中国の姉妹デュオ DOUDOU、日本限定EP収録曲「馬」MV公開 アニメーター otoshibumiが制作

 中国の姉妹デュオ DOUDOUが、4月に日本限定でリリースしたEP『星降ル夜ノ祈リ』の収録曲「馬(日本語バージョン)」のMVを公開した。

DOUDOU / 馬(japanese.ver)【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

 本楽曲は、学生時代が終わりを告げる瞬間を描いたもの。東方美学特有の“控えめな別れ”をテーマに制作され、「表面的には二人の感情の絡まりを描いていますが、実は口に出せなかった祝福なのです。あなたのために、最も美しい別れの情景を描きました。どうかあなたのこれからの道が明るく広がっていきますように。」としている。

 また、MVは日本人アニメーターのotoshibumiが制作を手がけており、楽曲から受けとった“執着と自由”、“心の距離感”というテーマを軸に、視覚的な物語として構成したという。アニメーションについては「ゆったりとした回転、繰り返し、静止といった動きや、最小限で閉塞的なカメラワークを通して、儀式性や孤独感を表現しました。」とコメントしている。

DOUDOUより

『馬』とは一一背中を見送り、孤独で美しい夢を描く

楽曲「馬(japanese.ver)」について

I. 創作の原点:学生時代の別れに寄せて

『馬』が生まれたのは、別れが溢れる卒業シーズンでした。中国の新世代シンガーソングライターデュオ DOUDOUが描いたのは、学生時代が終わりを告げる瞬間です。青春が幕を閉じ、友人たちがそれぞれの道を歩んでいくとき、生活には「来ては去る」という儚さが漂っています。彼女たちは、この東方美学特有の控えめな別れを音楽に閉じ込めることを選びました一一引き止めるのではなく、ただそっと見送るだけです。「表面的には二人の感情の絡まりを描いていますが、実は口に出せなかった祝福なのです。あなたのために、最も美しい別れの情景を描きました。どうかあなたのこれからの道が明るく広がっていきますように。」この「控えめな抒情」こそが東方美学の核心です。沈黙で激しさを包み、余白で想いを伝える一一そのような表現が大切にされています。

II.音楽制作:東方楽器に込められた情緒のコード

『馬』では、「切れそうで切れない」繊細な感情を伝えるために、DOUDOUは編曲に二つの巧妙な仕掛けを施しました。一つ目は東方楽器の物語性です。月琴(琵琶や三味線に似た撥弦楽器)を使い、軽やかな馬の蹄のようなリズムを再現しました。その独特なベンド奏法や余韻は「想いの糸」に例えられ、別れる者が抱える断ち切れない感情を表現しています。二つ目は歌声と楽器との対話です。ボーカルは極限まで抑制された声で「行かないで」と歌い、一方で弦楽器やピアノが情熱的に引き止めるような高まりを生み出します。「声は冷静、音楽は情熱的」という対比のデザインは、東方的美意識が宿る「内に秘めた情熱」という告別姿勢を映し出しています。

III.日本語バージョン:言語が紡ぐ新たな感情の温度

『馬』が初めて日本語バージョンとして山海を超えたとき、その言語特性がDOUDOUに予想外の喜びをもたらしました。中国語の単音節「馬」が日本語では「白馬(はくば)」という多音節となり、新たな旋律の動が生まれ、サビにより深い呼吸感が宿りました。日本語の柔らかな発音はDOUDOUの歌唱哲学にも変化をもたらし、「歌唱する」という感覚が控えめな「語りかけ」へと変わっていきました。中国語では「永遠の別れ」という強い響きを持つフレーズも、日本語の婉曲で含蓄的なニュアンスに置き換えられ、「どうかあなたが幸せでありますように」という東方的情緒美学に近づいていきました。
DOUDOUは「日本語バージョンを通じて、同じ旋律でも言語を変えることで新たな魂を持つのだと気づきました」と語っています。

