『復活の日』『首都消失』で再注目 小松左京がシミュレーションした、危機的状況の日本

 小松左京、恐るべし。

 連日、人々を不安にさせている新型コロナウイルス感染症の猛威に伴い、小松が1964年に発表した『復活の日』が再注目されたのは、記憶に新しい。同作は、細菌兵器の流出による世界的な感染爆発で人類が滅亡寸前に追いこまれる物語だった。一方、コロナ対策として今年3月後半に小池百合子・東京都知事が「ロックダウン」の可能性を口にしたことで、1985年刊行で同じく小松作の『首都消失』を思い出した人も多い。同作は、東京が原因不明の巨大な雲に覆われ、交通など物理的な出入りが不可能になるだけでなく、通信、電波も遮断される設定だった。『復活の日』が1980年に映画化されたのに対し、『首都消失』も1987年に映画化されている。

 小松左京は、2011年7月26日に80歳で亡くなった。3月11日に東日本大震災が発生したこの年、彼は大地震や火山噴火の頻発後に列島が海中へと消える『日本沈没』(1973年)を書いたSFの巨匠として再注目された。さらに死後の今も『復活の日』や『首都消失』といった作品が、現在を予見していたかのようなアクチュアルな意味を持っているのだ。

 『首都消失』以前には「アメリカの壁」(1977年)という短編も書いていた。内向的な政策に傾き始めた大国アメリカが、独立記念日の目前に白い霧の壁に遮られ、外部との接触がすべて絶たれる話だった。移民の流入や密輸を防ぐためメキシコとの国境に壁を建設すると主張したドナルド・トランプが、2017年にアメリカ大統領に就任した際、「アメリカの壁」も予見的な短編として話題になった。ただ、最近では、コロナ感染者が激増したアメリカに対し、逆にメキシコ住民の側に検問所を封鎖して流入を防ごうとする動きがあったと報じられている。住民が自国政府の対策を手ぬるいと考え、行動に出たのだという。メキシコ側が「壁」を作られるのではなく、自ら作ろうとしたわけで皮肉な展開である。

 『首都消失』は「アメリカの壁」の延長線上で発想されたと推察される。そして、「ロックダウン」=首都封鎖をめぐる都知事の発言が、『首都消失』という書名を連想させたのだった。とはいえ、その後、日本政府は緊急事態宣言を発令し、該当する都道府県が外出自粛や休業などを要請したものの、海外で実施されたような強制力のあるロックダウンではない。その意味で首都封鎖はされていないのだが、『首都消失』には現在の状況をどうとらえるべきか、示唆的な部分が多いように思う。

 小松は、首都が不測の事態で運用不能となり、政府や国会など国家の主要機能が一気に失われた場合、日本を維持するためにどんな方法がとれるのか、シミュレーションしていた。作中では緊急の全国知事会が開かれ、兵庫県知事をトップとする臨時国政代行組織が発足する。それに対し、今年4月8日、コロナ対応に関して全国知事会は、自粛要請に伴う休業の補償を国に求めるなど緊急提言を行ったのである。中央の政府の政策空白を知事たちが埋めようとした点で、『首都消失』の臨時国政代行組織樹立と知事会の先の緊急提言は、どうもパラレルにみえてしまった。現実の政府が小説のように消失したわけではないが、対応が遅いぶん、知事たちの存在感が高まったという図式だ。

 日本では長年、政治や経済、文化教育の一極集中による東京の過密化が、問題視されてきた。『首都消失』が発表され映画化もされた1980年代後半にはバブル景気による都心の地価高騰が企業立地や住宅購入のネックとなり、郊外を目指す動きもみられた。遷都、首都機能の他地域への分散、東京湾の埋立による土地確保など、実現性の程度はともかく様々な議論があったのである。このため、日本から東京が失われたらどうなるかという『首都消失』の思考実験は興味深かった。

 ところが、バブル景気の崩壊で遷都論は下火になり、首都機能の分散もわずかにとどまった。そうして郊外化がストップし、タワーマンションの増殖など都心回帰もあった。一極集中は今なお続き、緊急事態宣言で外出自粛が要請されても、神奈川、千葉、埼玉など隣接県からの通勤者は、望ましいレベルまでなかなか減らない。彼ら他県民の存在なくして首都機能を維持するのは難しいだろう。コロナ関連の自治体の経済対策では、東京都と他県の財政格差も露わになった。こうした現状だから、東京と他の日本の関係を考えるうえで『首都消失』のシミュレーションは、未だに読む者に刺激を与えてくれる。

 『首都消失』で知事たちが臨時国政代行組織を立ち上げたのは、内政のためだけではない。小松が同作を執筆した時代は、アメリカとソ連という二大超大国を中心に世界が東西に分かれ対峙する冷戦が続いていた。国家の独立を主張していなければ、領海や領空がすぐにも侵されてしまう。そんな危機意識から臨時国政代行組織は、日本が国政機能を維持していることを対外的にアピールするのだ。

 冷戦下の世界情勢を意識した記述は、『復活の日』や『日本沈没』にもみられた。そもそも『復活の日』は、対立する米ソの細菌兵器開発競争がパンデミックを引き起こし、核の発動にも結びつく内容だった。『日本沈没』では、失われる国土から人々を他国へ避難させるための外交交渉が語られるだけでなく、列島消滅後の周辺海域で米ソの力関係がどうなるかにも言及される。一方、現在、米中がコロナをめぐって対立するだけでなく、この世界的危機に伴って両国の軍事バランスが変化する可能性についても云々されている。自然災害や疫病といった大きな災厄が、政治や軍事と無縁でないことを小松は理解していた。

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