桜庭一樹が考える、作者とファンと批評の理想的な関係性 「論理的な批判と感情的な悪口は異なるもの」
論理のある批評は必要なんじゃないか
――最近は、SNSで言いたいことを言うために作品を引用したものがバズり、読んでもいない人に誤解されて炎上する、みたいなことも多いです。先ほど、気軽にというお話がありましたが、一般の読者も紹介するからにはやはり、真摯に向き合ってほしいなと思います。
桜庭:確かに、マンガの一コマを使って大喜利しているのを見ると、おもしろいものもあるんだけれど、読んだことのない作品だと、本当はどういうシチュエーションで、どういう意味で使われたセリフなのかわからないまま、大喜利的なインパクトだけが残ってしまいますね。あと、作品に対する少数のネガティブな意見が拡散されて、マイナスイメージを植えつけてしまうこともあります。そういうときにこそ、作品を精読した上で忌憚なく論じる批評が必要とされるんじゃないでしょうか。
――たとえ自分と異なる意見だったとしても、論理に基づいたものであれば、冷静に受け止められる気がしますね。
桜庭:そうですね。ただファンダム(ファン)のある作品だと、筋の通った批評も抗議を受けたり炎上したりしてしまうこともありますよね。私の『GOSICK』というシリーズ作品も、メディアミックスされたこともあり、ファンダムがついてくれていました。私が見た限りはですが、ファンのほうが批評家よりも作品のデータに関して詳しい場合、炎上しがちかもしれません。また、ファンにとって原作者は神に等しく、作品だけでなく神の「脳内」まで原作という扱いをされることもあります。だから批評家に対して、神の脳内まではわからないのに、作品だけを見てあまり決めつけないでほしい、という批判も出てきます。正直、こういうときの批評家は大変だろうと思います。
――それはそれで、不健全な感じがしますね。
桜庭:作者の言葉だけが絶対であるのも、ファンの愛だけが優先されるのも、批評の言葉だけが権威をもつのも、どれもきっとしんどいですよね。三者がバランスよく存在することが、小説の未来のために大切なんじゃないでしょうか。小説と批評とファンの間で、有益な対話が続いてくれることを祈っていると、本書の締めくくりに書きましたが、その結論にたどりつけたとき、自分も解放されたような気持ちになりました。書き始めた当初は、じつは結論がどうなるかわからないまま書いていました。書き終わった今は、批評は必要だと作家からも言葉にすることで、批評家の方が少しでもより自由に、忌憚なく論じることができるようになるなら、もし間接的にそういう役にも立てたら、書いた甲斐があったと思っています。
批判されることが怖くなくなりました
――本書がとてもすてきだなと思ったのは、桜庭さんがいろんな立場に身を置きながら、そしてご自身の価値観の揺れをも感じ、答えを模索している姿でした。その積み重ねで生まれているから、本書の言葉はどれも響くのだと思います。
桜庭:私自身も、誰かの作品を誤読してしまうことはあるし、ファンダムの一員として誰かを一方的に消費していることがあります。古い価値観をぬぐいきれないまま炎上している人を見て、的外れな言い訳をしてさらに炎上しているところも含めて「ああなってしまった心理がわかる。私にもああいう悪しき面が隠されているから」と思うことも。私自身、批評家の方に自分の加害性について批判的な論を述べられたことがありました。これについて、的外れな言い訳をして高圧的な態度でごまかすという道もあったかもしれません。でも、理解できるまで考えて、批評への返答としても『名探偵の有害性』という小説を書くことにしました。
――あれは、すごい小説でした。時代とともに価値観が変わったことで、いちばんつらいのは、そのとき最善だと思ってしてきたことが実は間違っていたと突き付けられる……生きてきた道が否定されることだと思うのですが、その痛みにとことん向き合ったうえで「今」を生きる手がかりをもらえた気がしました。
桜庭:私は古い価値観を内面化しがちな世代の人間ですから、下の世代の方と対話するときはワンストロークごとに「自分の考えが間違っていないか」と考えてへとへとになっていることが多いんです。相手はその場に落ち着いて立っているのに、自分だけ校庭を全速力で一周してはぁはぁ言いながら戻ってきて、「よし、この考えは間違っていない」と思って返事をする。体力をめちゃくちゃ消耗している。そういうイメージです(笑)。アップデートとは、必ずしも新しいことを学ぶだけでなく、そんなふうにして過去の自分や今の自分を疑って点検する作業のことでもあると思っています。
――それもまた、桜庭さんにとって「読まれる覚悟」のひとつなのだと、本書を読んでいて感じます。
桜庭:対話の中で否定的な意見を言うことは必ずしも、相手や作品を全否定することではないということに、ちゃんと納得できたことも大きいような気がします。私と同世代の人たちは、相手に共感して肯定しながら会話することに慣れているんですよね。でも少し下の世代の方々とお話していると、相手の意見を受け止めて、理解を示したうえで、「私はこう思う」と異なる意見を提示するコミニュケーション術が発達しているように感じます。私ぐらいの中高年の多くの人は、全肯定するか、攻撃に似た否定をするか、あるいは黙るか。その三択を基本にして生きてきたところがあるんじゃないでしょうか。そうではない対話方法を学んでいる時期と、この本の原稿を書く時期が重なったことは、自分にとってよかったんじゃないかなと思います。
――本書を書き終えたことで、新たに見えてきたものはありますか。
桜庭:批判されることが、前ほど怖くなくなったかもしれません。論理的な批判と感情的な悪口は異なるのだということ、そしてその区別をどうやってつけるべきかということが、本書を書くうちによくわかってきました。それがわからないと、理にかなった批判も、差別や偏見も、個人攻撃も、全部同じように自分への否定として受けとめて、苦しんだり、「受け入れられない自分が悪いのだろうか」と追い詰められてしまうんじゃないでしょうか。でも今は、一つ一つ整理をつけられるようになりましたし、耳を傾けるべき批判には、次の小説に昇華することで応えていきたいと、より思えるようになりました。〈解釈されることは、傷を受けること〉というのは変わらないんだけれども、傷を受けることに対して、より自覚的にも冷静にもなりました。自分の問題点に向き合いながら、様々な方の考えにも耳を傾け、対話し、今後も考えていきたいと思います。
■書誌情報
『読まれる覚悟』
著者:桜庭一樹
価格:880円
発売日:2025年1月10日
レーベル:ちくまプリマー新書
出版社:筑摩書房