連載:道玄坂上ミステリ監視塔 書評家たちが選ぶ、2022年8月のベスト国内ミステリ小説

酒井貞道の一冊:芦沢央『夜の道標』(中央公論新社)

 塾経営者が殺害され、有力容疑者と目された元教え子の男は行方をくらませた。これが一応の中心軸で、ここに、事件の捜査を続ける窓際族の刑事、アルバイトで暮らす三十代女性、親から虐待を受けている少年、その少年の友人など様々な視点人物が相互に関係することで、事態は徐々に意外な方向へ進む。ミステリ的にはこの展開が肝であるが、それ以上に、静かで丁寧な文章が紡がれていき、その積み重ねによって、孤独とやるせなさが自然にしみじみと滲み出るのが印象的。これは小説でなくてはできない表現であり、高い評価に値するはずだ。

千街晶之の一冊:荻堂顕『ループ・オブ・ザ・コード』(新潮社)

 八月は阿津川辰海『録音された誘拐』や深町秋生『天国の修羅たち』といった力作が相次いで刊行されたが、最後の最後に読んだ本作に一番圧倒された。時は「疫病禍」を経験した近未来、舞台は国際社会によって歴史を一切抹殺されたかつての独裁国家。人間がこの世に生まれてくることは祝福なのか呪いなのか、歴史の連続性のない環境に人間は耐えられるのか。容易には正解を出せないテーマと主人公のキャラクター設定を緊密に結びつけ、緊迫感溢れる国際謀略小説にまとめ上げた著者の手腕に「二作目にしてこの境地に達したとは」と驚愕した。

杉江松恋の一冊:佐々木譲『裂けた明日』(新潮社)

 日本国内で内戦が勃発、国連から派遣されてきた平和維持軍によって暫定政権が出来るものの、それに反対する勢力が別の政府を打ち立てた国土は分断されて、という設定を読んで思わず立ち上がってしまったほど興奮した。最近の佐々木はSF的着想を駆使した作品を連続して発表しているが、これは現代の日本が戦争状態になったらどうなるか、という物語なのだ。主人公は赤の他人に力を貸して、彼らを安全な場所に送り届けようとする。おお、冒険小説の定番だ。ネヴィル・シュート『パイド・パイパー』などを連想しつつ読んだ。

 今月も重なった作品は一つだけ。内容もベテランの冒険小説から新鋭のデビュー作までさまざまですが、近未来小説が多かったのが特徴でした。豊作の月であったと言えるでしょう。さて、来月はどうなりますか。

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