中村文則が明かす、縄文時代に実在した“蛇信仰”に惹かれた理由ーー新作『彼の左手は蛇』に込めた思いとは?

中村文則『彼の左手は蛇』(河出書房新社)

 平家が落ちのびたといわれるこの土地には、蛇信仰が残っていた。やってきた男は小さい頃、自分は人ではない、左手が蛇になったと思っていた。毒蛇狩り、白蛇を祀る神社の宮司、蛇を求める女、議員の死を調べる刑事、ロー・Kという死をもたらすビジネスマン、テロ……。中村文則が2年ぶりに発表した小説『彼の左手は蛇』(河出書房新社)は、比較的コンパクトな作品だが、著者らしい要素が凝縮されている。物語のキーとなる蛇は、なにを意味しているのか。(10月7日取材・構成/円堂都司昭)

現在の宗教が蛇信仰を追いやった

――新作でメインのモチーフになっている蛇は、どこから発想したのでしょうか。

中村:日本の説話や神話などに登場する蛇が、気になっていました。性的にも悪としても描かれてきましたが、調べてみると、キリスト教のような今の多数派の宗教が広がる前、世界的に蛇信仰があった。日本でも縄文時代に蛇信仰が実在したけど、社会がシステマティックになった弥生時代にだんだん背後に引いていったと知りました。要は、現在の宗教が蛇信仰を追いやったわけで、だから蛇を「悪」として描く今に伝わる説話や神話が生まれたわけです。社会がどんどん抑圧的になって、年々生きにくくなっている。それに対し、蛇の宗教は自由で荒々しいというか、生きることの象徴のように感じられる。抑圧されて蛇信仰は消えてしまったけれど、生命力に満ちた蛇信仰を現代に復活させようとする男性の話を書けば、いま必要な物語ができると考えました。

 また、心理学的にもいわれることですが、周りに頼るべきものがない子どもは、想像上の友人をつくる。僕自身もそうでした。僕のそれは蛇ではなかったですけど、想像上の蛇と共にいた男が蛇信仰を……とアイデアが合わさったんです。

――蛇には、けっこう前から関心があったんですか。

中村:『何もかも憂鬱な夜に』(2009年)で書いたんですが、小さい頃に飼っていた鳥が蛇に呑まれたんです。お腹が膨らむから、蛇は鳥かごから出られなくなった。それを見た時、出られなくなるとわかっていたはずなのに、自分の欲望を遂げようとする蛇という存在に、自分を重ねて物悲しさを感じました。その蛇は大人に殺されましたけど、その頃から関心があって、あらためて歴史を調べてみたらやはりすごかった。

――主人公は蛇とある種の一体感を覚えますが、人ではない異物と合体・融合してヒーローあるいは悪者になるというのは、特撮やアニメの定番的な設定でもありますよね。

中村:もともと自分が想像上の友人をつくっていた経験から発想したんですけど、日本のコミック、アニメ文化の影響は色々あります。そういったコミックも、人間のもともとの、潜在的なそういう願望を表現している。『彼の左手は蛇』では体の一部を異物、蛇だと思いこみますけど、純文学の小説なので基本的には蛇は想像上の存在。でも、主人公が我慢していることを左手が時々、無意識にやってしまう。それは、フィクションと現実のぎりぎりの境を描いたということです。

――蛇になるのは、右手ではなく左手。

中村:僕はふだん右手を使うので、左手には“相棒”感がある。『寄生獣』(岩明均のマンガ)のような例もありますけど。『神様はサウスポー』(今泉伸二のマンガ)は麻痺があった左手が利き腕になりますね。

