なぜ中国では悪党が生まれ続けてきたのか 歴史学者・岡本隆司が語る「悪いやつ」になった背景

――意図せずに「悪」(と後世で定義されるもの)に加担したケースが多いということですが、たとえば南宋の時代(1127年~1279年)に活躍した朱子の教えが結果的に封建主義を招いたという事例がありました。学問が何らかのプロパガンダに加担してしまう。そうした危険性はいつの時代にもあると思います。 

岡本:朱子の場合は、彼の一門が儒教の教義を体系化・理論化し、経書や史書をわかりやすい形でテキスト化して広めました。それは儒教を手早く学んでもらうための手段だったんですが、結果的に布教活動によって生まれた『四書集注』『近思録』などが「知識人であればこれを読むべき」と認識されていきます。やがて学校の試験にも採用されるなど、朱子学が社会の中枢に上り詰めるための手段になりました。「宮仕えが人の志を奪う」と朱子は主張していたはずなのですが、それとは逆の形で朱子学が利用されるようになってしまったんです。当の本人が意図しない形でその教えが広まっていくことは、後世のマルクス主義などにも当てはまりますし、歴史のいたるところにそうした事例は見てとれます。そのため、学問に携わる人間には、プロパガンダの危険性に絶えず慎重になる必要があります。 

――朱子は結果的に「悪」とみなされた例ですが、意図的にその人物が「悪」のイメージを形作られることもあります。 

岡本:そうですね。本書で言えば隋(581年~618年)の皇帝であった煬帝がその好例です。彼は中国史上でも稀有な暴君・暗君とみられましたが、のちに名君と評された唐(618年~907年)の太宗と共通点が多いんです。兄を殺して帝位につきましたし、対外遠征など政策も似ていました。太宗は先行する歴代王朝の史書を作らせ、そこで煬帝の負のイメージを際立たせる記述をいろいろと加えたんです。それは後世において、「自分は煬帝とは違う」と、自身の正当性を主張するための手段でもありました。 

 ただ付言すると、これは現代まで続く伝統的なプロパガンダ戦略なので、太宗がとくに狡猾であったとも断言はできません。もしかしたら内心では、煬帝に対してすまないという思いもあったかもしれない。 

宗教と「悪」の関係

――本書には12人の「悪党」が登場しますが、岡本さんがとくに興味を引かれた人物は誰ですか。 

岡本:もちろんすべての人物に愛着はあるのですが、柴栄ですね。後周(951年~960年)の皇帝で政治的な手腕はとても高い人物でありつつも、40歳手前で亡くなってしまった。織田信長ばりに志半ばで亡くなったことに惹かれます。 

――国も時代背景も違いますが、柴栄と織田信長とは多くの共通点がありますね。さまざまな戦争を勝ち抜き、仏教を弾圧し、事業の半ばに倒れたところなど、両者の類似点を指摘する声があるそうですね。 

岡本:このふたりの道のりの一致は、後周時代の中国と戦国時代の日本が相通じるところがあったからでしょう。似た社会では似た人物が生まれる。明治から昭和期にかけて活動した東洋史学者・内藤湖南は日本の応仁の乱と中国の唐宋変革を比較し、いずれも「中世」から「近世」への転換であるとみなしています。 

――柴栄と同様に織田信長も「悪党」とみなされる側面はありますが、それは大きくは、彼らが仏教の弾圧を行ったからですね。宗教=道徳とみなされるような社会では、宗教への弾圧がそのまま負のイメージにつながることも少なくありません。 

岡本:そうですね。ただ彼らの目的は仏教の弾圧そのものにあったのではありません。国の平定のために、そうせざるを得なかったんです。宗教が過度に政治に関与して、それによって政治が圧迫されていたので、宗教の負の影響を払拭する必要があった。合理的に考えて、仏教を弾圧する必要があったということです。 

――宗教色が強い社会ですと、合理的に考えることがそのまま「悪」に結びついてしまうという感じがします。 

岡本:宗教もそうですが、中国の場合は伝統なども含め、カテゴライズするならば非合理的な考えに立脚したものが多い社会なので、合理性を重んじる日本人の視点からは、違和感を覚えることが多いと思います。ただ、「合理的に考える」というのも言ってしまえば一つの価値基準に過ぎず、非合理的な考えを悪とも言い切れません。たとえば今、香港では中国の支配に対抗する民主化運動が盛んになっていますよね。いわゆる西洋的なリベラルの視点からは、香港の運動が正しいものとしてとらえられると思いますが、単純に中国を「悪」とみなしてしまうのも大きな問題がある。「正義」「悪」とレッテル貼りをするよりも、まずその根底には何があるかを考えることが必要になると思います。 

――最後に歴史を学ぶことの意義について、岡本さんの考えをお聞かせいただけますか。 

岡本:今お話ししたこととも関連しますが、「常識を疑う」ということですね。歴史を学ぶことで、今の当たり前が決して昔からそうではなかったことがわかる。社会の美徳や習慣は昔から不変であったわけではなく、時代によって揺れ動いてきた。自分たちの今立っている足元を見直すことは、今後の歩むべき道を考える上でも欠かせない態度です。また、未来を考える上でも、歴史学は大きなヒントを与えてくれる学問だと思います。

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