リアルピース ソロインタビュー Vol.4:なお「大好きだったものが全部大嫌いに変わった」 急旋回の人生と音楽の才能

5人組YouTuberアイドルグループ・リアルピース。彼らが男性グループ初の“全Zepp制覇ツアー”を開催中だ。2026年11月3日に開催されるLaLa arena TOKYO-BAY公演に向かうための布石である。
リアルサウンドでは、この全Zeppツアー開催を記念して、かずぅ、こーた、かちょー、なお、こぺ、5人それぞれの1万字インタビュー、計5万字にもおよぶ特集をここにお送りする。
第4回目には、なおが登場だ。なおは音楽に愛された人だ。曽祖父のDNAを受け継いだ抜群のセンスと実力。それが今もなおの血に流れ、それがリアルピースというグループの肉となっている。しかし、そうなるに至ったのは、なおが歩んできた人生があってこそであり、なおの選択――「リアルピースに入りたい」という意思があってこそである。そして、経験した成功と挫折によって今の彼のアイデンティティは確立されたのだ。渡邊尚介という音楽に愛されたひとりの少年が、どのようにして“リアルピースのなお”となったのか、その道筋をたどる。(編集部)

人見知り大会があったら日本代表になれるレベル(笑)
――まずは生年月日からお願いします。
なお:1997年7月9日、神奈川県横浜市生まれです。
――どういう性格の子どもでしたか?
なお:めちゃくちゃ引っ込み思案で、照れ屋な子どもでした。家族の前ではよく喋るけど、家族じゃない人と会った時はひと言も喋れず、お母さんや物陰にずっと隠れて下を向いているような。親戚のおじさんとも慣れるまで話せなかったし、街中で「かわいいねえ」って話しかけられてもガン無視で固まっちゃってました(笑)。もう恥ずかしくて、何もできなくなっちゃうんですよ。
――ご兄弟は?
なお:お兄ちゃん、お姉ちゃん、僕で、3人兄弟の末っ子です。お兄ちゃんとお姉ちゃんはどちらかというと悪ガキタイプで堂々としている子どもだったので、僕とは逆でしたね。お兄ちゃんとお姉ちゃんを見ていたから、引っ込み思案になったところもあるのかもしれない。
――となると、かわいがられる末っ子ポジション?
なお:はい。自分で言うのもアレなんですけど、めちゃくちゃかわいがられてました。お兄ちゃん、お姉ちゃん、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃんからも、全員から甘やかされてました(笑)。いたずらしても「かわいい」、何やっても「かわいい」と言われる、ザ・末っ子です。イヤだった記憶がないですもん。記憶がある3歳くらいからひとり暮らしで家を出るまでは、本当にぬくぬくと、苦難なく、挫折もなく、大きなトラブルも事故もなく、順風満帆に進んでいきましたね。
――小学校でも人見知りは継続していたんですか?
なお:そうですね。集団登校が義務化されていて、近所の子と毎日一緒に登校していたんですよ。そういう子たちとは朝から「おはよう」と言えるんだけど、学校のなかだけで会う友達には人見知りを発揮して、お昼休みの給食の時間くらいからちゃんと喋れるようになるという。毎日会っているクラスメイトでも、一回バイバイするとリセットされちゃって、翌日のお昼まで時間かけないと喋れなかったんです。一緒に集団登校して放課後も遊んでいる友達とは時間が空かないから平気なんですけど、連休とかを挟んでしばらく会えないとリセットされちゃって。たぶん、人見知り大会があったら日本代表になれるレベルだったと思います(笑)。
――(笑)。10代はずっとそんな感じですか?
なお:小5だったかな? 10歳か11歳の時に転機が訪れたんです。これが今の僕につながる話の始まりなんですけど、三味線を始めたんですよ。今リアルピースの音楽担当として活動していますけど、10歳、11歳に始めた三味線が、僕がいちばん最初に始めた音楽なんです。
開花した音楽の才能「『何百年にひとりの逸材だ!』と言われて……」

