高田漣に聞く、吉祥寺と文学と家族への想い 初小説『街の彼方の空遠く』執筆の背景
音楽家・高田漣による初の小説『街の彼方の空遠く』(河出書房新社)は、音楽、小説、映画をはじめとする創作物への溢れんばかりの愛、家族に向けられた様々な感情、舞台となった吉祥寺への思い、さらに戦前戦後の歴史や戦争を巡る記述などが縦横無尽に編まれた“SF的青春私小説”だ。
1994年の夏、サンプラーに読み込んだフロッピーディスクのエラーから物語が起動する「第一幕 フォーク・ソング または44/45」、ウェスタン・スウィングのリズムから始まり、大正~昭和の激動とジャズの受容が描かれる「第二幕 ネイチャー・ボーイ または考察三一」、そして、吉祥寺の街並、そこで行き交う人々の思いや記憶が“近未来のノスタルジー”と称すべき情感へとつながっていく「第三幕 恋は桃色 ~16 coaches long~」からなる“吉祥寺三部作”として構築された『街の彼方の空遠く』。本作の執筆プロセスを軸にしながら、これまでの読書遍歴、両親との関係や思い出などについて、高田漣に話を聞いた。
『街の彼方の空遠く』執筆の背景
高田:第一幕から第三幕まであるんですけど、この順番通りに書いたわけじゃないんですよ。最初に書いたのは第二幕の「ネイチャー・ボーイ」で、その後に一幕、三幕を書いて。それぞれ別で発表した後、一つにまとめたという感じですね。「ネイチャー・ボーイ」のアイデアはだいぶ前からあって。小説のなかにも出てくるスペード・クーリーという音楽家の話をウェスタン・スウィング調の楽曲に落とし込みたくて、何度もトライしてたんですよ。ちょうど細野晴臣さんの“東京シャイネス”をやっていた頃なんですけど、やってもやっても上手くいかなくて、To Doリストに入れたまま棚上げしていたんです。その後、コロナ禍で時間が出来て「小説を書いてみようかな」と思ったときに、たまたま(スペード・クーリーを題材に曲を作る)メモを見つけて。「これを物語にしてみたらどうだろう」と考えたのが始まりですね。その物語をいったん書き終えて、「なにか書き足りないな」「もっと書ける要素があったはずなんだよな」と思って、もう一つ、全然違うアプローチで書いてみようと考えました。音楽でいうと、まず1曲書いて、それが呼び水になって全然違う曲を書くみたいな感じです。
ーーそれが第1幕につながった、と。第1幕は1994年~95年あたりの吉祥寺を舞台にした物語ですが、もちろん高田さんご自身の体験も反映されているんですよね?
高田:私小説的な要素があるように読めると思うんですけど、実際の体験とはちょっと時期がズレているんですよ。第一幕に書かれている友人とのエピソードは、実際は92~3年だったりするので。どうして94年から95年のことを書きたかったかというと、また音楽の話に戻るんですが、『ナイトライダーズ・ブルース』(2017年)というアルバムを作っていたときに、94年、95年頃に観たり聴いたりしたものが自分のコアの一部になっているなと実感したからなんです。Windows 95が登場したり、時代的にも分かれ道だったじゃないですか。この小説に取り掛かったのは20192~20年だったから、94~95年からちょうど25年経った時期で、逆に94~95年から半世紀前を考えると、そこにも時代の断層があることに気づいたんです。
ーー1944年から45年は、戦前・戦後の断層ですね。
高田:ええ。そこから「戦時下のアメリカの映画界では何がおきていた?」みたいなことを考え始めたんです。アメリカは戦前・戦後も作品を量産していて、そのなかの一つに『The Blue Dahlia(邦題『青い戦慄』)』という映画があって、脚本はレイモンド・チャンドラーなんです。その映画の完成までのエピソードだったり、その周辺のことが頭のなかでマッシュアップされて、第一幕の物語に収斂されていきました。第一幕の最初のほうに「サンプラーに挿入したフロッピーディスクの読み込みエラーから世界が混沌として、並行世界が生まれて……」という話が出てくるんですけど、それはデヴィッド・クローネンバーグ監督の『スキャナーズ』や『ヴィデオドローム』などを頭のなかで思い出しているなかで、物語が増殖していった感じもあります。
ーー漣さんの記憶のサンプラーが再構築されているというか。
高田:第一幕を書き終えたときは「そうか、こんなことを書きたかったのか」みたいなところもありました。その時点では発表する予定がなかったんですけど、1年くらい経った頃に、自分の出身大学(成蹊大学)の名誉教授だった宮脇俊文さんが『ケヤキブンガク』(水曜社)という雑誌を立ち上げて、「何か書いてくれない?」という依頼がありました。「武蔵野発」や「文学や音楽が交差するような」といった雑誌の趣旨を聞いて、「これはどうですか?」と第一幕と第二幕の原稿を送ったら、宮脇先生から快諾の知らせと「決まりはないんだけど、こういうのは大体“三部作”なんじゃない?」と返事が来たんです。だったら書いてみようかと思い、第三幕に取り掛かったという。
母との思い出と「愛について」
高田:自分から書きたいというより、自分の母親にそうふうに仕向けられた……というと言葉が悪いんですけど(笑)。今振り返ってみると、そういう道を作られてたところはあるんだろうなと思います。この小説が完成する前に母親は亡くなってしまったんですが、ケヤキブンガク版を読んでくれて「懐かしい」「古いアルバムを開いたようね」と言っていて。というのは、小説のなかに出てくる挿話の多くは、母親と一緒に話しながら作ったものなんです。第一幕の「人類が死ななくなって、永遠の生を得たとしたら?」という問いもそうで、僕と母親のなかではずっと前からのヒット作というか、子どもの頃からさんざん話してきたことなんです。
ーー子供の頃、オリジナルの物語を一緒に作ってたんですか?
