松田龍平 × 前田敦子、“普通の物語”を成立させる演技ポテンシャル 『モヒカン故郷に帰る』を観る

松田龍平 × 前田敦子の演技ポテンシャル

 ただ、そういう役者と演出への素直な驚きがある一方で、ストーリーに関しては“ちょっと肩透かし”という印象を否めない。ご存知のように本作は沖田監督のオリジナル脚本。今最も新作が期待される映画監督のひとりの新作で、原作もの映画全盛といっていい、現在の日本映画界ではとんとみないオリジナル脚本となれば、否応なく期待が高まるというもので、あらぬ期待を本作にはかけすぎたのかもしれない。ただ、その期待値を抜いてみたとしても、ちょっとどこか物足りない。

 その“肩透かし”をひと言でいうなら、ストーリーがよく言えば普遍的なのだが、逆をいえば、ありがち過ぎといわざるえないのだ。たとえば、それは主要登場人物のキャラクター設定にも出ていて、主人公の田村永吉は、パンクロッカー=モヒカン=父親と対立=田舎を飛び出し上京で、その父親の田村治は、広島県人=矢沢永吉レジェンド=息子にその名を命名=ロック命。おおよその人がたいていそのことをイメージしたときに、思い浮かぶ代名詞で人物たちのキャラクター付けは固められている。ストーリーラインも、モヒカンの主人公がバンド活動で行き詰る→同時に恋人に妊娠発覚→とりあえず故郷へ→すると父親が末期がんと判明→仲違いは水に流して父の願いを叶えるべく奔走→死に際に、冥途の土産のごとく結婚式でハッピーエンディング。なにかこちらの想像の範囲を超えたことが起きるわけではない。あまりにストレートすぎやしないかというか。これまで数多くのテレビドラマや映画で使い古されているといっていい設定や展開、題材に終始しすぎていないかという気がしてならない。

 何も奇をてらってほしいわけではない。ことのほかドラマチックにしてほしいわけでもない。振り返ると、これまでの沖田監督作品もとりたてて特別な物語ではないし、個性的なキャラクターが登場しているわけでもない。ただ、たとえば『キツツキと雨』であれば新人の映画監督と中年の木こりとのいわば未知との遭遇ともいうべき出会い、『横道世之介』であったら自分の周りにもいたような気がするふと思い出される人物といった、なにかこちらの記憶をよび覚ますような、受け手にとっての気づきや新鮮な発見があった。でも、今回に関しては、その点に関しては弱い。親子のよくきくいい話までで。そこが惜しいと思うのだが…。

 となると“これだけの素材で成立してしまうのか?”という素直な驚きとちょっとした肩透かし、という複雑な思いに駆られる。果たして、満足していいのか? いやいや、日本映画界の期待を背負っている沖田監督作品にはもっと高望みしてもいいのではないだろうか? そんな風に考えるのは自分だけであろうか?

(文=水上賢治)

『モヒカン故郷に帰る』予告映像

■公開情報
『モヒカン故郷に帰る』
公開中
監督・脚本:沖田修一
出演:松田龍平、柄本 明、前田敦子、もたいまさこ、千葉雄大ほか
主題歌:細野晴臣「MOHICAN」(Speedstar Records)
音楽:池永正二
配給:東京テアトル
(c)2016「モヒカン故郷に帰る」製作委員会
公式サイト:mohican-movie.jp

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