映画化で再注目! エンタメから純文学まで『八犬伝』が与えた多大なる影響

『MOVIE WALKERムックVol.2 映画『八犬伝』オフィシャルBOOK』

 2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』は、江戸時代に喜多川歌麿、東洲斎写楽などの浮世絵、山東京伝などの洒落本を出版したことで知られる蔦屋重三郎が主人公だが、彼のもとで頭角を現したなかには十返舎一九や滝沢馬琴も含まれていた。蔦屋の死後、一九は滑稽本の『東海道中膝栗毛』、馬琴は読本の『南総里見八犬伝』というヒット作を書いた。このほど公開された映画『八犬伝』は、馬琴がその長大な作品をいかに執筆したかを役所広司主演で描きつつ、並行して怪奇とチャンバラに彩られた『八犬伝』の物語を映し出している。

 本名は滝沢興邦、筆名は曲亭馬琴。両方をあわせた「滝沢馬琴」が、通称として一般化している。蔦屋の時代には洒落本や黄表紙など絵の割合が高い軽めの読み物がよく売れたが、幕府の風紀取り締まりが厳しくなった後には、文字の物語を中心とした読本が人気を得た。その代表格が馬琴だが、読本でも挿絵は重視された。彼のもう1つの代表作『椿説弓張月』で絵を担当したのは葛飾北斎であり、2人には交友関係があった。『八犬伝』の挿絵を主に描いた柳川重信は、北斎の娘婿である。

山田風太郎『八犬伝【上下合本版】』(角川文庫)

 映画『八犬伝』は山田風太郎の小説『八犬伝』(1983年)を原作としており、馬琴が生きる実の世界と『八犬伝』の虚の世界が並行して進む構成は、原作を踏まえている。実の世界では、北斎との交流を中心に口うるさい年上女房・お百、医者になったが若死にしてしまう息子・宗伯、老いて失明した義父の創作を口述筆記で支えた宗伯の嫁・お路という人間関係から馬琴の戯作の日々を語る。

 それに対し、虚の世界である読本『南総里見八犬伝』は馬琴が28年かけて完成させた大長編であり、岩波文庫版で全10巻もある。今回の映画は2時間半と長めだが、虚の世界にさけるのは1時間ちょっとしかなく、読本の通りとはいかない。このため、山田の小説以上に映画では虚の物語部分をアレンジし、大胆に簡略化している。

『現代語訳 南総里見八犬伝 上』(河出文庫)

 室町時代の安房国(千葉県の房総半島南部)に実在した大名・里見家の伏姫が、父・義実を恨み死んだ玉梓の怨霊の呪いによって、体に牡丹の花のような八つの模様がある猛犬・八房に嫁入りしなければならなくなった。伏姫の信心で八房の魂は浄化されるものの、姫と犬が死んだ後、両者の霊的な子どもといえる八犬士が離れた各地に生まれる。いずれも姓に「犬」の字を含み、人の徳を表す「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の1字の浮かぶ不思議な珠を持ち、体のどこかに牡丹の形の痣がある。それが、犬士の徴だ。最初は互いを知らない彼らが、運命の絆で引き寄せられ、やがて揃って里見家の危難を救おうとする。以上が物語の大枠である。

 犬山道節の火遁の術、犬塚信乃と犬飼現八の屋根の上での決闘、犬坂毛野の女装での仇討ち、犬村大角の化け猫退治など、『八犬伝』には名場面が多く、映画はそうしたパートをつなぐことで物語を要約した。限られた尺で山田の小説の構成を踏襲するなら、そうするしかない。江戸時代に本の挿絵だけでなく浮世絵にもされた名場面を、映画はCGを多用し現代の絵として見せたわけだ。そうして非日常の冒険と馬琴の悩み多き日常を対比した。

坪内逍遥『小説神髄』(岩波文庫)

 読本『八犬伝』は発表当時に人気を博したから、今の人気マンガのように刊行が長期化したし、後世への影響も大きかった。だが、明治時代の文明開化で日本の文芸も近代化されるなかで『八犬伝』は、厳しく批判された。同作は勧善懲悪で犬士は正しいことしか考えず、人間味がない。物語が説教の道具になっている。そんな否定論を、文学は人間の本当の姿をとらえるべきだとの観点から坪内逍遥が唱え、一定の説得力を持ったのだ。

 山田の小説でも映画でも『八犬伝』では、同時代に『東海道四谷怪談』などで人間のずるさ、欲を赤裸々に描いた鶴屋南北と、読本で理想を追求した馬琴が創作論を戦わせるのが見せ場となる。2人の架空の対面は、坪内のような批判を意識して作られたのだろう。

 ただ、近代文学からの批判があったとはいえ、『八犬伝』は忘れられず、今でも影響力を残す。とはいえ、馬琴の原文を読んだ人は少ないだろう。『南総里見八犬伝』はもともと、各地にちらばった百八人の豪傑が運命に導かれ集結する中国の古典『水滸伝』にヒントを得て大枠が考えられ、ほかにも『三国志演義』、『太平記』など、中国や日本の先行作品からいろいろ着想を得ている。エンタメあれこれからのいいとこ取りという性格を持つ。だが、出発点が中国であるだけに原文は漢字を多く使い、読みやすくはない。このため、発表当時から絵の多く入ったダイジェスト版や歌舞伎の舞台化などで『八犬伝』に親しんだ人は多かった。今でいう二次創作が、江戸時代から盛んに行われたのだ。

 『八犬伝』はもとのストーリーが語り直されるだけでなく、馬琴が『水滸伝』をきっかけに同作を生みだしたのと同様に自由にアレンジされ、そうした連鎖が現代まで続いている。読み物や歌舞伎だけでなく、講談、映画など、古くから様々なジャンルで『八犬伝』はネタにされてきたし、マンガ、アニメのほか、スーパー歌舞伎、宝塚、ミュージカルなど多様な舞台化もされてきた。

石山透『新八犬伝』(角川文庫)

 今回の映画『八犬伝』を監督し脚本も書いた曽利文彦は、山田風太郎の小説以前に、NHKの連続人形劇『新八犬伝』(1975年)に夢中になったという。子ども向けながら、坂本九の軽妙な語り、辻村寿三郎の妖しさ漂う人形が魅力的で、音楽には三味線、鼓、拍子木も使い、文楽、歌舞伎的な演出を交えたこの人気番組は、馬琴のエンタメいいとこ取り精神を継承していた。残念ながら映像は一部しか残っていないが、脚本の石山透が残したノベライズ本で雰囲気はうかがえる。同作は『新八犬伝』に『弓張月』など他の馬琴作品の要素も盛りこむ荒業をみせたのが興味深い。

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