十九世紀前半の大英帝国は「翻訳の魔法」で力を獲得していたーー圧巻の架空歴史SF『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』

 さて、粗筋で書いた衝撃的な事件は、上巻のラストで起こる。そして下巻で四人はイギリスに戻るのだが、ストーリーは加速し、とんでもない事態になっていく。ここまでくると、ロビンたちの行く末を見届けたくて、ページを繰る手が止まらないのだ。

 それにしても、作者の小説技巧は見事だ。本書の内容からして、新入生四人の中に、イギリス出身のレティがいることが、ちょっと不思議であった。しかし下巻の展開と、大英帝国の象徴として、彼女は必要だったのである。また下巻でバベルが物語の中心になる構成も素晴らしい。どこもかしこも考え抜かれているのだ。

 だから、広東とイギリス、バベルとヘルメス結社という、二つの世界の間で悩むロビンの苦悩が際立つ。対立する登場人物の会話から、本書のテーマが浮かび上がってくる。友情も青春も押し潰す巨大な国家の暴威に対して何が出来るのかと思い、本を閉じた後、しばし茫然となった。

 なお、王立翻訳研究所の通称であるバベルは、もちろんバベルの塔を意識した命名だ。かつて人々は、天にも届く塔を造りだしたが、その行為に問題があったのか、それまでひとつだった言語を主は幾つにも分け、世界中に人を散らしたのである。人間が傲慢だった結果なのだ。だから、大英帝国の傲慢の象徴である王立翻訳研究所の通称は、バベルなのである。また、言語と翻訳にこだわっている物語の舞台としても相応しい。先に架空歴史SFと書いたが、同時に言語SFともいえる作品なのだ。物語の世界に入り込み、時間を忘れる読書をしたい。そう思っている人に、迷わずお勧めしておく。

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