遠野遥が語る、異彩を放つ初長編『教育』執筆の背景 「小説は小説であってそれ以上でも以下でもない」

 文藝賞を受賞した『改良』(2019年)でデビューし、次作『破局』(2020年)で芥川賞を受賞した遠野遥の新作『教育』は、作者にとって初の長編である(『改良』は『教育』発売と同日の1月7日に文庫版発売)。しかも、物語の舞台となる学校では、超能力の成績向上のため「1日3回以上のオーガズム」が推奨されている設定なのだ。版元の河出書房新社の資料に「学園ハレンチ×超能力×ディストピア」とある通り、異彩を放つこの小説がどのように書かれたのか、著者に聞いた。(円堂都司昭/12月4日取材)

なんで超能力が自分にないのかなって悔しい

遠野遥『教育』(河出書房新社)

――書籍化の際の手直しで文字数の増減はあるでしょうけど、これまでの作品は「文藝」初出時にそれぞれ400字詰め換算の枚数が示されていました。それを見ると『改良』が122枚、『破局』が170枚という中編だったのに対し、新作『教育』は300枚で前2作の倍程度ですし、初の長編といえます。書き方に違いはあったのでしょうか。

遠野:事前にプロットを作るのは変わらなかったんですけど、実際に書いてみると今までの作品以上にプロットとできた原稿の差が大きかった。長くて登場人物が多いし、自分でも全体像や出来事の因果関係が把握しにくいと思いました。把握できないことにはできたものをどうブラッシュアップしていけばいいかがわからないので、一通り書いた最初のものをもとにもう1回プロットを作りました。プロットというか完成形の要約みたいなものです。それは今までやっていなかったことですし、自分で作ることによって全体像が把握できて、なにが足りないかがわかってきました。

――以前、宇佐見りんさんとの対談(「文藝」2021年春号)で『破局』は、冒頭の部分から書いたのではなく、主人公の恋人である麻衣子のシーンから書き始めたと話していましたが、『教育』はどこから書き始めたんですか。

遠野:プロットを立ててからは順番通りに書きましたけど、プロットを立てるにあたって最初に書いたのは、超能力の訓練をするところです。

――この小説は、まず、超能力から発想したんですか。

遠野:スタートはPerfume「Spneding all my time」のミュージックビデオでした。あれははっきりとそういっているわけではないけれど、たぶん部屋に閉じこめられていてPerfumeの3人が同じユニホームを着て超能力の訓練をするという内容なんですね。それを見ていた時、ここからなにか書けそうだと思ったのがスタートです。

――『教育』が発表される前、櫻井敦司さん(BUCK-TICKのボーカル。遠野遥の父)との対談で遠野さんは、3作目について語っていました(「文藝」2020年冬号)。「超能力者を育てる施設が舞台です。主人公はそこの生徒でレッスンを受けていて、超能力者になろうと頑張るんですけど、超能力なんてありませんから、結局のところ何も進歩しない。そういう話を書いています」と身もふたもない言い方をされていて(笑)。超能力が発揮されたおかげでなにかが起きる展開は考えませんでしたか。

遠野:超能力がないほうが面白いかなと思って、あるという選択肢は考えませんでした。

――超能力への関心はPerfumeのビデオを見る以前からあったんですか。

遠野:小学生の頃とか超能力じゃないけどMr.マリックの超魔術が好きだったから、本を買って読んで、できるやつは自分でやったりしていました。あと、小学生の頃、マンガの『遊戯王』をかなり読んで、カードも集めて毎日のように友だちとデュエル(バトル)していたんです。その作品にペガサスというキャラクターがいて、彼は特殊な眼を持っているから相手の心のなかが読めて、相手のカードがわかる。だから負けなし。すごく特徴的なキャラクターで印象に残っています。

――『教育』の超能力の訓練でもカードを使っていますね。よくあるといえばよくあるシチュエーションですけど。

遠野:カードの場面はべつに『遊戯王』から持ってきたわけではないですけど、デュエルをすごくやっていたので、しみついているのかもしれません。

――作中の訓練の的中率が面白いですよね。生徒たちは、1つの図柄と同じものを、裏返された4枚のなかから選ぶのだけど的中率27、8%くらいでうろうろしている。確率25%だからさほど高くない(笑)。読者としては、これでどこが超能力の訓練になっているんだろうと疑問に思いつつ、作中で明確な真相は語られない。他にも謎はあって、わけがわからないまま連れ回される読書体験が楽しかったです。作中に書かれていない設定が、実は作者の頭のなかにあったりしますか。

遠野:どこまで喋っていいのかというのはありますけど、訓練は画面にカードが映ってボタンで正解を選ぶ形式なので、学校側で答えをいじれるといえばいじれるんです。つまり、この生徒はいうことを聞いているから上のクラスへ行かせようとか、この生徒はいうことを聞かないから下のクラスに下げようとかすることもできる。そう書いてはいませんが、それができる作りにはなっている。

――子どもの頃、超能力とか超魔術をやろうとして、できないよという体験をした人は多いと思いますけど。

遠野:なんで超能力が自分にないのかなって悔しいですよね。


――超能力でなくても、自分の能力を高めることについてはなにかしていますか。筋トレとか。

遠野:筋トレはしていないし、他のことにおいてもやっていることは特にないですね。学生の時、学校にトレーニングルームがあったので通うのが日課みたいな感じでしたけど、今はなかなかそんなに自由に出入りできる場所もないし、月額で払ってもどれだけ行けるかわからないから。

――『教育』というタイトルはまず超能力の訓練を指すのでしょうが、意味の面でデビュー作の『改良』というタイトルと通じるところがあります。また、意図して違った状態に持っていくという点では『破局』に出てきたスポーツのトレーニングとも親近性がある。主人公でいうと『改良』では女装してきれいになろうとし、『破局』では体を鍛え、『教育』では超能力の訓練をしている。他にも性や暴力など、新作には以前からのテーマやモチーフを引き継いだ部分もあると思いますが、本人としては、過去2作を書いたから『教育』が書けたというようなつながりをどうとらえていますか。

遠野:あんまり考えたことはないですね。……うん、考えてないですね。『破局』の時も『改良』とのつながりを考えて書いたわけではないし、『教育』もそうです。

――今回は学校の設定がプレスリリースにもあった「ディストピア」ということになるのでしょうが、『教育』でディストピアということはどれくらい意識していたんですか。

遠野:ディストピアは特に意識していないですね。「ディストピア」と書かれたのをみて、そうとらえられたんだなと知った感じです。

――遠野さんのこれまでの作品で、社会はあまり描かれませんでした。『破局』の場合、主人公が公務員志望、つきあっていた彼女が政治家志望でしたが、公や政治が特に書かれたわけではない。最後に権力側の存在ともいえる警察官が現れはしますけど。それに対し『教育』では生徒たちを管理する学校があり、外の世界からの批判で学校の存続が危惧されているという設定があります。今回は個人の外にある組織や社会を書こうとしたんですか。

遠野:3作目なので1作目、2作目のようにいつまでも個人の身の周りのことばかり書いていてもよくない。よくなくはないかもしれないけれど、違うものをみせたほうがいいかなと、ある程度意識して書いた部分はあると思います。

――作中には学校の外で感染症が流行っているとされていて、今読むとすぐコロナ禍を思い浮かべますが、この話は現在なのか未来なのか。『ノートルダム・ド・パリ』、『不思議の国のアリス』と実在の本の題名が出てきますし、まったく別世界でもないですよね。

遠野:未来を想定してはいないです。今の日本ではないけど、パラレルワールドというか。

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