『文學界』編集長・浅井茉莉子インタビュー「文芸誌が生き残っていけるかは、たぶんこの5年10年くらいが正念場」

批評と小説の力関係も変っているのは実感

――「文藝」、「群像」のリニューアル以降、近年の文芸誌は変わってきたと思いますし、新しい書き手の起用など浅井さんも変えた1人ですが、今の状況をどうとらえていますか。

浅井:「群像」や「文藝」は、両編集長がやってきたこととリニューアルがちゃんと合致しているのを感じますし、やっぱり面白い。自分の場合、やりたいことがあまりないので、やりたいことを見つけたら大事にしようかなと思っているくらいです。「文學界」は旧くからある雑誌で、保守的な側面がある一方、自分が読むようになってからをふり返ると、突拍子もないこともしていて、両極端がある雑誌かなと感じます。

――浅井さんも雑誌を両極端な方向へ持っていった1人でしょうけど、ご自身では新しい風を入れてやろうという意識はあるんですか。

浅井:そんなのはないですね。自分が気になる人、面白い人と仕事がしたいとは思っていますが、流行を作りたいとかはない。新しい書き手については、文學界新人賞で募集するとともに、どこかに書ける人がいるならぜひお願いしたい。ただ、それを方針として打ち出すのは違う気がするし、粛々とやっていきます。

――そういえば「群像」、「文藝」には編集後記がありますけど、「文學界」にはないですね。

浅井:編集長は黒子という意識が強い会社なんだろうと思います。

――芥川賞、直木賞を運営している会社だということもあるでしょうし。

浅井:編集部員がどんどん変わっていくなかで、それでも会社として上の世代から新人まで幅広く作家の方とおつきあいしていることが、雑誌を支えている。それは、確実に反映されていて、伝統が受け継がれているのを感じます。

――伝統というと、「新人小説月評」もやり続けなければいけないものになっていますね。

浅井:現代において批評がどう機能しているかという話はすでに色々な場で語られていると思いますが、本を読む人たちが減るなかで批評と小説の力関係も変っているのは実感しています。昔は権力関係がかなりあって、作家は言われるがまま反論できなかったという話を聞くこともあります。今は作家の力も均衡しているようにも思いますが、一方でいろいろな読まれ方をされた方が小説にとってもよいと感じます。SNSが全盛の中、「新人小説月評」は1作品ごとをそう長くは言及できないもどかしさもありますが、大事な場と考えています。

『文學界 2024年5月号』

――2024年の号からは表紙デザインが変わり、いくつか新連載も始まりました。そのなかで1月号からスタートした「ビブリオ・オープンダイアローグ」(石田月美×頭木弘樹×畑中麻紀×横道誠)は、うち一人が文学作品のキャラクターになりきって自分の悩みを語るという形式で会話を交わす内容。1月号ではトーベ・ヤンソン『ムーミン』シリーズのスナフキン、2月号ではフランツ・カフカ『変身』のグレゴール・ザムザ。批評のあり方が難しい時代にあって興味深い試みですね。

浅井:面白いですよね。かつてのように、強い発言力を持つ大家がいて、その人の意見が正しいとされたり、そこに反論して意見をぶつけあうみたいなコミュニケーションのとり方が今は難しい。だから、この企画でも、話しあいながら大きい一つの意見のまとまりを作るのではなく、みんなでブレインストーミングする。小説を読むというのは、頭のなかでこういうことをやることかもしれないので、とてもいい企画だと思います。面白いことにこういうものを載せると、同じ号の東畑開人さんの連載エッセイ「贅沢な悩み」と内容が呼応したりして、意図しているわけではないのですが、同じテーマが違う角度から語られていたりする。そういうことが起きるのが、月刊誌の面白さだと思います。

――批評と聞いて真っ先に思い浮かぶ批評家は誰ですか。

浅井:世代的に、蓮實重彦さんですね。今も批評家の方はたくさんいらっしゃいますけど、かつての蓮實さんみたいな存在感を持つのは時代的に難しい。SNSのような大きなシステムにみんなが集約されていく感じになっている。今はそれに対抗しなければいけないようなものだし、批評がそうする以前に小説自体がそういうものですよね。

――言葉をめぐる環境という点では、『ハンチバック』(2023年)で文學界新人賞、芥川賞を受賞した市川沙央さんが、障碍者の立場から読書バリアフリーの推進を訴えて話題になりました。そのことにも関連しますが、電子書籍化、ウェブへの展開に関してはどうですか。

浅井:「文學界」も昨年9月号から電子書籍化したのですが、市川さんのご発言以前から計画していて、編集長の交代にあわせたらそのタイミングになったんです。同号はエッセイ特集だったので、インターネットで広く読まれるのではないかとの期待もありました。ネットに関しては、座談会などの記事を毎月3、4本くらいnoteに転載していたんですが、最近やめています。それを読んで面白いから雑誌を買うという流れには、どうもなっていないなと。読んでもらえば面白いはずですけど、なにが載っているかを知ってもらえないもどかしさがある。「文學界」でいろんなジャンルの人にコラムやエッセイを書いていただくのは、文芸誌なんか知らない人でも入ってこれるチャンネルを増やしたいからですが、もっと色々なことをしていかないとなと感じています。文芸誌が生き残っていけるかは、たぶんこの5年10年くらいが正念場だと思っているんです。生き残っていくという考え方がそもそも古いのかもしれないですが。

 昨年7月の異動で、文學界のメンバーが私以外、全員代わりました。私がデスク未経験だったのもあって、以前編集長だった田中光子が戻ってきてくれた。あとの2人は「文學界」が初めての20代半ばです。うち1人は単行本の部署で文芸の世界を知っていたんですけど、もう1人は営業からきたので編集はほぼ初めて。みんなで力をあわせ、毎号作らなければいけなくて、今は体制をまだ固めている最中ですね。自分としては、これからも変化球担当でいたいという気持ちもあります。文芸誌は本当に自由な場所だと思うので、せっかくだから遊ばないのはもったいない。編集者がコロコロ変わっても雑誌の土台は引き継がれていく。その土台で編集者各人が持つ興味、面白さを出して、みんなで面白い誌面を作っていきたいです。

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