もしも日本が太平洋戦争に勝利していたらーー「ズッコケ三人組」の著者が残した戦争文学
那須正幹『屋根裏の遠い旅』では主人公たちが、日本が太平洋戦争に敗けず勝利したパラレルワールドに迷いこむ。違う時代や異世界へ行く物語は珍しくないし、よくある設定だと思うかもしれない。でも、待ってほしい。本作の場合、小学六年生の省平と同級生の大二郎が教室の屋根裏に入って出たら、別の日本だったというのだ。本作は子どもが読む物語として書かれているが、読むと意外なほどシビアな展開であることに驚く。大人も読むに値する内容だといえる。
戦争に勝ち、軍国主義が残った日本
著者の那須正幹は、「ズッコケ三人組」シリーズで知られる児童文学者である。省平たちは、この年頃の男子らしく軽はずみな言動で自らピンチを招いたりするが、簡単にはへこたれない。ユーモラスな場面もあるし、元気で前向きだ。その点は児童文学らしいのだが、まだ子どもである主人公を通して、戦争と国家の容赦のなさが描かれていく。
省平たちがきてしまったパラレルワールドの日本は、もといた日本とは街並みが違うし、知っている人もいれば知らない人もいる。知っている人だからといって記憶は共有していないし、ノリや考え方も違っていて別人のようになっている。戦争に勝利したということは、敗北を受け入れなければならないほどの悲惨な被害は出なかったのだろうし、それはよいことではないかと思う人がいるかもしれない。だが、負けなければ、戦前戦中の軍国主義が改められるきっかけもないわけだ。作中では学校で子どもたちが軍事教練をさせられ、天皇のカラー写真が飾られた奉安殿におじぎしなければならない(かつての戦時中は、まだ白黒写真だったが)。この社会の息苦しさがわかってくると、戦争に勝ちさえすればいいわけではないと思うだろう。
ただ、省平たちがきたパラレルワールドの日本は、べつに空襲があるわけではなく、そこが戦場だというわけではない。だが、太平洋戦争で勝利したとはいえ、中国をはじめ東南アジア各地で日本に対する武装蜂起が起きている。テレビでは、天気予報のように大本営情報部発表による「本日の戦線情報」が流され、帝国陸軍の戦果が伝えられるのだ。こちらの日本では、省平の父も戦争へ出かけている。
しかし、近所はとりあえず平穏な一方、ニュースでどこかの戦争のことを聞くというのは、省平がいたもとの世界と変わらない。彼は、2つの世界の区別がよくわからなくなってくる。認識が混乱するこのへんの描写は、なんとも不気味だ。省平たちはもといた日本に帰る方法を探るが、やがてこの世界の日常の平穏を破る出来事が発生してしまう。
主人公は、学校と家を往復し、その通り道がある街の周辺を歩くくらいで行動範囲は広くない。教師、同級生、近所の人、家族などが、どこかで戦争をしている軍国主義の日本を日常として過ごしている。その状況に違和感を抱きつつも、ここからすぐに脱出できない以上、とりあえず周囲に同調してみせなければならない。この過酷な状況に関する子ども目線での描き方に生々しさを感じる。
『漂流教室』や『はだしのゲン』との同時代性
『屋根裏の遠い旅』が書かれた時期も関係しているのだろう。同作は1972~1974年に同人誌に連載後、1975年に書籍化された。以前にも児童書として出し直されたことはあったが、戦後80年でもあった昨年の末にあらためて中公文庫から刊行されたのだ。執筆されたのが50年以上前だから、作中の子どもの生活にスマホやゲームはない。だが、無人戦闘機や電子頭脳が存在し、かくしカメラによる国民監視が行われている設定は、現代に通じるものだろう。また、児童向けを意識して書かれた平易な文章は、今でも読みやすい。
本作が執筆され書籍化された1970年代前半をふり返ってみよう。地殻変動で大地震が連続し列島が消失する小松左京のSF小説『日本沈没』や、核戦争や環境汚染などによる地球滅亡を唱えた五島勉『ノストラダムスの大予言』などがベストセラーになり、終末論ブームが起きていた。米ソ対立や中東情勢などに関連し、核戦争の危機も語られていた。その米ソ対立が背景にあるベトナム戦争がようやく終わろうとしていた頃である。そもそも『屋根裏の遠い旅』刊行の1975年は、太平洋戦争終結から30年しか経っていなかったのだ。戦後生まれが半数を超えたのは1976年なので、まだ戦争体験者が多く生存していた時代である。当時の子ども向けの作品をみても、過酷な状況を手加減せずに表現する作品が少なくなかった。文明が滅びた未来に小学生たちがタイムスリップする終末イメージ満載の楳図かずお『漂流教室』が「少年サンデー」に連載され、やはり子どもを主人公にして原爆が投下された広島の悲惨さを描いた『はだしのゲン』が「少年ジャンプ」に連載されていた。
『屋根裏の遠い旅』は、そんな時代に書かれている。著者で1942年に広島市で生まれた那須正幹は3歳で被爆していた。核兵器への言及もある本作の執筆にその過去が影響しているのは間違いない。残酷な場面が特に多いわけではないが、主人公の子どもが体験する戦時下にある国家の空気の生々しさ、甘くない展開は、1970年代前半に書かれたからそうなったという部分があるだろう。それでいて現在の読者にも響く普遍性がある。
疑問だらけの世界でどう生きるか
省平は、もといた世界でプラモデルを作ったことがある戦艦大和の性能や、太平洋戦争末期に撃沈された経緯を知っていた。その程度のミリタリー趣味は、当時の小学生には珍しくなかったのだ。しかし、その種の知識を不用意に口にすると、パラレルワールドの日本では軍事機密を入手したスパイではないかと憲兵から疑われてしまう。
『屋根裏の遠い旅』では、ガソリンは戦争での使用が優先され、民間人はコークス自動車に乗っている設定である(1970年代に石油危機があった現実を反映した記述でもあっただろう)。その戦時下の体制にふさわしくない言動をしたとみられれば、たちまち国家の敵とされる反戦分子あつかいをされる。普通の趣味も体制が変われば危険思想とされるかもしれないことを、パラレルワールドのSF設定で書いているのだ。
北方領土を実効支配しているロシアが行うウクライナ侵攻は、いつ終わるのか。そう思っていたら、日本にも軍事基地を置くアメリカが最近、ベネズエラを攻撃した。戦地は遠いようでも日本と身近な国が戦争しているわけで、台湾に対する中国の姿勢も懸念されている。それに対し、日本は防衛政策をどうするのか、政治家ばかりでなく国民も問われる状況といえる。
物語の結末で省平たちは、疑問だらけの世界で、子どもなりに自分たちの生き方を選ぶ。今、『屋根裏の遠い旅』を読むと、自分たちもどうするかを選ぶようにうながされる気持ちがする。この物語を文庫で読めるようになったのは、意義深いことだと思う。本作の『遠い旅』は、意外に近い旅なのだ。
■書誌情報
『屋根裏の遠い旅』
著者:那須正幹
価格:1,078円
発売日:2025年12月23日
出版社:中央公論新社
レーベル:中公文庫