前川ほまれ × 駒木結衣『藍色時刻の君たちは』対談 「被災地出身の自分にしか書けないこともあるのではないか」

前川ほまれ『藍色時刻の君たちは』(東京創元社)

 現役の看護師でもある作家・前川ほまれの小説『藍色時刻の君たちは』(東京創元社)が、第14回山田風太郎賞を受賞するなど各所から高い評価を得ている。

 自身の出身地でもある宮城県の港町を舞台に、ヤングケアラーの高校生3人が2011年の東日本大震災に直面する姿と、それから10年余りが過ぎた2022年に彼女/彼らが東京で再会するまでを描いた作品だ。人が人を支えることの難しさと尊さを描き出した内容は、今なお困難の最中にある能登半島の被災地をはじめ、これから起こりうるさまざまな災害に寄り添う意味でも、一つの有意義な視座を与えてくれる作品だ。

 リアルサウンド ブックでは、著者と同じく宮城県の港町出身で、現在はウェザーニュース気象キャスター・防災士として活躍する駒木結衣との対談を企画。2011年の東日本大震災の発生当時、ちょうど地元を離れていたために津波被害に遭うことはなかったものの、今なお心残りがあるというふたりが大切にしている想いとは。3.11を改めて考えるための機会としてほしい。(編集部)

前川「被災地出身の自分にしか書けないこともあるのではないか」

駒木:最初にこの小説を読んでこみあげてきたのは「なつかしさ」でした。もちろん、描かれているテーマは、震災とヤングケアラーという胸にずしんとくるもので、いろいろ考えさせられることも多かったのですが、舞台となる宮城県の港町の情景が、石巻で小学校6年間を過ごした私にはとても馴染み深いもので……。製紙工場の煙や、海沿いのちょっと生臭い潮風、独特の言葉の訛りがとてもなつかしく、ああ、これは私の日常と地続きの話なんだ、とも感じられました。

前川:僕自身も宮城の港町出身で、震災についていつか書きたいと、デビューしたてのころからインタビューでも話していたんです。今作を書こうと思ったきっかけは、看護師として働く職場でヤングケアラーに出会ったのがきっかけですが、ふりかえってみれば高校時代、家族を長時間サポートしている同級生がいたんですよね。それで、主人公を海沿いの町に住んでいることにしようと思い立ち、震災を書くことにもつながっていきました。

ーー本作の主人公は三人の高校生。統合失調症の母を世話する、祖父と三人暮らしの小羽(こはね)。双極性障害の祖母を介護する、父と三人暮らしの航平。アルコール依存症の母と幼い弟と暮らす凛子です。

前川:ヤングケアラーという言葉がここ数年で浸透したことで、周囲が窮状に気づきやすくなったり、制度にも動きがあり、利点はもちろんあるんですが、一方で本人の気持ちが置き去りになっている場合が多いのを感じています。家族をサポートしなくてはいけない理由もさまざまですし、介護に束縛されるから、イコール親を嫌いになるというわけでもない。むしろ愛しているからこそ複雑な感情が芽生えてしまうことも多く、凛子のように自立できないきょうだいがいれば、簡単に手を離すこともできない。三者三様の家族を通じて、一面的なラベリングがされることを避けたかったんです。

駒木:ここまで当事者のみなさんのしんどさを鮮明に描いた作品に触れたのは初めてでした。おっしゃるとおり、一口にヤングケアラーといっても、さまざまなケースがあるのだということがわかりましたし、すべてを理解することは難しくても、まず「知る」ことが私たちにはもっともっと必要なのだなと思います。

前川:臨床の現場に立っていると、どうしても患者さんばかりに目が向きがちなんですよね。でもあたりまえですが、患者さんの事情がそれぞれ異なるように、ご家族の置かれた状況も一つとして同じではない。ヤングケアラーとの出会いを通じて、自分の人生を自分で選択して生きていいんだよ、と伝えたくなったことも、今作を書くきっかけの一つです。

駒木「痛みを抱える人たちの支えになる」

駒木:三人に手を差し伸べる、青葉さんという女性がいますよね。ちょっと訳アリの、不思議な女性ですが、彼女が小羽に言った「いつかちゃんと、手を離しなさいね」というセリフが忘れられません。頭では理解していても、家族ってやっぱり、簡単には断ち切れない関係じゃないですか。どうすれば良い形で手を離し、それぞれが自分の人生を生きることができるのか、社会全体が考えられる仕組みがもっとあったらいいのに、と思いましたし、それを私たち一人ひとりが考えていかなくてはいけないんだなと。

前川:三人の過酷な日常に、少し強引にでもいいから光を差し込んでくれる存在がいてくれたら、という想いから生まれた登場人物が青葉さんでした。おっしゃるとおり、家族って、連絡先を消したらそれで終わる関係とは違い、同じ屋根の下に暮らしている以上は、どうしても距離をとることができない。そういうとき、必要になるのが第三者の介入であったり、ワンクッションをおくことなんだろうな、と。

駒木:いったん距離を置く、というのが難しい間柄であるからこそ、しなければいけないんでしょうね。どうしても人は、身内のことになると頼らず無理をしてしまうし、まわりもなかなか介入しづらい。でもときには「私にゆだねてよ」って強引にでも手を差し伸べることが必要なんだなと思いました。

前川:あと、先ほどの発言と重複しますが、ヤングケアラーとひとくくりにしても、その心情はさまざま。「かわいそうな子たち」とイメージを押し付けるようなことだけは絶対にしたくなかったんです。だから青葉さんは、小羽と航平、凛子の前ではそれぞれ見せている顔が少しずつ違う。一人ひとりにちゃんと向き合って気持ちを汲んでくれる人として描きたかった。

駒木:共感という言葉を使うのはおこがましいですが、家族のなかで、誰か一人でも時間が止まってしまった人がいると、先が見えないトンネルの暗闇に迷い込んだような気持ちになってしまうのは、少し、わかる気がするんです。というのも、震災後、石巻の病院で働いた父が、傷つきすぎてしまった結果、二年ほど、自宅で療養していたことがあるんです。本作で描かれる三人は、出口の見えない現実を必死でもがき続けていて、さらに震災という途方もない絶望に襲われて……それでも青葉さんを通じて最後に希望を描いてくださったこの小説は、痛みを抱える人たちの支えになるんじゃないかと思いました。状況は違っても、絶望にどう向き合えばいいのか、乗り越えていけばいいのかのヒントになるんじゃないのかな、と。

前川:ありがとうございます。正直、書くうえでは迷いもあったんです。というのも、ヤングケアラーとしての彼らの人生は、くしくも震災を経て中断してしまうわけですね。ある意味で解放されたわけだけど、それは決して「よかった」ことではない。いろいろと思うところのある読者の方もいらっしゃるだろうなと思いましたが、被災地出身の自分にしか書けないこともあるのではないかと、今回は覚悟を決めました。

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