――『寄生獣』では、右手に寄生生物がいて「ミギー」と呼ばれていました。

中村:主人公を蛇的存在にして、人間にはしないアイデアも実はあったんです。最初は非現実の話にしようかとも思いましたが、やっぱり現実の話にしました。

――非現実ではなく現実にしたのは、物語がテロの方に進むからですか。

中村:いや、リアリズムにした方が、今回の話は伝わるだろうと思ったんです。本当の蛇がテロを起こすのも面白そうですけど(笑)、それはまた違う話でしょう。世界の現実では、被害者は被害者のままです。戦争で撃たれて亡くなった人は亡くなったまま。でも日本には古来、怨恨で祟る怨霊という考え方があって、負けた側が倒された後に化けて出て復讐する。今回の小説にも書きましたけど、それは、勝った者が作ろうとする歴史に歯向かう行為です。やられた側が、ただ可哀想で終わるのはおかしい。かといって、テロに関しては作中で許されるようには書いていない。テロリストの行為より、テロリストの人生の方が大事なんです。だからやめた方がいいとメッセージはこめています。

――蛇のアイデアとテロの物語は、すぐに結びついたんですか。

中村:もともと実在した蛇信仰が後発の宗教に抑圧されたわけで、それを復活させる場合、必然的に現在の強い支配層に向かう。あと、作中に日本神話についても出てきますけど、スサノオがヤマタノオロチを退治してその尻尾から出てきたとされる草薙剣(くさなぎのつるぎ)は、天皇の三種の神器の一つとして現在も継承されている。それはある意味、以前の神から奪ったものの威力を取り込むことでもある。でも、それが祟ったという歴史が興味深いんです。祟ったために、草薙の剣は皇居じゃなくて実際に熱田神宮にある……。

 『彼の左手は蛇』の裏テーマですけど、もしヤマタノオロチが復活したら向かう先はどこになるのか。今の日本の最大の権力者のところへ行くだろう。それは最大の抑圧者でもあるわけで、それは現在では、日本政府でも天皇でもなく、日本政府の上にいるアメリカになるんです。ヤマタノオロチがアメリカに向かう。自分達の自由を本当に獲得しようとしたら、こういう話になる。僕の最近の小説はだいたい英訳されてきたんですけど、『彼の左手は蛇』は今の状況を考えるとアメリカでは出ないかもしれない。テロの標的となるロー・Kは実はアメリカ人ではない設定ですが、未来のアメリカ大統領候補としているので、英訳には時期を待つことになるかもしれませんね。

――この小説は『スピン/spin』に連載(2023年9月~2025年6月)されましたが、始まった時にはアメリカ大統領にトランプ氏は再選……。

中村:される前です。立候補中の彼に対する暗殺未遂も連載中に起きたんです。

――小説は初期のプラン通りに進めたんですか。

中村:はい。しかたないので、変更せずそのまま書きました。

原点に戻ろうという意識はありました

――あとがきで「この小説があまりに僕らしいと感じたかもしれませんけど」とある通り、中村さんらしい作品だと感じました。まず連想したのはデビュー作『銃』(2003年)。

中村:『銃』では銃が主人公の内面の物象化にもなっていて、蛇はある意味、原点回帰的なところがある。今回は、自分を抑圧しているものに対し、歯向かう存在が左手に入るというのが重要です。『銃』にも裏ではアメリカの影響があって、アメリカから入ってきたもの(銃)に日本が翻弄されるという面がある。今回は、その銃が広く実在した蛇信仰と結びつき、スケールが大きくなって大統領候補が標的になる。だから『銃』を拡大した小説といえるし、刑事も出てきたりエンターテインメント要素が入っているのも僕らしい。ミステリー的な仕掛けも色々ありますが、一つは表紙が既に伏線なんですよね。読み終わって気づくという風に。

――過去の作品との関連では、『その先の道に消える』の縄、『逃亡者』のトランペット、『R帝国』のHP(ヒューマン・ホン)などと今回の蛇にも共通性があると思いました。

