小泉今日子「Someday」での学び、AKB48「Beginner」の斬新さ――井上ヨシマサが語る40年、“表現者”としてのポップス

井上ヨシマサが、40周年記念アルバム企画の最終章第3弾として『Y-POP』をリリースした。名曲を多く生み出してきた井上が、自身が歌う楽曲としてこれまで対峙することのなかったポップスをテーマにした『Y-POP』。吉岡忍や柏木由紀をゲストに迎えた楽曲を含む10曲が収録されている。
井上は、インタビューの最後に「この人生でよかったなと思っています」と語ってくれた。その言葉こそ、『Y-POP』の意味、そして稀代の作家・井上ヨシマサの現在地を示す言葉だと思う。彼がこの40年で得たもの、この40年経って歌うポップスのすごさをここに感じてほしい。(編集部)
小泉今日子、中山美穂、AKB48――“作家・井上ヨシマサ”の道を切り拓いた楽曲たち
――僕はヨシマサさんと世代が近いんですが、思えば高校生の頃からヨシマサさんが手がけた楽曲を耳にしてきたので、作家デビュー40周年という事実に驚くと同時に納得するものもありまして。
井上ヨシマサ(以下、井上):そうですね、だいぶ長くやってきましたから。とはいえ、40周年だから何かやりましょうっていうのはまわりから勧められて始めたことで。自分の誕生日を自分で祝うみたいで、ちょっと恥ずかしいじゃないですか。でも、いざ始めてみたらアルバムを3枚も作ることになってしまったので、軽い気持ちで引き受けるものじゃないな、と(笑)。その間にもAKB48やほかのアーティストにも曲を書き続けているわけで、ゆきりん(柏木由紀)の卒業ソング(2024年3月発売『カラコンウインク』)もこの周年企画の準備をしていた時期に作ったものですし、こうやって忙しい時のほうがいろいろ活性化するのかなと思いました。「休みながら作り続けないと使い捨てになっちゃうぞ」みたいに逆のことを言う人もいるんですけど、人生一度のお祭りですからね。
――2024年7月発売の『再会 ~Hello Again~』、今年2月発売の『井上ヨシマサ48G曲セルフカヴァー』はそれぞれ、ヨシマサさんがこれまでに提供してきた楽曲をセルフカバーする形だったので、過去を振り返る機会にもなったのかなと思います。この40年間、いろんなアーティストとの出会いがあり、そこからいろんな楽曲が生まれてきましたが、それと同時に作家としてのターニングポイントも何度かあったのではないでしょうか。
井上:まず、作家として動き出したことが、最初のターニングポイントですよね。1980年代半ば、自分のアルバムを作ろうと思って、毎週木曜日にはディレクターさんに曲を持っていっていたんですけど、そのうちレコード会社に行く電車賃すらもなくなるぐらいアルバイトにも追われ、「こんな状況で音楽なんてできるのか?」と不安になっていたんです。何しろ僕は最初からデモテープ作りのために兄とともに宅録機材を分割で購入してましたし、当時僕らの機材ではカセットテープを使って多重録音してましたから、デモを作るたびにお金がかかってしまう訳です。数百円から数千円の話ですが、バイトしながらの制作ですし、ヒイヒイ言ってました。それで、「何か音楽で仕事できないですかね?」とディレクターさんに相談したら、作家としての仕事を紹介してもらった。それはバイト代どころの話じゃなくて、19歳だった自分が手にするには大金なんです。ディレクターさんも心配するわけですよ。で、その曲が採用されたことで、「提供曲なら俺、簡単にできるじゃん!」って勝手な勘違いをし、アーティストとしての曲作りからすごい勢いで道をそれていったんです。
――それが小泉今日子さんに提供した「Someday」(1985年のアルバム『Flapper』)だったわけですね。