――最初が三味線とは。どんなふうに出会ったんですか?
なお:たまたま吉田兄弟さんが三味線を弾いてるのをテレビで観て、「めっちゃかっこいい!」と思って、すぐ「僕、これやりたい!」と言ったんです。完全に一目惚れでした。親はびっくりしたと思いますけど、レッスンを受けられる教室を探してくれて。ピアノだったら教室もたくさんあるから始めやすいけど、三味線はネットで探してもおもちゃみたいな初心者キットしか売ってないんですよ。
――なかなか難しいですよね。
なお:でも、僕にとって人生のなかで初めて自分から「やりたい」と思ったことだったんですよね。スイミングスクール、ソフトボール、習字とか習い事はいろいろやっていましたけど、それはお兄ちゃんとお姉ちゃんがやっていたから、「一応やってみるか」という感じでやっていたので。三味線だけは自分から「やりたい!」と思って。熱量が全然違ったんですよね。諦めきれないから、自分で近所を探索しに行ったら、隣町で「三味線教室」と書いてある看板を見つけたんですよ! もう即行でお母さんに教室に電話してもらって。そこに通い始めたのが、僕が音楽を始めた第一歩です。
――そんな運命的な出会いが。
なお:それから性格もガラッと変わりました。始めたばかりの時はもちろん引っ込み思案だったんですけど、三味線の先生に「三味線を弾くなら民謡を歌えなきゃダメです」ときっぱりと言われて、なかば強制的に歌わされたんです。歌なんて恥ずかしすぎるし、「民謡なんて無理だ」って思ったけど、実際に歌ってみたらすっごく褒めてもらえたんですよね。最初は顔の両側に紙を貼って、まわりが見えないようにしないと歌えなかったのに(笑)、「いい声だ」「すごい子が入ったぞ」と褒めてもらえて、だんだん自分に自信が芽生えてきて、どんどん楽しくなって。「音楽で自分を表現するのは楽しいかも」と思えたことで、不思議と人見知りが薄まって、初対面でも話しかけることができるようになったんです。音楽が僕の心を開いてくれたというか……音に乗せて自分を表現する経験を通して、人と会話することが楽になったんですよね。そこからは、人が変わったように超お喋りになりました(笑)。
――もともと根っこにあったお喋りなところが解放された、と。
なお:そうです。しかも、民謡の大会に初出場したら全国大会に進んじゃったりしたので、超天狗になりました(笑)。自信満々で、「俺って最強なんだ!」と思っていた小学生でしたね。
――そこまで変わりましたか(笑)。
なお:本当に大きな転機でした(笑)。家族はみんなスポーツ系だったので、どうして三味線に惹かれたのか、自分でも不思議だったんですよ。「どうしてだろうね?」と家族で話していたら、実はひいおじいちゃんが浅草生まれの江戸っ子で、女形の日本舞踊の先生だったらしく、その血なんじゃないか、と。僕が生まれた頃には引退していたから知らなかったんですよね。三味線を始めた時にはもう亡くなっていたので、ちょうど入れ替わりで遺志を継いだのかもと言っていました。
――ますます運命的ですね。しかも、才能が開花したわけで。
なお:そうなんです。普通だったら1週間かけて一曲完成させるような曲を、初回のレッスンでもう弾けるようになったりして。さらに1週間で師範が弾くレベルの曲を弾けるようになったんです。「これは何百年にひとりの逸材だ!」と言われて……まあ、調子に乗りますよね(笑)。なぜか譜面とかもスラスラ頭に入ってくるし、難しく感じないから、自分でも「才能あるかも」って。民謡も歌えたし、その教室のアイドルでした。
――三味線は今も続けているんですよね。
なお:最近はちょっと行けていないんですけど、今も在籍はしていて、17、8年目くらいですね。三味線の先生にはたまに連絡をとったりしています。
――あらためて、三味線のよさや好きなところというと?
なお:弾いていて楽しいですし、音が心に安らぎをくれるというか、リラックスできて気持ちがよくなるんです。そのあと西洋音楽も始めたんですけど、やっぱり僕の心の根本にあるのは日本の音楽なので、ひと息つきたい時やふとした瞬間に聴きたくなりますね。



















