牧野由依の20年、訪れたいくつもの転機 変化がもたらした“再会”の奇跡――道のりのすべてを語る

アーティストデビュー20周年を迎えた牧野由依。周年記念楽曲の制作、アニバーサリーイベントの開催、YouTube企画と、アニバーサリーならではの展開が数多く発表されているが、そのひとつの集大成として来年2026年8月に行われるのが『Yui Makino 20th Anniversary LIVE ~I LOVE YOU So Much!!~』だ。
その開催を記念して、リアルサウンドでは牧野の20年の歩みを振り返るインタビューを決行。今の牧野由依へと繋がる軌跡、そして彼女のもとに訪れたいくつもの転機をひとつずつ丁寧に紐解いていく。(編集部)。
「変化の多い20年だった」――今あらためて振り返る牧野由依の道のり

――先日のアーティストデビュー20周年を記念したアニバーサリーイベント『Yui Makino 20th Anniversary Party~アペリティフはアムリタで~』後のインタビュー(※1)で「こんなに長く音楽活動を続けるとは思っていなかった」とおっしゃっていましたが、あらためてこの20年を振り返って、どんな時間だったと思いますか?
牧野:変化の多い20年だったなと思います。もちろん変化がない方はいらっしゃらないと思いますけど、私の場合、学生から社会人になる、恐らく人生でいちばん変化のあるタイミングで20年のスタートを切ったので。そのライフステージの変化もありながら、お仕事の面でも、この20年のあいだに事務所やレーベルが変わったりもして、その変化がターニングポイントであり、面白くもある20年でした。
――その変化自体を、ご自身としては楽しめていた?
牧野:そうですね。変化のたびに、そこで何ができるのか、どうやっていくのかをすり合わせていくのは毎回大変ではあったのですが、それを経てしか経験できないこともたくさんあったので。たとえば、“再会”の感動はそういった環境の変化がないと味わえないものだと思いますし。
――たしかに。牧野さんの音楽活動をさかのぼると、再会だけでなく、デビュー当初から出会いの多い20年だったと思います。声優および歌手活動を始めるきっかけになった「オムナ マグニ」は菅野よう子さん、デビューシングル「アムリタ」は、かの香織さんが楽曲を提供。以降も名だたるクリエイターの方たちが関わってきました。
牧野:デビューして最初に所属していたレーベル(フライングドッグ/ビクター)の頃は、基本的にはディレクターの方がすべて楽曲を構想してくださって、私はご用意していただいたものに対して表現する形でした。ただ、これは声優の音楽活動では珍しいことでもあるかもしれませんが、ありがたいことに、初期の段階からレコーディングのミックス作業やオケ録りに立ち会わせていただいて。アーティストとして音楽に取り組む基礎となる部分や、作家の方とのコミュニケーションの取り方などを学ばせてもらいました。
そこから2010年にエピックレコードに移籍したタイミングで、「こういう楽曲を歌いたいです」「この作家さんとご一緒してみたいです」と自発的に意見を出すようになり、学んだことを活かしてみるフェーズになったんです。たとえば、かの香織さんともう一度ご一緒したいとお願いしたり、私はアニメや映画の劇伴が好きなので、岩崎琢さんの独特の世界観に触れてみたくて、『ホログラフィー』(2011年)というアルバムに参加していただいたり。椎名林檎さんなどの作品を通じて知った斎藤ネコさんも、奇跡と偶然が重なって同じアルバムでお世話になりました。当時、飲みに連れて行っていただいて、私に日本酒の飲み比べなどを教えてくださったのはネコさんでした(笑)。
――(笑)。でも、その意味では、エピック時代からご自身の理想や歌いたいものを提示して作品を制作するスタイルになったわけですね。
牧野:そうですね。でも、タイアップがある場合は、自分の意思だけで制作するわけはないので、何曲か絞り込まれた楽曲のなかから「この楽曲を歌ってみたいです」と選んでお伝えする関わり方の場合もありました。
――2014年にはインペリアルレコードに移籍。同レーベルからの第1弾アルバム『タビノオト』(2015年)では、元シンバルズの矢野博康さんをサウンドプロデューサーに迎え、堀込高樹(KIRINJI)さんやコトリンゴさんが楽曲を寄せていました。
牧野:矢野さんとご一緒したのも、私からのリクエストでした。当時、矢野さんがプロデュースを手がけた南波志帆ちゃんの楽曲をの雰囲気がとても好きでそこからいろいろと聴き漁らせていただき、ぜひお願いしたいなと思って。私が作詞で行き詰まった時に、ファミレスで夜中に作業を一緒にしていただいたこともありました。クリエイターの方々と密に関われる環境はとても貴重でした。
感動の原点は「岩井俊二監督の映画『Love Letter』で自分のピアノを劇場で聴いた時」

――作詞にもデビュー間もない頃から取り組んでいますが、もともと興味があったのですか?
牧野:レコーディングでピアノを弾くのも、作詞に関しても、フライングドッグでお世話になっていたディレクターの福田(正夫)さんから背中を押していただいたのがきっかけです。正直、当時は歌うことでいっぱいいっぱいだったのですが、挑戦させていただきました。初めて作詞したのが、『ツバサ・クロニクル』(NHK教育テレビ)で私が演じていたサクラのキャラクターソング「永遠(とわ)の想い」という楽曲だったのですが、「サクラを演じてるんだから、その気持ちで書いてみたらいいんじゃないかな?」というアドバイスをいただいて。ビクタースタジオのロビーでチェックしてもらった時の緊張感は今でも覚えています。
――2006年にはご自身のオリジナル曲「雨降花」で作詞を担当。こちらはTVアニメ『ARIA The NATURAL』の挿入歌でした。
牧野:主人公の(水無)灯里ちゃんが、ゴンドラとお別れするシーンで流れる曲で、そのシーンで雨が降っているので「雨をテーマに詞をつけてほしい」というお話でした。
――そういった自分の手がけたものがたくさんの人に届く喜びも、活動を続ける原動力になっているのではないでしょうか。
牧野:それは自分のキャリアのなかで大きな核になってる部分かもしれないです。いちばん最初のスタートが、8歳の時に岩井俊二監督の映画『Love Letter』で自分のピアノを劇場で聴いた時の感動なんです。その時のことは、子供ながらにすごく記憶に残っているんですよ。劇場の匂いだったりとか。たしか、新宿だったかな。今みたいにラグジュアリーな空間とは違う、昔ながらのシアターで、祖父母と父と母と私、家族みんなで一緒に観て。その時に感じた感覚、自分の演奏が手元から羽ばたいていって、色んな人に見上げてもらえる。その感動を追い求めてやめられないっていうのもあるのかもしれないですね。





















