菊地成孔の『ビューティー・インサイド』評:新しい「ゲイ感覚」に駆動される可愛い映画

菊地成孔『ビューティー・インサイド』評

しかし、別の視点の方が恐らく重要で、しかもデリケートな所なので丁寧に書きますが

 本作のペク監督(正式名称が「ペク」つまり愛称)は、ニューヨークの服飾大学でイラストレーションを学び、CM制作、広告デザイン、MV監督という「お洒落でエッジな絵を作る」仕事を経て、本作が映画監督第一作です。映画との関わりはタイトルデザイン(まあ、一番お洒落なパートですよね)まででした。

 そういう経歴の人が韓国テレビドラマ界で起こっている事態を横目で見つつ本作を作ったのか、そういうことは何も知らずに作ったのかというのは、監督のインタビューでも読まない限り、所謂「ソース」はありません。しかし、よしんば横目で見つつ作っていても、テーマは『キルミー・ヒールミー』とすごく被りますし、「いくら何でも見てなくないでしょう。テレビドラマ」と言っても、大外れはしないと思います。とはいえ、一度その推察を止めてしまったとして、次の推察が生じざるを得ません。

 それは、「この監督ゲイよねきっと」という事です。

 勿論、ワタシはLGBTの人々に差別心一切ありません。精神病患者にも、移民にも、神に誓って、あらゆるマイノリティに差別心も、逆差別心もありません。ゲイが特別素晴らしいとも思わないし、ゲイが特別悪いとも思わない。ゲイはゲイだと思っているだけで、ゲイであるということは、東京生まれであるとかカナダ育ちであるとか、そういうただのアイデンティティーだと思うので遠慮なくもう一度書きますが、この映画のゲイ感覚ハンパないです。だってもう溢れまくってるんだもの。オカマちゃんの感覚が。ペクちゃん46ですけれども、もう、嬉しい身悶えが止まりません本作は。

 先ず、ペクちゃんのルックスは服装含めて、劇場公開用のパンフで観れますが、ワタシも片足突っ込んでいるモード界のクリエイティヴディレクター(所謂「ファッションデザイナー」)に非常に近く、言うまでもありませんが、彼等の多くがゲイです。

 更に言えば、ゲイでCMの名監督。最近だと、アップル社のCMとかがそうですが、特に美男美女が出ているわけじゃないけど、ある意味、人間が現実以上にキレイに撮られていますよね。めちゃめちゃ美しい(エコロジカルでもあり、ファ二チュアルでもあります。実際にファニチュア屋が舞台ですが)。

 そして、この映画の属性は

1)ストーリーが絶対に観た人の思い通りのハッピーエンドになる事
2)とはいえ、脚本は脇が甘過ぎ、突っ込みどころ満載で、詰まる所、夢物語である事
3)とにかく一分の隙もなく画面の隅々まで、きっれいで可愛くて、清潔で上品であること
4)「心と身体が分離している」という感覚の日常性
5)しかし、「非差別者/被害者意識」に凝り固まった、内的な怒りをまったく感じさせない事

 の5点ですが、1については、わざわざ書く様な事ではありません。「寝て、目覚める度に、イケメンになったり、小汚いオッサン(とはいえ、画面上は凄く綺麗)になったり、小学生になったり、欧州人になったり、上野樹里さんになったりする恋人」に戸惑わない人間はいません。一度は「もうこんなん無理」となります。

 しかし、最後にはやっぱり『ビューティー・インサイド』なのです。人間、外見は関係ない、内面だということになって、最後は結ばれる映画だ、と信じて見ていると、本当に一字一句漏らさずにその通りになります(笑)。途中まで「最後、死んじゃうのかな。救いようのないエンディングにならないだろうな。そっちもゲイ感覚的だし」とハラハラしながら見ていたのは総て杞憂に。この夢の様な恋と幸福の感覚。

 2に関して、ネットというネガティヴ寄りになりがちなメディアだと「脇が甘い/突っ込みどころ満載」などと言うと、ホレ来た悪口、という事になりかねませんが、全然違います。カワイイわけです(笑)。

 だって、どんな人にでもなっちゃうんですよ。なのに、作劇上の重要ポイントである、「出会って恋愛関係になるシーン、/最初にセックスするシーン/最初にプロポーズされるシーン、/でも別れてしまうシーン/再会してまた結ばれるシーン」これが全部イケメンなんです(笑)。偶然にしても程がある上に、これってイケメンのブッフェだぞ!! ワタシ心の中で「ペクちゃん!!(笑)」と叫びました。

 もっとシリアスにやりたかったら、日常的なシーンをものすごくハンサムな人にやらせて、告白されるシーンとかセックスシーンをものすごくブサイクな人にやらせたほうがいいわけです。そのほうが批評性が高いですよね。

 ワタシ、途中ですごい期待していたんですが、ハン・ヒョジュが「女性でもいいよ」と言って、女性(男性)とセックスするシーンがあったりとか、物凄いブサイクと敢えてセックスするシーンがあったら、何倍もの傑作に成っていたと思うんですね。やっちゃってもよかったと思うんですよ。上野樹里さんとハン・ヒョジュが性別を超えて愛し合うでも全く問題ないと思うんです(後述しますが、上野樹里さんの見事な演技は、「その期待」へのミスリード感に満ちていて、大変にドキドキします)。

 けど、そこまでの冒険はしない。それをやらない少女マンガ感覚というか、見た目が特徴的な人、ブサイク、子供や老人になるのは、みんな笑わせるシーンになっちゃっているところも、ペクちゃんかわいらしいなと思います。

 「重要な時に3歳児くらいになる可能性はないのか、或は瀕死の老人になったら、そこで死んじゃうのか?っていうか、どうやって死ぬんだこの人は」等と野暮な事を考えながら見ていたんですが、途中で止めました。

 あとこれは結構なネタバレですが、終盤で突然、父親もそうだったことが明かされて、「一族の遺伝病だったの? そんな一族絶対にいねえ(笑)」とか思ってるうちに、エンドロールで(実はまだ生きていた=遥か昔に家を捨てた)お父さんが帰って来て、劇中にずっと出ているお母さんと「親子二代でビューティー・インサイド」とばかりに、再び結ばれるんですが、これなんか完全な蛇足で、充分なハッピーエンドを更に盛っちゃってる訳です(笑)。

 3は、前述の「CMの絵で作られた映画」ですね。召還作品としては、日本だと、古くは大林宣彦監督が挙げられるでしょうけれども、携帯電話の、お父さんが犬の一家の長寿シリーズありますね、あれの監督が作った『友だちのパパが好き』等も挙げられます。CM作家は、「ストレートにCM的なクールで綺麗な絵を撮る」か「いざ映画となったら反転してローファイにするか」の分岐があると思いますが、本作は前者、「ともだち」は後者ですね。

 でも、共通しているのは「金かかってるな」感です。実際にかかってるかどうかは解らない。しかし「広告屋のやる事から、金の臭いは消えない」という事でしょう。市川準さんもCMの作家から映画監督になって、「地味な画面だけど、金かかってそう」な絵作りしてましたし。

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