井上:そうです。そこからいろいろお話をいただく機会も増えました。まだ若かったし、ディレクター側にとっても扱いやすかったのかな? 1日3曲ぐらい書いてましたよ。そうやって作家としての活動が始まっていくわけです。いただいたお仕事はすべてお引き受けして、そこから数年はいろんな思いや不満が蓄積していきました、我儘が多い僕でしたので結果、旧所属事務所にはたくさん迷惑もおかけしてました。「やりたいことをやるなら人様の傘の下ではダメだ!」「自分の傘の下で堂々と歩いていかねば!」なんて思って、25歳の時にそれまで所属していた事務所を辞めました。本当にやりたいと思うお仕事に没頭するようになりました。次の転機だったのかもしれないですね。
――楽曲を提供する時、クライアント側から「こういう曲調にしてほしい」みたいなオーダーもあるかと思います。それって、ご自身のために作る楽曲とはスタートが異なるわけですよね。
井上:「Someday」を書いた時、自分でも歌えるような楽曲を提供するという重要性を学んだにもかかわらず、多様性に富んだ発注を受けるうちに、提供曲と自分への作品とを無意識に分けるようになっていったんです。だから、今回の40周年でセルフカバーした楽曲に関しては、「果たして自分でも歌える楽曲になっていたのか?」という答え合わせになってましたね。特に、30、40年前に作った楽曲においてはアイドルへの提供も多く音域を広くしすぎないとか、いろんな制約もありましたし。そうすると、提供する楽曲においては、「もうちょっと簡単なメロディにしようか」という解釈が生じてきて、その反動から自分が歌うものは難易度の高いメロディだったり音域の広い曲を作るようになってしまいました(笑)。そういう、自分のなかでの勘違いみたいなものを、セルフカバーした2枚のアルバムではあらためて感じましたね。なぜなら、人様に提供した簡単に聴こえるメロディは、美しく泳ぐ白鳥のように水面下では一生懸命に水を掻いていたんです。全力であればある程水上では美しく優雅に見えます。シンプルなメロは簡単に作れた訳じゃなかったんです。完成したメロは自分にとっても歌いやすい曲ばかりだった。
そこから、「じゃあ次のアルバムはどうしようか?」ということになるんですが、セルフカバーを経て“自分用の楽曲”と“提供曲のPOPS性”とのギャップを考え始めました。「共同プロデューサーから「アルバムのなかにいつも人に書いている大ヒット曲みたいなものは入れないの?」というジョークとも本音とも受け取れる意見が出たんです。「そういうことを、自分のアルバムに対して考えたことなかったな」と、そこで気づいたんです。「ヒット曲」と思って作ったら作れないのがヒット曲。ただ、発注してくださるプロデューサーからそう言われることが多いのもたしかで。その都度、曖昧なヒット曲の概念と対峙してきたつもりです。しかし、ソロ活動に関してはそういう意識を持ったことがなかった。ですから、今までと違う観点で自分が歌う作品と向き合ったという意味では、今回の『Y-POP』も新しいターニングポイントかもしれませんね。
――ほかのアーティストに提供してきた楽曲、たとえばヨシマサさんが手がけたAKB48のヒットソングの多くは、どれも耳馴染みがよくて覚えやすいキャッチーなメロディばかりですが、その一方で、アレンジでは音楽的な冒険も随所で見受けられます。思えば、ヨシマサさんは90年代以降、当時流行していたクラブミュージックのテイストを積極的に導入してきたじゃないですか。
井上:中山美穂さんの「Rosa」(1991年)とかですよね。僕もあのアレンジで表題曲としてリリースできるとは思ってなかったので、キングレコードはすごいなと思いましたよ(笑)。
そういえば、それより何年も前にキョンキョン(小泉)とのお仕事で近田春夫さんがプロデューサーとしてお入りになった際、僕もお手伝いさせていただく機会をいただきました。バリっバリのクラブミュージックやファンクなのにキョンキョンは自分流にアレンジし、難なく歌いこなしていました。「どんな楽曲もその歌手によって料理されていくもので、作り手が遠慮する必要なんかないんだ」なんて思わせてくれました。メロディはあくまでシンプルに覚えやすく、だけどベースにあるサウンドは最先端のダンスミュージックでいい。それにはたくさん刺激をもらいました。その頃から、制作環境も高額のなものだけではなく、ピンジャックで繋ぐようなDJ機材を揃えたりしていました。ミックスダウンを高額なスピーカーを通してやったって、みんなが家で聴く時はそんな環境じゃないんだからと、あえてラジカセで音調整したりして(笑)。そういうところも含めて、作曲、編曲、録音、ミックスダウンまで全部やるようになったのが「Rosa」の頃だったのかな。

