星野源が証明した音楽で繋がる意味、虚無の先にある息をする歓び――『MAD HOPE』ファイナル公演を観て

星野源『MAD HOPE』ファイナル公演を観て

 星野源が約6年ぶりとなる全国ツアー『Gen Hoshino presents MAD HOPE』を追加公演である10月19日のKアリーナ横浜で完走した。

“星野源”そのものが立ち現れた『MAD HOPE』の衝撃

 筆者は幸運なことに前半のさいたまスーパーアリーナ公演初日に続き二度目の観覧。そこで、本稿では追加公演ならではのファクトや、「果たしてニューアルバム『Gen』はどういうアルバムだったのか?」という部分をレポートの軸に仮定していたのだが、そうした微差は星野自身がアルバム『Gen』に関して「自分の写し鏡のようなアルバム」と表現したのと同様に、『MAD HOPE』もまた、全身全霊を注ぎ込んだ“星野源”という人間そのものだったーーそんな、圧倒的な事実の前に吹っ飛んだ。それは5月の「地獄でなぜ悪い」のオープニングで、音楽であり音楽以上の「星野源の生き方の表明」に心身ともに震わされた時点で重々承知していたのだが、今回のファイナル公演を見届けたあと、それは確信に変わった。

 なにしろ、約6年ぶりの全国ツアーである。この日、星野の「初めて来た人?」との問いかけに存外多くの手が挙がっていたことからもわかるように、たとえば前回のツアーの際に中学1年生だった人はすでに大学生や社会人になっている。ライブが頻繁に行われない時期にファンになった人も多いのだ。十二分過ぎる説明に思えた冒頭の「幸せには意味がない」「音楽にも意味はない」「すでにここは地獄なんだ」という大筋を持ったボイスドラマも「地獄でなぜ悪い」が新旧のオーディエンスに同じ強度で届くために練られた手段だろう。この台本を星野が手掛けたことも大いに意味がある。そして、ファイナルは本ツアーと異なる最後の1曲にも繋がっていくのだが、それはまた後ほど。

『Gen Hoshino presents MAD HOPE』

 ライブの一発目から混沌を表現するインストからはじまりーー「地獄でなぜ悪い」のイントロがツアーを経て最高度に愉快なアンサンブルに昇華されたことに圧倒され、泣きながら笑う自分に気づく。バンドメンバーであるバンマスの長岡亮介(Gt)、三浦淳悟(Ba)、櫻田泰啓(Key)、伊吹文裕(Dr)、4人編成のストリングス隊(美央/Vl、伊能修/Vl、二木美里/Vla、村中俊之/Vc)、3人編成のホーン隊(武嶋聡/Sax、Fl、佐瀬悠輔/Tp、池本茂貴/Tb)にまずは拍手を贈りたい。楽しいクラップに乗せて歌われる〈ただ地獄を進む者が 悲しい記憶に勝つ〉という共通認識。2曲目が本編ツアーの「SUN」から「化物」に変更されたことでさらに共通認識が強まる。

 そして言及はなかったが、「喜劇」「Ain’t Nobody Know」に始まる「不思議」までのセクションでの星野のネオソウル〜ジャズを血肉化した楽曲群では、先日逝去したディアンジェロの影響に自ずと思いを馳せてしまう。「喜劇」や「Ain’t Nobody Know」は基本メンバーの当該ジャンルへの造詣の深さと愛情が、星野源の作品を今ここで輝かせる。特に、武嶋のサックスやフルートソロの艶っぽさと温もりはこのセクションのハイライト。演奏中に贈られる拍手もすっかり馴染みの光景だ。星野が息を吐くように「楽しい……」というのも、アンサンブルの快感が大きいのだと思う。

『Gen Hoshino presents MAD HOPE』

 また、どこかお別れのメロディのようでいて、でも慈しみ深いピアノの導入と、まさに楽園がイメージされるミラーボールの演出に心からの安堵を覚える「Eden(feat. Cordae, DJ Jazzy Jeff)」。公演全体がファンにとってはセーフスペースだろうが、個人的にはこの曲の演奏空間が最も居心地がよかった。

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