荻野洋一の『トランボ』評:まれに見る戦いの物語であり、映画そのものへの愛の物語

荻野洋一の『トランボ』評

 私たち日本人がオールタイムで最も愛しているハリウッド映画といえば、オードリー・ヘップバーン主演の『ローマの休日』(1953)ということになるらしい。そしてこの『ローマの休日』が、ブラックリストに載って公的には活動できなかったころのダルトン・トランボが、友人イアン・M・ハンターの名前を借りて著した作品であることは有名だ。皮肉にもアカデミー賞を受賞してしまうが、オスカーはイアン・M・ハンターが「代理で」受けた。さらに皮肉なことに、このイアン・M・ハンターもまもなくブラックリストに載ってしまうのだが。

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 「赤狩り」の時代、トランボは以前にもまして多忙をきわめるようになる。B級映画への執筆のためだ。保守派からの圧力に屈せず、トランボに仕事を与え続けたキング兄弟のようにギャングまがいの剛胆な経営者が、弾圧された左翼映画人にとって救いの神となった。キング兄弟に政治的な関心はなく、彼らの関心はもっぱら金儲けであり、上手いシナリオが安く早く手に入るから起用しているだけなのだが。本作『トランボ』でキング兄弟の兄フランク・キングを演じた巨漢俳優ジョン・グッドマンの怪演は、一見の価値がある。乱暴でがめつく、ガラガラ声のこの怪人が、アメリカの民主主義、思想と信仰の自由を復活させるのに、無意識的にでも寄与したのだ。野球のバットを振り回して、警告に来たHUAC側の者を追い出すシーンは、「これぞアメリカ」というシーンではないか、西部劇やギャング映画の時代から綿々と続くハリウッド映画の無意識的な正義の体現ではないか、とそう思わずにいられない。

 本作で最も割に合わない役ーーつまり、赤狩りをリードするゴリゴリ反動派の女性ゴシップライターーーヘッダ・ホッパーを熱演したヘレン・ミレンには「本当にご苦労様」と声をかけたい。「悪役」と言っていいヘッダ・ホッパーは実在の女性で、ゴシップライターとして成功する前は、無声映画の女優だった。スターになる夢を叶えられなかったこの元女優が、思想弾圧という手段をもちいてハリウッドで怪気炎を上げるわけだが、単に反動思想に突き動かされた、というだけではない、劣等感と復讐心のなれの果てのような何か暗い闇を抱えているーーそういう影の部分をも見え隠れさせたヘレン・ミレンは、彼女が単にエリザベス女王を上手に演じるだけの女優ではないことを、(前作の『黄金のアデーレ 名画の帰還』ではあまりそのあたりを払拭できていなかった……)あざやかに証明したのだ。

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 拙文の冒頭で、主人公トランボのシナリオ執筆シーンは、鍵盤楽器の演奏のようにスイング感が漂うと賞讃したが、この映画が魅力的だとすれば、それは、赤狩りというアメリカ史の恥部がなまなましくえぐられている点だけではない。権力の誤った濫用によって危機に陥った1人の男が、勇気と実行力と友情の力によって、何年もかけて名誉回復を果たしていく物語を、あたかもトランボその人が書いたシナリオ作品のごとく、ロマンティックにそして効率的に、エキサイティングに語りおおせている点なのである。

 ダルトン・トランボは1947年に弾圧ですべてを失い、1960年に名誉回復、スタンリー・キューブリック監督『スパルタカス』(1960)以降ようやく実名で仕事ができるようになった。しかし、ブラックリスト時代の作品『ローマの休日』のオスカー像が正式にトランボ夫人クレオに手渡されるのは、トランボ本人が死去して17年後となる1993年のことに過ぎない。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。

■公開情報
『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』
7月22日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
監督:ジェイ・ローチ
脚本:ジョン・マクナマラ
原作:ブルース・クック(『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』世界文化社刊)
出演:ブライアン・クランストン、ダイアン・レイン、エル・ファニング、ヘレン・ミレン
Presented by スターチャンネル
配給:東北新社
原題:TRUMBO/2015年/アメリカ映画/124分/字幕翻訳:李静華
(c)2015 Trumbo Productions, LLC. ALL RIGHTS RESERVED
公式サイト:trumbo-movie.jp

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