中村:精神を象徴するようなものを物体化するのが、僕っぽいですね。

――内面を抑圧するという心理学的、精神分析的な構図もそうでしょう。

中村:抑圧に歯向かうとか、エネルギーを放出する面が僕です。

――自分らしい小説というのは、書いている時から意識したんですか。

中村:原点に戻ろうという意識はありました。もともと集団というものが苦手で、少数側にいて人生を歩んできた。僕自身は無宗教ですが、集団的で巨大なものに抑圧された蛇信仰といったら、自分にピッタリだなと思いますし、自分を表すうえでとてもあっていると感じました。

――なぜ原点回帰的な方向に進んだんですか。

中村:『カード師』(2021年)を書いた時、物語がとても拡大して、このスタイルでは『カード師』以上のものは書けない、これが一つのピークだと思った。なのでもう一度対象を小さく絞る書き方に変えて、さらなるピークを目指そうと『列』(2023年)を書きました。これまでの小説にはいろいろチャレンジングな面がありましたけど、『彼の左手は蛇』では新しいことをやるより、深めていこうという発想になりました。物語の構図の作り方自体は、そうは見えなくても『その先の道に消える』に実は近いんですけど。

――『列』でも大勢の集団の話なのに、ギュッとコンパクトにまとまっていました。

中村:ほかの人が書くともっと長くなると思います。ごく短い話ですが、情報量は多い。

――『彼の左手は蛇』で印象的だったのは、主人公が小学生の時に会う若い精神科医です。彼は主人公の左手は蛇だといって「将来的には、何かを噛むかもしれませんね」と予言めいたことを口にする。一方で「現在や未来で、過去は変えられるんだよ」ともいっています。過去、現在、未来のとらえ方が興味深い。

中村:過去でいろいろなことがあっても、現在や未来をどう生きるかで、過去の出来事の性質は実は変わると伝えたかった。僕の小説を読んで救われたという感想を多くいただきます。今回は、よりそういう声と呼応しているように思います。

――『彼の左手は蛇』は短めの作品ですけど、宗教や権力者というモチーフは、『教団X』(2014年)や『R帝国』(2017年)といった長編と重なる部分もあります。長いものを書く時と短いものを書く時の違いは。

中村:対象を絞るか絞らないか、広げるか広げないかですね。『カード師』の場合、ギャンブル、手品、占いとカードに関連したあらゆるものが入ってきた。一つのものがいろいろなものを呼ぶんです。でも、それを広げないように絞って、今回でいえば蛇に関連して『平家物語』などへもどんどん広がるんですけど、最小限に抑えた。作中にギリシャ神話のディオニュソス神とかも入れると数限りなくなるので、それをやめたんです。書いていていろいろ浮かぶけど、浮かびすぎるのも考えものでどこかで抑えなければいけない。

 『平家物語』に触れた部分も、ギリギリまで迷いました。単行本化で全部削ろうかと。でも裏テーマに関連して、草薙剣は、形代ですが源氏に奪われなかった史実がある。つまり、勝者に奪われなかったもの。主人公の凶器の行方を表現するにおいて、裏テーマを成立させるには『平家物語』に触れざるをえない。僕は『平家物語』を非常に好きになって、訳したいなと思ったら、もう古川日出男さんがやっていた(笑)。

――『平家物語』のどんなところが面白いんですか。

中村:天皇が三種の神器で継承されることを知らない方は、実はたくさんいると思う。作中でも触れましたが、『平家物語』のクライマックスは、幼い安徳天皇や三種の神器の剣と玉が壇ノ浦の海に沈むところ。別の女性が鏡も持っていこうとして阻止される。敗れる側が、天皇と三種の神器を海に沈めようとしたわけです。自分達以外の天皇は認めないとでもいうように。こんな凄まじい状況はなかなかない。あと、粗暴で欲望が溢れる木曽義仲は『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)のドミートリイーを思わせる。平清盛なんて、日本文学に現れた初期の悪といえます。ただ、『平家物語』は長すぎる。僕だったら4分の1にできます(笑)。

