久保田利伸の“才能”を考察 40年のキャリアが生んだ「諸行は無常」に宿るグルーヴ、音楽への飽くなき探究心

デビュー40周年 久保田利伸の“才能”

 6月20日、久保田利伸がデジタルシングル「諸行は無常」をリリースした。翌日6月21日にはデビュー40周年イヤーに突入し、日本の音楽シーンにブラックミュージックを定着させたパイオニア・久保田利伸の才能について、その歴史とともに考察していきたい。1986年6月21日にシングル『失意のダウンタウン』でデビューした彼の才能は、デビュー前から多岐にわたり群を抜いていた。

 まずは、コンポーザーとしての才能だ。久保田の日本における音楽家としてのキャリアは、作家契約からスタートしている。デビュー前からアーティストやアイドルに楽曲を提供し、多くの楽曲をヒットチャートに送り込んできた。1980年代半ばの日本の音楽シーンは、非常に大雑把にまとめてしまえば、歌謡曲とニューミュージックがメインストリームを席巻しており、バンドブームの兆しもあったがまだまだアンダーグラウンドな存在であった。そこにブラックミュージック、そしてラップという手法を違和感なく取り込み、ヒット曲を生み出していたのが“作家・久保田利伸”である。特に、作曲を久保田が手がけた田原俊彦のシングル曲「It's BAD」(1985年)は、歌い出しからラップを取り入れた斬新な楽曲で、当時年齢的にもキャリア的にも、それまでの笑顔のアイドル像からの脱皮を図っていた田原が、後に一人の男性として艶っぽいパフォーマーへと変遷していくきっかけとなった。

 次に挙げたいのが、シンガーソングライター、そしてプロデューサーとしての才能だ。久保田はデビュー前に音楽関係者に『すごいぞ!テープ』というデモテープを配布している。このテープには、既出の「It's BAD」のセルフカバーに加え、スティーヴィー・ワンダー「I Wish」のカバーなどが収録されている。「I Wish」はジャジーなテイストもあるファンキーなナンバーだが、久保田はこの曲を“一人多重アカペラ”でカバーしており、彼のルーツの深さと楽曲に対するプロデュース能力の高さを証明している。また、洋楽のメドレーで構成されたトラックも入っており、その選曲はオールディーズから80年代のハートランドロックまでと、実に幅広い。楽曲のクオリティの高さから、山下達郎やとんねるずなどが自身のラジオ番組で取り上げ、リスナーはもちろん音楽業界からも注目を集め、本人がデビューする足掛かりのひとつになった。

 そして、ボーカリストとしての才能である。久保田は洋楽的なクオリティを持つ楽曲を通じて、日本に“ブラックミュージック”や“ファンク”というジャンルの地盤を築いた。その背景には、卓越したボーカルスキルがあったことを忘れてはならない。たとえば、彼の1st アルバム『SHAKE IT PARADISE』(1986年)に収録されている「Olympicは火の車」は、サウンドは80年代半ばに全盛だったアナログシンセをアレンジのメインに据えたアップチューン。70年代にソウル&ファンク路線から進化し、80年代にシンセサウンドを取り入れたダンスポップサウンドで大ヒットを飛ばしたアメリカの女性ボーカルグループ・The Pointer Sisters「I'm So Excited」あたりを彷彿させる。

 ロック色が強いビート、日本語の歌詞に対して、久保田は単語ではなく一音単位で発音を工夫している。子音の前に少しだけ母音を入れる、短めのトーンでもクレッシェンドとデクレッシェンドをかける、母音を吸い込むように切り上げる、言葉を発する前に微妙な“ん”を入れてリズム感を出すなど、実に多彩。ボーカリスト・久保田利伸は、デビューからしばらくは抜群のリズム感とスパーンと抜けるような中高音のロングトーンが持ち味だったが、アルバム毎に変わる音楽的テーマに沿ってニュアンスを細かくコントロールし、どんどんアプローチの幅を広げていった。

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