ヒグチアイ“独り言”三部作ラストインタビュー:「バランス」を取りながら生きていく自分を受け入れるまで

ヒグチアイ「バランス」を取る生き方

 ヒグチアイがこの夏に届けてきた「“独り言”三部作」。そのラストを飾る「バランス」は、〈つまんない人間になっちまったな〉と率直な言葉を綴る。普通じゃない自分でありたいと願いながら、気づけば削られ、丸められ、平均を取るように振る舞ってきた時間。それでもまだ諦めきれないものがあると歌い、曖昧なままに立ち続ける勇気を提示するこの曲は、三部作の中でもひときわリアルな「今」を映し出した。

 日々の中で揺れ動く思考や、グレーゾーンを引き受けるしんどさ。ときに「思考停止」と「頑張りすぎ」の間で迷いながら、それでも自分の声を見つけようとする姿勢。ヒグチはそれを「バランス」という言葉に託し、真面目さと不真面目さの間を往復するように歌う。そこで描かれているのは、誰もが心のどこかで覚えのある感覚だろう。

 3カ月連続インタビューの最後は、平均を取ることに慣れてしまった自分との葛藤や、幼少期から続く家族との関係性、新たに完成した6thアルバムへの思い、そして11月から始まる全国ツアーへの意気込みまで、じっくりと語ってもらった。(黒田隆憲)

“自分の人生”に飽きないために

ヒグチアイインタビュー写真(撮影=林将平)

――「独り言」三部作のラストを飾る「バランス」は、いつどのようにして生まれた曲ですか?

ヒグチ:今回の3曲は、それぞれ違うタイミングでできたのですが、この曲はいつだったかな……まずはサビから生まれた曲だったと思いますね。〈つまんない人間になっちまったな〉というラインが先に出てきました。私は「普通じゃない自分でありたい」と思って音楽をやってきたけれど、ずっと大人になるにつれて尖ってはいられないから削られる部分もある。でも削られたからこそ人と上手に関われるようになったことで今も仕事ができているわけだし……という矛盾した思いもあって。その「普通でいたい」「普通ではいたくない」の間を行き来する中で、落ち着いている自分に対し「まだ抗う気持ちもあるんだ」と気づく瞬間もあるんです。この三部作すべてに言えることですが、諦めきれない部分に対する歯がゆさを歌った曲になりましたね(笑)。

――前半で、〈物事にはバランスってもんがあるって知った〉というフレーズが繰り返されます。ヒグチさんにとっての「バランス」とは何でしょう?

ヒグチ:私は兄と妹がいて、子どもの頃は2人のケンカを仲裁する役回りが多かったんです。学校でも同じ。「こっちの意見も、あっちの意見も聞いて、その間を取ったらこうだよね」みたいなことを言う役回りというか。ずっとバランスを取る……真ん中を取ってきたんですよね。そもそもそこに「自分の意見」なんてものはなく、他人の意見の平均を出し続けてきた。私にとって「バランス」とは、そういう平均を取ることかもしれないです。

――それを続けてきた結果、〈つまんない人間になっちまったな〉と。

ヒグチ:ただ、いつまでも平均を取り続けてはいられなくなる。子どもの頃は先生や親の言うことに従えばよかったけど、高校生くらいになると「じゃあ自分はどうしたいのか?」で悩み始める。進路も決める時期ですしね。その時に突然バランスが崩れるんです。「自分の意見はどこにあるんだろう?」と思いますし、誰かの意見がないとバランスがうまく取れなくて……20代前半まではとてもきつかったですね。そこから「これじゃダメだ」と思って削ぎ落とす感覚を極端に左右に振るような作業に入り、「これをすると怒られる」「これでは味方がつかない」と気づくたびに角を削っていったら、結局また平均を取るような自分に戻ってしまった。そういう経験が、自分の中では2回ありました。

――つまり「正論を言う人」になりがちというか、平均点を出すのは自分の意見ではなく「世の中的にこれが最適解」という答えを用意しておくことですよね?

