杉江松恋の新鋭作家ハンティング 小説が待ち焦がれた才能、坂崎かおる『嘘つき姫』

 自分にとって我が身のように大切な誰か、何かがあるということ。

 それを奪おうとする行為に対しては全存在をかけて抗うということ。

 その二つが坂崎かおる『嘘つき姫』(河出書房新社)収録作の根底にある。短篇集なのだが、読みながら神話的構造が目の前に浮かび上がるような感覚があった。雑誌掲載やアンソロジー収録の形で目にする機会が増え、いつかまとめて読みたいものだと思っていたのが意外に早く実現した。版元の英断を讃えたい。小説が待ち焦がれた才能、正真正銘「待望」の初作品集、という帯文はまさにその通りである。

 私が初めて読んだ坂崎作品は『SFマガジン』2021年8月号に掲載された「電信柱より」であった。第3回百合文芸小説コンテストのSFマガジン賞を受賞した短篇で、本書にも収録されている。不要になった電信柱を切る仕事をしているリサという女性が主人公だ。「その夏の日、リサは激しい恋に落ちた」という一文から小説は始まる。その恋の対象が電信柱であるということが、やがて判明する。リサは「自分の性的指向が『女性』に向くものだとは思ったことがなかったし」「自分はそうやってシンプルに生きてきたと思っていた」。だが、切るために調査した電信柱の一本に激烈な恋をし、それが女性であることがわかったときに彼女の人生は一変するのである。

 一口で言えばストレンジ・フィクションに属する小説だが、奇妙な着想のみに頼って書かれた作品ではない。皮膚感覚を伴う恋慕の感情がひしひしと迫る筆致で描かれており、本来はありえない出来事が読者の心を捉えて離さない。くだんの電信柱はある夫婦の住む家の敷地内に立っていた。その夫である〈私〉が語り手であるということは、ある程度物語が進行したときに初めて明かされる。「リサは」と距離感をとって叙述していた語り手の正体がそういう人物であったとわかったときに読者との距離は縮まり、以降は〈私〉と感覚や感情を共有する形でリサの動向を追っていくことになる。そうした詰め方、読者との距離感制御が抜群に巧い。リサと〈私〉は立場が異なり、彼女の内面を代弁することは絶対にできない。だからこそ、その感情を語ろうとする言葉に引き込まれるのである。

 電信柱とリサの境遇にある決定的な変化が訪れる。そのときに「本当のところはわからない。彼女の言葉が、電信柱に伝わったのかどうかもわからない」ので「私たちはただ、電子柱の腰を掴み、ゆっくりと何かを削られていく彼女の横顔を眺めているだけ」だ。「ゆっくりと何かを削られていく」という言葉のひりつく感じが本当に巧い。

 この「電信柱より」一作で坂崎は、私にとって気になって仕方ない存在になった。本書には九篇が収められており、出産と子育てに関する女性神話を巡る「私のつまと、私のはは」、うっすらとした同調圧力がある中で自分の居所を模索する少女が主人公の「日出子の爪」の二篇が書下ろしだ。後者には幻想小説的な風合いもある。

 巻頭の「ニューヨークの魔女」は直流か交流かで電気事業に関する議論が割れていた1890年代、いわゆるアメリカの〈金ぴか時代〉が舞台の物語で、歴史改変小説と言うこともできる。自身の技術を正当化することを迫られていた電気事業者が、ある発見に飛びつく、という話なのである。そこにグラン・ギニョル、つまり残酷趣味を伴う見世物めいた趣向が加わるのだが、細かく書くのは遠慮しておこう。この着想はSF的なものだが、物語にはミステリー的な技巧、プロットのひねりが加わっており、それによって冒頭に書いたような主題が浮かび上がってくる。一篇の中に盛り込まれた要素が半端ではなく多い。それを作者は物語の器から溢れさせることなく処理しており、手際の良さが新人離れしている。並々ならぬ才能があることが窺い知れるのである。

 最も分量があるのは表題作で、第二世界大戦下、ナチスドイツの侵略によって危機を迎えたフランス国内が舞台だ。語り手の〈わたし〉ことマリーの母親は、父親不在の中一人で娘を育てている。どんな不利な状況も物語のような嘘で包み込んでしまう母親である。だが読者は、その嘘の効用がどれほどのものかと不安に駆られるだろう。迫りくる戦乱という圧倒的な現実は、個人の嘘など簡単に踏みつぶしてしまうはずだからだ。やがてその日が訪れ、母親に「ピクニック」に行きましょうと誘われてマリーは家を後にする。言うまでもなくそれに続くのは生きるために行わなければならない、絶望的な逃避行である。難民の群れと共に母娘は歩き続ける。ドイツ軍機による地上掃射が行われ、命がいくつか失われる。その中に両親を失って茫然と立ち尽くす少女の姿を認め、マリーの母親はとっさに行動を起こした。以降その少女エマは、マリーの姉妹として行動を共にすることになる。

 痛ましい戦争の物語は、やはり途中でひねりのある展開を迎え、そこから一気に物語は佳境へと向かっていく。ここでも主題の浮かび上がらせ方が見事で、最後まで読まないと全体の真意を掴めないかもしれない。構成自体にある工夫がされていて、なるほどそういうことだったのか、と読後に腑に落ちた。

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