荻野洋一の『トランボ』評:まれに見る戦いの物語であり、映画そのものへの愛の物語

荻野洋一の『トランボ』評

 『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』は、映画業界の内幕ものである。主人公はシナリオライター。そもそも座ってタイプライターを打っているだけの人間を主人公にした映画なんておもしろいのか? ーー確かに。しかし『トランボ』はまれに見る戦いの物語であり、友情の、挫折の、家族愛の、信念の、そして映画そのものへの愛の物語であって、観客があくびをする暇はないだろう。座ってシナリオを書いているシーンもあるにはあるが、それさえもスイング感が漂う。私たち凡人の書いている姿は単に退屈な光景だろうが、一流のライターの執筆シーンは、まるで鍵盤楽器の演奏のようである。

 ダルトン・トランボという実在のシナリオライターをご存じだろうか? ハリウッドの最盛期と言われる1930年代から脚本を書き始め、1940年代末にはハリウッドで最も高額なギャランティを取るライターになっていた。ハリウッドで一番ということはすなわち、世界で一番リッチな物書きということだ。

 しかし、アメリカとソ連の冷戦が激化した1947年、共産党員であることで「非米活動委員会」(略称HUAC フアックと呼ばれる)に召喚され、ワシントンの聴聞会で答弁を拒否し、議会侮辱罪となって刑務所行きとなる。釈放後もブラックリストに載ってしまっているため、仕事が来ずに困窮する。いわゆる「赤狩り」の時代である。

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 そこで彼は偽名をもちいて、ブラックリスト追及のゆるいB級映画専門プロダクション向けに大量のシナリオを書いたり(その多くは、エイリアンが農婦と不倫セックスする物語など、劣悪な題材ばかりだが)、親友のシナリオライターの名前を借りて書いたりして、親友とギャランティを折半しつつ、なんとか弾圧の時代をしのいでいく。

 思想の自由、表現の自由が保障された民主主義大国アメリカにおいてさえ、「赤狩り」のような思想弾圧、自由抑圧の時代があったのである。ハリウッドは国内外への影響が大きいため、追及の手がよけいに迅速かつ厳しかった。HUAC(フアック)のブラックリストに載った者は、「あなたのお友だちや同僚で、共産主義者である者はいますか? 過去に共産主義者であった者はいますか?」という尋問を受ける。この尋問に10人の該当者を名指ししなければならない。そうしないと彼(彼女)はブラックリストから外してもらえない。ブラックリストに載った者には仕事は来ない。しかたなく友を売った者は良心の呵責に悩み、友情を失う。赤狩りの時代、経済的に追いこまれ、心身の健康を失い、命を落とした者も少なくない。ブラックリストに載ったあと、孤独の中で憤死した者の中には、ジョン・ガーフィールドのような大スターも含まれている。

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 赤狩りは、喜劇王チャーリー・チャップリンのような映画界の功労者をさえハリウッドにいられなくさせ、スイスに亡命したチャーリーは二度とアメリカの土を踏むことはなかった。チャーリーのような高潔な精神の持ち主にとって、友を売るなど決してできないことだったのだろう。「名指し」、英語では「Naming Names」と呼ばれる。この「Naming Names」によって、アメリカの精神は死んだ。

 左翼思想の持ち主イコール、ソ連のスパイなどと言いきれないのに、時代はそうした思慮深さを失っており、「君は国の味方なのか、敵なのか?」という安直な二択が乱暴に発せられていたのである。現代日本に漂いつつあるきな臭さも、どうやらこの時代のアメリカに似てきているような気がしてならない。

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