ヒグチ:うーん、私にとって正論は、むしろ偏った意見だと思っていて。実際の世の中って「正しいこと」と「正しくないこと」の間をなあなあで処理する場面が多いじゃないですか。私はその間を取るのが得意なんですよ。だからなのか、不倫の相談を受けることも多い(笑)。「ヒグチは正論を言わない」とわかっているから話しやすいんでしょうね。

 ただ、そうやって「いいじゃん、いいじゃん」と言っているうちに、自分もなあなあな人間になっていて。本当に正しいとき、本当に悪いとき、その線引きが自分の中でわからなくなって、自分の意見を見失うことはいまだにあるんです。結局、安牌を取り続けているのかもしれない。とはいえ正論ばかりに偏ったり、自分のやりたいことだけを押し通したりする人は、だんだん味方もいなくなっていく。そんな中、私のまわりに味方が多いのは、良く言えば「優しい」、悪く言えば「曖昧」な部分を持っているからじゃないかなと。「一緒にいて居心地がいい」と思ってもらえているからこそ、残ってくれているのだと思います。

ヒグチアイインタビュー写真(撮影=林将平)

――〈100%のまじりっけない愛〉をぶつけるというのも、ある意味では平均ではなく偏りの表れなのかもしれません。

ヒグチ:めちゃくちゃ偏りですよね(笑)。私はずっとそういうことをやってきて、「重たい」と言われ続けてきました。私の愛は重い、だったら少し分散すればいいのか? と思って、学生時代は同時に彼氏が2人いた時期もあったんです。でもそれはそれで怒られる。「どうしたらいいの?」って(笑)。自分の愛が大きいんだから仕方ないじゃん、と思ったこともありますね。ただ世間的にはそれも許されない。そうやって、自分の偏った部分と世間の感覚を突き合わせながら、自分という人間が形づくられてきた気がします。

――ただ、100%の愛をぶつけることが、本当に「愛」なのか? という疑問もありますよね(笑)。それと同じで〈言われたこと全部に「はい」って「YES」って/飲み込み続けたら苦しくて〉というラインを読みながら、それって頑張りすぎていることなのだろうか? と。「とりあえずYESと言っておけばいい」というのはある意味で思考停止なのかなとも思ったんです。

ヒグチ:どっちもありますよね。最初はきっと「NO」を言い続けてきて、でも一度「頑張ってみよう」と思って、言われたことを全部受け入れてみる。そうすると、それが楽になってきて、気づけば思考停止に近づいてしまうこともあるかもしれない。常に思考し続けて、その真ん中に立ち続けることって、実はとても大変なんです。

――世の中って、はっきりした正解があるものの方が少ないじゃないですか。政治や社会の問題もそうですし、会社で上司と部下の板挟みになることもそう。どちらが正しい・間違っているではなく、両方の立場がわかってしまうと、結局その「曖昧さ」を曖昧なまま引き受けるしかなくなる。それってものすごく大変だし勇気もいるじゃないですか。ときには誤解を生むことだってあるわけですから。

ヒグチ:そうですね。特に30代を過ぎると思考の癖もだんだん固まってくるし、それが続くと今度は「飽き」に近い感覚が出てくるんですよ。最近よく「このままじゃ人生に飽きちゃうんじゃないか」と思うことがあって。なので、昔は考えていたのに今は考えなくなってしまったことを、もう一度掘り起こして考え直すようにしています。そうすることで、自分を、人生を飽きさせないようにしている気がしますね。

――例えば今、自分を飽きさせないために具体的に考えていることは?