――『彼の左手は蛇』ではタイトル通り、腕が焦点になりますが、中村さんの作品は手先、指先に注目したものが多くないですか。

中村:そうですね。『掏摸〈スリ〉』(2009年)の指や『その先の道に消える』の縄、『銃』とか、やたらと指先の動きが出てきますね。

――観念だけではなく、指先の具体的な感触の描写があることが、リアリティにつながっている気がします。

中村:抽象的なものだけだと読者に伝えるのは無理だし、より現実的な描写が必要です。僕自身が、元々手先が器用というのもある。

――毎回、あとがきで「共に生きましょう」ということを書かれていますけど、本によって微妙に言い回しが違う。今回は「共に生きていけたら嬉しいです」です。

中村:この言葉は何度も書いてるし、読者のみなさんはわかっているだろうから、書くのをやめようと思ったんです。でも「あれがいい」というお手紙をたくさんいただく。でも新規の人は「?」となるだろうから、ずっと読者でいてくれる人も、新しい人も、違和感なく受け取ってもらえるような形にしています。

現実のなかだけで生きるのが苦しくなってきている

――中村さんは最近、『週刊金曜日』」で雨宮処凛さんと民主主義に関して対談するなど、現実社会に対し発言する機会がありますが、小説と現実の距離はどうとらえていますか。

中村:『R帝国』や『逃亡者』、短編では「A」や「B」などで、政治的な小説を書きました。現在の右傾化に危機感を持っているからです。でもそういう小説は既に色々書いたので、今は、政治的な発言はエッセイや言論の場でやって、小説では政治的なことは書かず、書いても文学的に表現するようになっています。

――「文学的に」とはどういうことですか。

中村:今回で言えば、さっき話したアメリカ云々の箇所のように、裏テーマとしてそうとも読める、という風にしています。インタビューだから色々言いましたけど、この小説は、政治的なことは全然考えなくても読めますので。考えるきっかけにはなるかもしれませんけども。

 今の戦争を見ていても、とにかく強者の論理です。この小説に出てくる昔の日本の考え方、怨霊というものを意識して世界を見たらどうなるか。でも、作中に出てくる言葉ですが、フランスの作家カミュは、近代の革命は逆に国家の強化を生んだ、と言います。暴力は、逆効果になることが多い。世界を改善するのには、しんどくても少しずつやっていくしかない。そういうメッセージは入っている。現代小説を書く上で、現代の悲劇を無視することは僕にはできない。でも小説のメインは、蛇と出会った一人の男の精神史です。

――中村作品にはエンタメ性もありますがその辺りはどう考えてますか。

中村:そもそも純文学って、もっと面白いものだと思う。物語性があると純文学じゃないなら、ドストエフスキーもギリシャ神話も否定されてしまう。内容が深くて物語も面白く、引き込まれるものがいい。今回も刑事との対峙やテロへの展開など、エンタメ性もありますね。

――新作で蛇信仰をあつかったわけですが、最近、宗教への関心が一般的に高まっているように感じます。加藤喜之『福音派――終末論に引き裂かれるアメリカ社会』(中央公論新社)など関連した新書も売れているようですし。

中村:福音派への興味には、トランプ大統領とアメリカでの現象を見ての怖さがあるんでしょう。僕の今回の小説は、抑圧的な宗教や社会に対するカウンターとしての蛇信仰なので、意味合いは大分違います。

 基本的に今、人は現実のなかだけで生きるのが苦しくなってきているんですよ。アニメ市場に人が集まるのもそうだし、推し活の活況などもそれを潜在的に反映しているように感じます。僕はザ・たっちさんを見ると和むんですけどね(笑)。あと、ここ1年くらいで詳しくなったのですが、TWICEの方々を尊敬していますよ。東アジアの問題に理不尽に巻き込まれたりしても、9人揃ったままもう10年、多くの人々にその存在で力を与えている。歌もダンスも格好いいし、素晴らしいですよね……。あ、最後、全然関係ない話になりましたね(笑)。

■書誌情報
『彼の左手は蛇』
著者:中村文則
価格:1,760円
発売日:2025年10月30日
出版社:‎河出書房新社

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