ける」というガンコさに尽きている。
映画は最後に、大きな変化を求めようとする。それはウィルが奇跡的に治るとか、そういうバカげた化学変化なんかでは当然ない。安楽死が法的に認められたスイスのクリニックでみずから命を絶つことを希望してきたウィルの決心を、ルーは愛の力で翻意させることができるか、という最終的なサスペンスである。この映画は、あらゆる場面で「好きにしろ」というメッセージを登場人物たちに語りかけ、勇気づけてきた。でもルーはウィルに「好きにはさせないわ」「死んではだめ」と説得する。死というこの最大の化学変化のゆくえをめぐって、映画がどんな結末を用意してくれたのか。それはもちろん言うまい。実際に劇場で確かめていただきたい。
■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。
■公開情報
『世界一キライなあなたに』
全国公開中
監督:シーア・シェアイック
原作・脚本:ジョジョ・モイーズ
出演:エミリア・クラーク、サム・クラフリン、ジャネット・マクティア、チャールズ・ダンス、ブレンダン・コイル
配給:ワーナー・ブラザース映画
原題:「ME BEFORE YOU」/2016年/アメリカ/110分
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