ヒグチ:私は今35歳で、子どもがいなかったらこのまま子どものいない人生を過ごしていくことになる。そのとき、自分にずっと興味を持ち続けられるのかな、飽きてしまうんじゃないかなと考えることはありますね。もちろん、子どもを作ることについてはいろんな意見があるし、こんなこと言うと怒られてしまうかもしれないけど、自分の人生にもっと興味を持つための一つの方法として「子どもを持つ」選択肢もあるんだろうなと。ちょうど今、周りを見ても「欲しい」と言っていた人が「もういいかな」と言い始めたり、その逆もあったりして、いろんな分かれ道が見えてくるんです。そんななか、飽きないようにするために自分は何をどう選んでいくのか。そんなことをよく考えていますね。

――それって、歌詞にある〈自由をもらっても酷なんだな〉というフレーズにも繋がるのかなと。

ヒグチ:これはもうずっとそう感じていますね。子どもの頃は、誰かに言われたことに反発すればよかった。でも今は「やりたいならやればいいし、やらなくてもこのまま生きていける」という世界にいる。特に私は音楽という仕事なので、いつかできなくなる可能性はあるけれど、会社員の人たちって、辞めなければ基本的には続けられるわけじゃないですか。だからこそ「そのまま続けるのか?」「やめて新しいことを始めるのか?」という選択が常にある。それを想像すると、自由って一見ポジティブに見えるけれど、実はとても大変なことだと思いますね。

ヒグチアイインタビュー写真(撮影=林将平)

――確かに、反抗する対象や寄りかかれるものがある方が、楽な場合もありますよね。でもそれは自由ではない場合も多々ある。そのせめぎ合いというか、どんな生き方を取るかという選択は、どの年代でも常にある気がします。

ヒグチ:お金もそうですよね。お金がない頃には想像力を働かせ、「これとこれを組み合わせたら美味しいんじゃないか」と工夫してご飯を作り、結果めちゃくちゃ不味かったりして(笑)。でも、そういった工夫や試行錯誤は一つの楽しみでした。でも、ある程度お金が自由に使えるようになった今は、逆に欲しいものがなくなってしまった。あんなに求めていたのに……と考えると、なんだか悲しいですよね。

――サビで歌う〈つまんない大人〉とは、今おっしゃっていたような状態の「大人」を指しているのかなと思いました。そのうえで、「理想の自分」とはどんなものだったとヒグチさんは思いますか?

ヒグチ:理想の自分……要するに「なりたかった自分」の姿ですよね。本当は「こう思う」と思えばすぐ走り出し、「違う」と思えばすぐまた方向を変える。味方がいようがいまいが、「私がやりたいからやる」と言える人になりたかったんです。でも今は、「そんなこと言ったら怒られるかな」「自分勝手だと思われるかな」と考えてしまう。言わない方が多いですし、言わないことに不満を感じないこともある。そういう思考に慣れてしまっているんですよね。

 そもそも私、「これをやりたい」という欲求がたくさんあるタイプではなくて。「これだけは絶対に守りたい」というものはあるけど、それ以外は「まあいいか……」と流してしまうことが多いんです。逆にいえば、「全部のやりたいことをはっきり持っている人」になりたかったんだろうなと。

あの頃の自分を救うことはできないけど、寄り添うような言葉を綴りたい

――曲の後半の展開も本当に刺さりました。幼い目の自分に穏やかな海の底で出会って、「まだ間に合うならちょっとだけ待ってて」と呼びかける……言葉でうまく説明できないような気持ちになったというか。

ヒグチ:嬉しいです。私は子どもの頃からバランスを取る人間でしたが、それでも当時は「これやりたい、あれやりたい」という衝動はありました。だからこそ、今もきっと心の奥にそういうシンプルな欲が残っているはずだと思うんです。普段は姿を見せないけど、何かが起こったときに真っ先に立ち上がるのはその幼い自分なんじゃないか? って。その存在をちゃんと見てあげれば、もっと素直に、正直に生きられるのかもしれない……そんな期待をいまだに持っているんですよね。

――この「幼い目の自分」というのは、いわゆるインナーチャイルドのことのような気がしました。インナーチャイルドと出会うことで、自分自身の「本当の声」に気づく……そんな場面を描いているのかなと。

