芦沢央、作家生活10年目の問題意識「今の価値観で過去を断罪することは、なんて傲慢なんだろう」
長編が苦手でなんだかわからない
――『夜の道標』は、「読売新聞オンライン」の連載(2021年11月1日~2022年6月29日)を加筆修正して単行本にしたんですよね。
芦沢:連載といっても全体を書き終えてから載せてもらったんです。これまでも同じで、長編は直し過ぎてどうにもならなくなるから、結局、書下ろしてから連載にするというか。今回の小説はけっこう前にご依頼をいただいたので、実際書く頃には連載する力をつけているだろうと思って引き受けましたが、時期が近づいてもできるようになっていなかった。泣きながら打ちあわせするけど、なかなか思い浮かばず、打ちあわせで編集さんと会うたび、これに興味がある、あれに興味があると違うことを喋るのを繰り返し、ようやく匿う関係性と問題意識がつながり絵コンテを描いて書き始め、連載に間にあったんです。
私は、長編が苦手でなんだかわからない。短編は書く前からすべて見えているというか、1行目から最後の行までやりたいことがあって、お皿の上でいろんな盛りつけをして、全部の要素がどう活きるか、どの角度からも見てある種の造形美というところでやってきました。長編は物語が大きいので、それができない。複雑で大きな建物に入り一部屋一部屋、見取り図を描いて、隣の部屋へ行ってはまた描いて、一周回ったらなんか違ったから描き直す。ずっと迷子みたいだし、建物が歪すぎてよくわからない。だから、ただ崩れないように直す。もう書きあげるだけでせいいっぱいのまま、本になる感じだったんです。
でも、今回、絵コンテ的なものから書いたことは私に合っていました。あまり内容をつかめないうちから言語化しないことでイメージが阻害されなかったから、自分のなかでは1本の映画のようにできたんです。長いけれど、ある種、短編くらい明確にイメージできたので2ヵ月くらいで一気に書けました。そこから10ヵ月かけて直しました。
直す間は楽しかったですね。やればやるほど解像度が上がる感じがあって、プルーフからも直しました。波留の友だちの仲村桜介が殺人犯の顔を見に行こうと思ってぐずぐずしているところへ豊子が帰ってきて「あの、おじさんに……」、「主人が何か?」と会話するなんでもないところ。このシーンが機能していないと思ったんです。ドラマチックにエンタメにする必要はない。でも、豊子はそれまで阿久津との関係を言語化しなかった。言語化するとバランスが崩れるから呑みこんで、曖昧なまま保ちたかった。なのに言い訳のためとはいえ「主人」と嘘をついたのは、豊子自身が傷つくのではないかと考えて直しました。ほんの1、2行入れただけですけど、そういう部分は最後の最後まで粘りました。
――波留はバスケットボールの名手という設定で、バスケの場面は躍動感がありますけど、以前から関心はあったんですか。
芦沢:波留と桜介は1998年に小6、私は1996年に小6だったので少年少女だった時期がほぼ一緒。バスケ漫画『SLUM DANK』(井上雄彦。1990~1996年連載)が流行った頃で私も2歳上の兄から借りてリアルタイムで読んでいました。私自身はそんなにバスケができるわけではないですが、動画を見たり、昔やっていた人に話を聞いたりして書きました。
『夜の道標』は時代感を出すことにこだわりました。読者が自分事ととらえてくれることを目指した過去の作品では、固有名詞をあまり入れず外見描写もしすぎないようにした。でも、今回は固有名詞をガンガン入れて、時代をきちんと伝えようとしました。お笑いのシーンは特にそう。倫理観が問われるというか、昔笑えたものが今笑えないとか変化がわかりやすい。
――『夜の道標』の「道標」って、10周年の節目にふさわしい言葉ですよね。
芦沢:タイトルになったシーンのフレーズと映像は、早い段階から浮かんでいたんです。私自身の記憶とも重なっています。幼い頃、どこかへ行くときに母が自転車で先導してくれて、でもあまり声が届かないから、腕の動きで次は右とか指示してくれたんです。その背中が浮かんで、これがタイトルだと思いました。
プルーフをお読みくださった方から、なぜ「道標」を「みちしるべ」ではなく「どうひょう」という読みにしたのかと訊かれたことがあるんですが、「どうひょう」、つまり道路標識はみんなわかるはずという前提になっている。それがけっこう乱暴なものだと思うんです。道路標識の意味は免許を取る時に教わりますけど、私は免許を持っていないし、なんとなくわかっても本当はよくわからない標識もあります。それは自分でも恥ずかしいというか、社会に生きる大人としてみんなが知っていることがわからない後ろめたさ、おいてきぼりにされているような感覚がある。そういう、みんながわかるものがわからない不安と罪悪感のなか、道を示してくれた人だったことの切なさが存在感を持って浮かび上がり、このタイトルに決めました。