THE YELLOW MONKEY “第5のメンバー”=高橋栄樹が語る、ともに過ごした時代と現在地 25年ぶり監督作「Kozu」に込めたもの

高橋栄樹が語るTHE YELLOW MONKEY

THE YELLOW MONKEYと過ごした約5年間、ドキュメンタリーへの迷い

高橋栄樹(撮影=田中舘裕介)

――THE YELLOW MONKEYと過ごした1996年からの約5年間は、高橋監督にとってどんな期間でしたか?

高橋:自分の可能性を限界まで引き出していただいて、本当にいろんな旅をさせていただいたなと。物理的にもロンドンとか、そのあとにもミック・ロンソンの生まれ故郷のハルにもお伺いしたり、イギリス自体何カ所かのライブハウスにも帯同しましたし、精神的な部分でも自分の過去を含めて作品に入れ込んでいいんだという可能性を引き出していただいた。加えて、調整がいらない関係性だったこともすごく大きかったと思います。本来はモノを作る時、当然そこにプロデューサーの方がいらっしゃって、事務所の方もアーティストの方もいて、そのなかでいちばんいい落としどころを見つけていき、スケジュールと予算に合うものを作ることが必要になるんですが、“調整”という言葉すら必要ないくらいに表現内容含めて自由にやらせてもらえました。もちろん、THE YELLOW MONKEYの皆さんも常に新しい挑戦を自分たちなりにしていたのも大きいですし、その結果、僕も一作ごとに違ったことにトライすることができた。すごくいい時代にご一緒できたと思います。それこそ、当時は企画書すら作らなかったことすらありますからね。

――そうだったんですね。

高橋:「楽園」の時にイメージボードを作ってお渡ししたことはあるんですけど、「BURN」くらいからだんだんとポンチ絵みたいなものを描いて説明するようになって。メンバーからは「こういうことをしてほしい」「これはしてほしくない」という具体的な指示も一切なくて、お任せしていただくという。

――それだけ信頼されて、自由に制作することができたわけですね。その後、THE YELLOW MONKEYは2001年の活動休止を経て、2004年に解散。以降も高橋監督は、吉井さんのソロ楽曲「BEAUTIFUL」(2006年)や「バッカ」(2007年)のMVでご一緒する機会もありました。そして、2013年には先ほど話題に挙がった『パンドラ』の制作があり、メンバーの皆さんと久しぶりにお会いする機会もありました。しばらく距離を置いていたことで、あらためてTHE YELLOW MONKYEというバンドに対して得られた気づきって何かありましたか?

高橋:いろんな方々がTHE YELLOW MONKEYというバンドに対して“妖艶”と表現するじゃないですか。僕はメンバーと同世代だったこともあって、90年代に関わっていた頃は正直その意味がよくわかっていなかったんですけど、解散したあとの期間に映像を観たら「わ、みんな結構“妖艶”かも」とようやく理解できて。ただ、それ以外の部分では皆さんに対しての印象はそこまで大きくは変わっていなかったですね。久しぶりに4人とお会いした時も、もちろん年齢的にいろいろと落ち着いてきたというのはありますけど、そんなに変わったとは感じませんでした。

――では、『パンドラ』というドキュメンタリー作品の制作については、当時どんな気持ちで臨んでいましたか?

高橋:『パンドラ』の前年(2012年)に『RED TAPE “NAKED”』というライブボックスセットを作ったんですけど、その時に1997年の『ARENA TOUR '97 “FIX THE SICKS”』と『TOUR '97 〜紫の炎〜』の過去映像を洗い出したんです。で、その流れで事務所から「『PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99』の映像も同じように作品化したいです」というお話をいただいて。実は、当時僕が回していた映像テープをきちんと管理してくださっていたんですよ。ただ、『RED TAPE “NAKED”』と同じような形でまとめようとすると、バンドのことを好きな方には届くんですけど、THE YELLOW MONKEYをあまり存じ上げていない方には届かないんですよね。「本当にそれでいいんだろうか?」という疑問が自分のなかで生じて。実際、『PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99』の期間には本当にいろんなことがあったし、バンドにとってもすごく大変な時期で、自分もその期間にいろいろ心が揺れ動きましたし。どうせ形にするんだったらきちんとまとめて、映画という一般的な形で世に残すべきじゃないか、と。それに、これまであまりちゃんと触れてこなかった部分をしっかりとらえ直すという点でも、形にすることには大きな意味があるんじゃないかと思ったんです。で、そこから素材をいただいて、3カ月経たずして完成しました。

――そんなに短期間で!

高橋:「そもそもこの短いスパンでできるものですか?」とも聞かれたんですけど、当時はAKB48のドキュメンタリー映画を数本手がけてきたので、作業的なことはまったく問題なかったんです。ただ、マインドの部分ですよね。メンバー的にこれを形として残すことに対して抵抗があるのか否かという。そこで吉井さんとお話させていただいて、「よしやろう」と。で、「せっかくやるんだったら、久しぶりに4人で集まって話をしようか」ということになったんだと思います。期間が短いから緊張している暇もなかったというか、始めた以上は形にするぞっていう気持ちのほうが強かったですね。

 ただ、個人的には完成させたあとがキツかった気がします。ドキュメンタリーって、多かれ少なかれそういうことがあると思うんですけど、人生を切り刻んで形にしてしまうので、作り終わった達成感のあとに残るものって、虚しさというか――「やってよかったのかな?」っていう思いなんですよね。「このまま形にしなければみんなの胸のなかにしまっておけたことを、監督の独断で人様の人生を切ったり貼ったりしながら形にしてしまってよかったんだろうか? 自分にそんな資格があったのか?」と、結構長いこと考えました。

25年ぶりのMVプロデュース――「Kozu」で表現したかったこと

高橋栄樹(撮影=田中舘裕介)

――そして、THE YELLOW MONKEYは2016年1月に再集結を果たし、現在までコンスタントに活動を続けています。今回、再集結後に制作されたMVがパッケージ化された映像作品『CLIPS 4』がリリースされることが決まり、そのなかに収録される新作MV「Kozu」を高橋監督が手がけることになりました。どのような流れを経て、「Kozu」のMVを担当することになったんですか?