ヒグチ:インナーチャイルドと向き合うことは、自分にとってずっと大きなテーマであり続けています。そもそも私が「バランスを取る」ようになったのは、母が本当に怖かったからなんですよ。私には反抗期もなかったし、その分、兄や妹が自由にやっていたことを私が背負ってきた感覚があって。母にとっては私がいい子だったことが支えになっていたようですが、私は「いい子」と言われるのが本当に嫌で。「いい子」って言われると、「いい子でい続けなきゃ」と思ってしまうじゃないですか。結局それが自分の価値になってしまったけど、本当はもっと別の意味で愛されたかったなあって。

 だからこそ私の曲には、インナーチャイルドを慰める要素が大きいんですよね。あの頃の自分を救うことはできないけど、「本当はこう言われたかったよね」と寄り添うような言葉を綴りたい。ちゃんと「我慢していたことを今の私はわかってるよ」と伝えたいです。母に対する恨みは今はもうないのですが、恨みがなくなったからといって子どもの頃の自分が救われるわけじゃない。その事実とは今後も付き合っていくしかないんです。

ヒグチアイインタビュー写真(撮影=林将平)

――人は、どれだけ愛されようが必ず親に「心の穴」を開けられると聞いたことがあります。ヒグチさんにとっては、その穴を埋めることが表現のモチベーションになっている面もあるのかなと、お話を伺いながら感じました。

ヒグチ:確かにそうですね。以前、母方の祖母から「お母さんのことを、ラジオで話すのはやめてほしい」と言われたことがあったんですよ(笑)。「娘が傷つくから」と。でも私は「気持ちはわかるしお母さんのことは大好きだけど、自分や自分の曲を説明する上で、避けては通れない場合もあるから話さないのは無理かも」と答えたんです。そうは言いつつも、心のどこかで「許さなきゃいけないんだな」「あまり話しすぎない方がいいんだな」と学んでしまった部分もあって。気づけば母への恨みや怒りがもうほとんどなくなりましたね。

 残っているのはあの時の自分という存在だけ。私は別に恨みつらみで語っているのではなく、ただ「本当に怖かった」という実感を、今の言葉で伝えているだけです(笑)。しかも自分自身が年齢を重ね、母が当時どんな状況だったかも理解できるようになりましたしね。2歳差の子ども3人を育てていたら、余裕がなくて怒ってしまうのも当然だろうなって。

――「つまらない」自分ではなく、本当の自分を取り戻すための「答え」として、この曲では〈真面目に不真面目やるしかないよな〉と歌っています。

ヒグチ:結局私は「バランスを取りながら生きていく」人間なんだと思います。だから多少逸れてもまた戻ってくるし、偏ったことをしてもまた戻ってくる。その「戻れる自分」を信じていれば、安心もできる。大切なのは、「やりたい」と思ったことを、やる前にためらわず、まずやってみること。その後で軌道修正が必要ならすればいい。それなら自分にもできるよ、と言い聞かせたいし、小さくても「これがいい」と思える瞬間を感じられているなら大丈夫だと伝えたいんです。

――〈バカなふりで壊すんだな/わかってきた/できるかな/できるよな〉という締めも感動的ですね。積み上げては壊して、そして再び積み上げていく、人生はその繰り返しなのかなと。

ヒグチ:そう思います。できるかどうかは分からないけど、常に(壊す)チャンスをうかがっていたいし、諦めたくない。何かを壊すことも、そこから外れることも、言葉にすることも、全部「勇気」だと思います。最近のテーマはまさに勇気ですね。たとえば、「これを言ったら怒られるかな」と思うようなことをあえて歌詞にすることもあります。創作は一番無責任に遊べる場所で、誰にも怒られない。そこで消化できる気持ちはすごく多い。そういう意味で、この仕事ができているのは幸せだと思いますね。

ヒグチアイインタビュー写真(撮影=林将平)

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