初代ゴジラの“呪縛”から逃れた『シン・ゴジラ』 モルモット吉田が評する実写監督としての庵野秀明

モルモット吉田の『シン・ゴジラ』評

 これは『シン・ゴジラ』全体を通しても言えることで、精神的には1作目を継承しつつ、実際の映画の内容は84年版『ゴジラ』の修正リメイクと言っていい。原点回帰を目指し、現代の東京にゴジラが上陸したらどうなるか、災害、政治、国際社会との観点からリアルにシミュレーションした84年版には穴が多く、ありていに言えば失敗作なので手が届きやすい。ようは「初代『ゴジラ』の呪縛から逃れ」る抜け道となるのだ。

 一例だけ挙げると、84年版で有楽町のマリオン横を進むゴジラの前に乗客を乗せた新幹線が走ってくるシーンは失笑を買った。1作目でゴジラの足元に走行中の急行列車が衝突して転覆する有名なシーンのリメイク的な意味合いがあったのだろうが、運行管理システムで制御された現代に、ゴジラの目の前をノコノコ走ってくることがありえるだろうか。

 ところが庵野は『シン・ゴジラ』で逆に、どうすればゴジラと新幹線の組み合わせが失笑を買わずに可能になるかを考えるのである(鉄道好きだからでしょうな)。結果、『新幹線大爆破』(75年)を引用しながら、意外な形でそれを実現させ、1作目の列車衝突シーンを発展させたものを生み出した。84年版を間に挟むことでマイナスをプラスに転じさせるアレンジを可能にしたのである。
 
 ここまで84年版が『シン・ゴジラ』とって大きな意味を持つのは、時代の影響も無縁ではあるまい。前年には庵野が監督した伝説的な特撮自主映画『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』(83年)が完成し、『シン・ゴジラ』の監督・特技監督である樋口真嗣は84年版『ゴジラ』でプロの現場を初めて体験することになる。

 その後、庵野に紹介されて樋口は自主特撮映画の大作『八岐大蛇の逆襲』(85年)の現場に加わるわけだが、樋口は「『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』なんかを観ると、明らかにそちらの方が画づくりに対する、正しい取り組みと工夫を感じる。(略)あの頃、プロの現場にいて、『大阪の学生でもこれだけやってんのに、大の大人が集まってこの体たらくはなんだ』と感じて」(『ガイナックス・インタビューズ』堀田純司・GAINAX 著/講談社)と『ゴジラ』の現場に参加していた当時の心境を語っているが、実際、『シン・ゴジラ』には、この自主特撮映画2本の設定、描写が多数引用されている。

 30数年の時を経て、若き日の願望を実現させたとも言えるが、それが「初代『ゴジラ』の呪縛から逃れ」ることを可能にすると同時に、今度は若き日の自身という呪縛に囚われることになったのは皮肉でもある。

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