「AIと人間は言語の学習において、正反対のアプローチを採っている」 ベストセラー新書『言語の本質』著者インタビュー
赤ちゃんはどう言語を学ぶのか
――AIと赤ちゃんでは、言語の学習の仕方にどのような違いがありますか。
今井:AIと人間は言語の学習において、正反対のアプローチを採っていると考えています。今のAIはデータが大きければ大きいほど、人間の言語に近いパフォーマンスができますよね。膨大なデータを高い処理能力で扱い、言語を抽出します。対する赤ちゃんも大量のデータに囲まれ、2~3年で何万語もの単語をインプットしているという研究者もいますが、その性質はAIとは異なるでしょう。
――環境にたくさんのデータがあることと、それを赤ちゃんが処理できるかは別問題ですよね。
今井:赤ちゃんはAIのように、一度に大量のデータにアクセスできません。しかし私は、赤ちゃんは限られた情報処理能力しかないことを逆手に取り、処理可能なデータの中から「推論」によって知識を少しずつ作ることを積み重ね、その知識を自ら拡張していると考えています。
論理学で推論といえば、演繹推論と帰納推論があります。演繹推論は、ある命題(規則)が正しいと仮定し、またその事例が正しいときに、正しい結果を導くという推論。帰納推論は、同じ事象の観察が積み重なったとき、その観察を一般規則として導出する推論です。そして、赤ちゃんが言語を獲得するのに使われているのは、第三の推論とされる「アブダクション推論」だというのが我々の考えです。
アブダクション推論は、簡単にいうとデータが不足している状況で、非常に少数の事例から一般規則を導き出そうとしたり、ある事象について、直接目では観察できない原因を推論するような推論です。アブダクション推論は、日本語では「仮説形成推論」と訳されることが多いですが、訳のとおり、正しいとは限らない「仮説」を作るのがアブダクション推論です。実際、アブダクション推論では多くの間違いをします。
私は常にネットや新聞で子どもの「言い間違い」をウォッチしているのですが、それはまさにアブダクション推論ならではのエラーなのです。朝日新聞のコラムにあったのですが、おばあちゃんが「粗茶です」とお客さんに出したら、5歳の子どもが「お茶ではないの?」と聞いたそうです。おばあちゃんが「お客さんにお出しするものには『そ』をつけるんだよ」と教えたら、子どもは猫を見ながら「これがうちの『そねこ』です」と言ったそうです。
学んだことをすぐに実践する
――面白いですね。子どもは学んだことを、すぐさま実践してみたいと思うわけですね。
今井:AIのように膨大なデータから一般化するのではなく、あることを知ったら、即座に他のことに当てはめてしまいます。これは子どもに限ったことではなく、人間には何かのパターンを知ると仮説を作り、新しい事例に当てはめようとする思考がある。これこそが、人間の言語習得のベースになっているのではないかと。
――仮説を即座に新しい事例に当てはめてしまうのは、人間特有の能力でもあると。
今井:もしかすると人間の凄みって、遠い分野の知識をポーンと直感的に結びつけてしまうことなのかもしれません。日常では、必ずしも研究者のように仮説を証明する必要はありません。根拠もないのに持っている知識で仮説を立て、勝手に理由を考えてしまうのは、人間が赤ちゃんの頃から行っている習慣だと思います。人は、何かの事象について、常に自然に原因を考えたり、説明を求めたりせずにいられないのです。
――例えば、どのような行動が挙げられますか。
今井:よく遅刻する人が待ち合わせに遅れたら「いつものことだ」と思うけれど、時間に几帳面な人が遅れると「事故があったんじゃないか」と不安視するように、相手によって理由を変えますよね。ChatGPTは一般論をもとに考えますが、人間はピンポイントでその人の過去の行動や性格から、ある種の確信をもって「今日もどうせ寝坊したんだろう」と仮説を立てるのです。この発想の飛躍はときに誤りをもたらすものではありますが、人間があらゆることを想像し、さまざまな文化を発展させる鍵にもなってきたのではないでしょうか。