高橋:事務所の方からご連絡いただきまして、最初は『CLIPS 4』の特典映像というお話だったんです。僕は『CLIPS 3 Video Collection 1999〜2001』(2001年)の特典映像として、過去映像を使った「ジュディ」のMVを作ったことがあったので、そういうものだと思っていたら、そのあとで吉井さんと『パンドラ』以来にしっかりお会いしたら「MVのつもりでお願いした」という意図がわかり、「ああ、自分はMVを作るんだ!」と。『パンドラ』を経て再びTHE YELLOW MONKEYの新しい作品に携わらせていただけることが素直に嬉しかったです。

――MVのテーマについて、吉井さんから何かお話はあったんですか?

高橋:「Kozu」という曲は戦争をテーマにしていることもあり、吉井さんからは「取り扱い方を間違えるといろんな形で誤解が起こるかもしれないけど、そのあたりを(高橋監督は)しっかりとらえることができると思うので、ぜひお願いしたい」とお話しいただきました。

――そういう話を受けて、高橋監督はどんな映像を作ろうと考えましたか?

高橋:まず直感的に思ったのは、今回は過去の映像を使わないほうがいいんじゃないかということでした。僕自身、THE YELLOW MONKEYのMVを手がけるのは25年ぶりですし、過去の映像が出てくるとそれはそれでエモいと思うんですけど、懐古的なものだけで終わってしまう恐れもあるじゃないですか。実際、『jaguar hard pain 1944-1994』の頃の映像を使おうかという話もあったんですけど、それだと過去と現在を比べることが主眼となってしまうんじゃないか、と。それに戦争についても、過去の出来事として語っているわけではなくて、今現在、目の前で起こっている出来事を受けて歌われていると思うので、今の映像を使って形にするべきだなと考えたんです。

THE YELLOW MONKEY - Kozu (Short ver.)

――だから、MVに使われているバンドの映像も最新のツアーやリハーサルの様子が用いられているわけですね。さらに、そこに挿入される日常の景色……海辺であったり赤いジャケットであったり、そういった絵にどこか重みのようなものを、最初に観たときに感じました。

高橋:戦争のリアルをどう描くかという話において、過去の戦場の映像を使うのは当然あり得ないし、かといって現在の映像を使うのも違う。僕らにおける“戦争”の認識ってどういうものかというと、おそらくYouTubeとかで観る、画質の粗い戦闘の映像に日々接することが多いじゃないですか。もっと遡ると、1990年代初頭の湾岸戦争の時に空爆の様子がテレビ中継されたんですけど、自分の記憶のなかでは戦争がテレビ中継されたのはあれが初めてだったと思うんですよね。それにすごくショックを受けたU2が『ZOO TV TOUR』を作った。『ZOO TV TOUR』ではステージ上にたくさんあるモニターにいろんな映像が映っていて、どこに目をやっていいのかわからない構成だったんですけど、それに影響を受けたいろんな方々が「自分たちも映像を使って何かをやろう」と思った。そのひとつが、THE YELLOW MONKEYの『ARENA TOUR '97 “FIX THE SICKS”』であり、『BLUE FILM』(1997年)という映像作品だったと思うんです。そうやって、自分のなかでは映像テクノロジーと戦争がなんとなくつながっていたんですが、今の時代における“リアル”という意味では、いわゆるSD画質、かつての粗いフィルムの粒子ではなく、ビデオのブロックノイズのほうがよりリアルに感じられるんじゃないかと思い、「Kozu」のMVにはそういうテイストを取り入れました。

――なるほど。あのイメージシーンはどこで撮影したものなんですか?

高橋:あれは横須賀沖にある猿島という場所なんですけど、まず名前がぴったりですよね。もともと江戸時代後期に砲台として作られたもので、主に日清戦争から第二次世界大戦の頃まで使われていたんですけど、本土決戦こそなかったものの戦争遺跡なわけです。実際に戦場となった場所では、心情的にとてもカメラを向けられないのですが、そういう意味では戦争遺跡とはいえ歴史的には実戦がなかった場所であれば、今の情報戦のような戦争映像を作ることができるのではないかと考えました。

 実は、猿島の撮影で使ったカメラは、画質がちょっと荒いけれどいい味が出る、“デジタルハリネズミ”と呼ばれるすごくちっちゃいトイカメラなんです。それを使って2カットくらい撮ってみたら、「あ、できた」という手応えがあって、その時に「これはジャガーの見た目なんじゃないか」と思ったんですよ。目線の高さこそ違いますけど、死んだ魂がかつての戦場だった場所を今も彷徨っているんじゃないか――こういう感じで取り組めばいいんだと確信できました。お願いして倉庫から探してきていただいた『jaguar hard pain 1944-1994』で吉井さんが着ていらした赤いジャケットも、緑の自然のなかに横たえると補色となって、トイカメラを通すと本当に亡くなった兵士の所持品のようにも見えてきた。そこでようやく、自分のなかで『jaguar hard pain 1944-1994』と2025年が結びついた気がします。

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