高田:そうなんですよ。僕は小さいとき、すごくお喋りで、小学校でも先生を困らせてたんです。そのとき母親が、心配したのか呆れたのか、「くだらないことばかり喋ってないで、それを物語にして私に話なさい」と言い出して。母親からテーマを与えられて、それをもとにした物語を作って話してたんですよ。まあ遊びみたいなものなんですけど、それをいちばんやっていたのは自転車に乗ってるときで。母と二人でけっこう遠くまで自転車で行くことがあって、そのときにずっと物語を喋らされる。そういった体験で、ちょっと鍛えられたのかもしれないですね。
ーー物語を生み出す力が蓄えられた。
高田:そういうところがあるのかなと。僕と母がいつも自転車に乗って喋ってる姿を見て、友部正人さんがそれを歌にしてるんです。「愛について」という曲で、後に矢野顕子さんがカバーしています。「愛について」も小説にちょっとだけ引用させていただいてます。
ーーあの素晴らしい曲のモデルは漣さんとお母さんだったんですね。
高田:まあ、ちょっと変わった親子に見えたんでしょうね。大きくなってからも、母親から「これ読んでみたら」と本を渡されることがあって。村上春樹の『ノルウェイの森』もそう。「これを中学生の息子に読ませるか?」と思いましたけど(笑)。その頃から「あなたはモノを書く人間になるでしょう」と言われていたんだけど、たまたま楽器に出会ってしまって、グッとのめり込んで。数年後にプロデビューしたわけだけど、音楽家は別れた旦那(高田漣の父、高田渡)の仕事でもあるし、母は「それはそれで悪くないか」と思ってたんじゃないかな。でも、かなり時間が経ってから僕が小説を書き始めて、母としても面白かったのかもしれないですね。恩返しできたところもあったと思います。書いてるときも何度も連絡して、「あの話に出てくる〇〇さんって、どんな人だっけ?」みたいなことを聞いたんですけど、「あれはこうで……」って何でも覚えてるんですよ。すごく記憶力がいい人でしたね。
高田:結果的にそうなりました。“吉祥寺三部作”も最初から考えていたわけではなくて、さっき話したように宮脇先生の提案なんですよ。「“吉祥寺三部作”ってどう?」とたぶん軽い気持ちで仰ったと思うんですけど(笑)、そこから「三部作って、どんなのがあるかな?」といろいろ考えて。森鴎外のドイツ三部作(『舞姫』『うたかたの記』『文づかい』)だったり、ポール・オースターのニューヨーク三部作(『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』)だったり。自分の家の本棚を見て、そうか、サミュエル・ベケットの小説三部作(『モロイ』『マロウン死す』『名づけられないもの』)もあるなって思って、突然『名づけられないもの』が気になったんです。名前のない主人公がいて、語られない名前があって。理由はわからないけど、名前を忘れたのか、あるいは忘れようとしているのか……と想像しているときに、「これって『恋は桃色』だ」と思って。
ーー細野晴臣さんのアルバム『HOSONO HOUSE』に入っている名曲ですね。
高田:〈ここがどこなのか どうでもいいことさ/どうやって来たのか 忘れられるかな〉という歌詞があって、そこからいろんな風景が浮かんできて。宮脇先生に「第三幕のタイトルは〈恋は桃色〉にします」とお伝えして、そこから書き始めました。最初の二つに比べると、熟慮しながら書いた感じもあります。
ーー確かに第三幕は作家的というか、構築されている印象がありました。
高田:最初に書いた第二幕はアイデアが先にあったし、スッと書けたんですよ。小説の帯を書いてくださった、いとうせいこうさんも「最初の『ノーライフキング』はすぐに書けたけど、次の『ワールズ・エンド・ガーデン』はなかなか書けなかった」と仰っていて。確かカート・ヴォネガットも似たようなことを言ってたんじゃないかな。僕もそうだったというか、第一幕、第二幕に比べると、第三幕はかなり大変な思いをして書きましたね。