――それこそ僕は、AKB48の楽曲で特に衝撃的だったのが「Beginner」(2010年)でして。それまでのAKB48の楽曲ってBPMもかなり高速で、ライブ映えする“アゲ曲”中心でしたが、「Beginner」はBPMが80程度でかなり重心が低く、サウンド面でもブレイクビーツを取り入れたりと、「これを国民的アイドルがやるのか!」と当時かなり驚いた記憶があります。
井上:実はあの時、もうちょっとわかりやすいアップテンポのダンスチューンも作っていたんですよ。でも、あの頃のAKB48のメンバーは人気者になったと同時に、おそらくいろんな悩みも抱えていたと思うんです。外から見たら、急に目立ったことで「運がよかった」と思われるかもしれないけど、近くで見てきた僕たちは彼女たちがどれだけ努力してきたかを知っているわけで。で、ある深夜に渋谷の街角で、ラジカセから音楽を流してダンスを練習している女の子を見かけたんですね。車のなかから見かけたので音は聴こえませんでしたが、おそらくその時に流れていた音楽はハードなHIPHOPだったんでしょう、ふと「今のAKB48に必要なのは軽いダンスチューンではなく本気のビートでしょ!」と思って作ったのが、「Beginner」。
――いわゆる、男性アイドルファンが求めるような従来の楽曲ではなく、ヨシマサさんが目撃した“深夜にHIPHOPを流しながらダンスをしている女の子”にも届くようなもの、という意味ですね。
井上:そうです。AKB48にもっとそういう、いろんな悩みを抱えてる子たちに入ってきてほしいなと、活動しながらみんなが自分の人生を諦めずに支え合っていけるグループになってほしいなと、僕は個人的にそう思っていたんです。メンバーのなかには、もともとダンスを真剣にやってきた子もいるわけですし。なので、僕自身は“AKB48のファン”を増やしていくるという理由ではなく、「自分の人生が少しイヤになっている自分たちでも、諦めずにイチから成長していけるよね」という願いを込めて「Beginner」を作ったんですよね。そしたら、メンバーも喜んでくれた。秋元(康)さんに対しても、聴きやすいダンス曲と2タイプ送ったけど、「もしこっちのヘビーなほうの楽曲を選んでくれたら、僕は一生ついていきます!」と思っていたくらいでしたから。
でも、この曲が世に出たことで困ったのは、ほかの作家さんだったのかもしれないですよね。それまで「AKB48の楽曲はこういう感じ」というイメージで作り続けてきたものが、「Beginner」で一気に変わったわけですから。でも、作家一人ひとりが生きていくなかで受けた感情をもとに曲を作っていけば、いろんなタイプの曲が集まるわけじゃないですか。AKB48の楽曲作りに関しては、先入観などいらないと思ってます。僕はよく「ヨシマサは発注通りに作らない」って言われていましたけど(笑)、こうやってハマる瞬間もあるわけですよね。
――今のお話を聞いていると、秋元さんとのお仕事ではヨシマサさんの挑戦を受け入れてもらう機会も多かったということでしょうか?
井上:そうだと思います。たとえば、ミックスで音を調整する際にほんのひとつまみ加えて、音を歪ませて迫力を出すとするじゃないですか。そこで「音が歪んでるからといって、AKBファンはCDを買わないって言うのかな?」と考えるわけです。でも、かっこよければそれでいいんじゃないかなと。きれいな音を選択するのか、荒削りだけど迫力がある音を選択するのか、秋元さんはそこを評価してくれる人なんですよ。「歪んでいてもかっこいいからいいじゃん」って、どこかはみ出しているものを面白がってくださるので、「Beginner」は当然「やりましょう!」ということになりましたしね。




