IV.アニメーションコラボ:otoshibumiが描く「自己との別れの儀式」

日本人アニメーターotoshibumiが手がけた「馬」のMVは、楽曲のテーマを深く掘り下げた作品となりました。日記のように共感性に満ちた脚本は、手書きの文字で「触れられるものと触れられない想い」を表現しており、DOUDOUは「まるで誰かの個人的な日記を覗き見ているような真摯さを感じる」と語っています。原曲では人と人との別れを描いていますが、アニメーションでは「自分自身との葛藤と別れ」へと昇華されています。主人公は幻想的な夢の中で、もう一人の自分と別れを告げ、最後には一人きりの現実に目覚めます。この「孤独でありながら満ち足りている」という複雑な感情こそ、歌詞が語り尽くさなかった「余白」そのものです。Otoshibumiの画風には東方美学の素朴さと温かな色彩があり、影と光の強烈な対比は、まるで月琴が奏でる「切れそうで切れない想い」を視覚化したようです。そのMVはまさに「動き出した東方の詩」となりました。
『馬』の制作からジャンルを超えたコラボレーションに至るまで、DOUDOUが守り続ける東方美学を鮮やかに映し出しています。彼女たちは情緒の共鳴、楽器による革新、語らずして語る物語性、そして異分野との融合を通じて、「含蓄は決して色褪せたものではなく、抑制こそが心を癒すのだ」という内面的な世界を築き上げました。アニメの中にある「自分自身が自分を見送る」シーンが示すように、本当の別れとは声高なものではなく、静かな中にこそ新たな芽吹きを見出すものなのです。

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アニメーター otoshibumiより

楽曲『馬』は、感受性豊かな若い世代や、孤独や葛藤を抱える方々の心に深く響く作品だと感じています。本作では、そうした感情の揺れを映像に落とし込むと同時に、寓話的な物語性と視覚的奥行きを加えることを目指しました。個人視聴にとどまらず、音楽イベントやアートフェスティバルなどでの上映も想定し、迫力ある画面構成と没入感にこだわっています。国や世代を超えて、多くの人の心に届く作品になれば幸いです。

I. ストーリー概要

暗い洞窟に祀られた「私」は、外の世界にいる「あなた(白馬)」に強く憧れていた。洞窟の中では、「信者」たちが奇妙な儀式を繰り返している。一方、外の世界では生き物たちが自由に暮らし、白馬はとりわけまぶしく見える。やがて私は白馬に会いたいと強く願うようになり、洞窟の外へ這い出ようとする。しかし、信者たちに引き戻され、想いは叶わない。私は妄想の中で白馬と遊び、壁画や木馬にその存在を重ねて過ごす。ある日、信者に囲まれていた私の目に、外からこちらを見つめる白馬の姿が映る。私はその背に乗り、自由な世界を駆け回る――けれど、それは妄想だったのかもしれない。再びひとりになった私は、白馬の幸せを祈りながら、静かに日常へと戻っていく。

II. 伝えたいメッセージ

本作のアニメーションは、楽曲『馬』から受け取った「執着と自由」「心の距離感」というテーマを軸に、視覚的な物語として構成しました。力強い三拍子のリズム、反響するような低音、ささやきのような声。そして歌詞に込められた、一方的な想いとそれを手放していく心の変化に、私は深く惹かれました。特に、「今回は連れて帰らない」「どうか白馬よ 気をつけて」といった言葉からは、相手を想う優しさと共に、執着を手放す覚悟のようなものを感じました。この感覚を、閉ざされた洞窟に祀られた「私」と、自由に生きる「白馬」の関係としてうまく視覚化できていたら嬉しいです。アニメーションでは、ゆったりとした回転・繰り返し・静止といった動きや、最小限で閉塞的なカメラワークを通して、儀式性や孤独感を表現しました。視聴者にとっても、楽曲がより深く響くきっかけとなれば幸いです。

III. アニメーションのコンセプト解説

本作は、3つのキーワード、「虚構的宗教概念」「ひとりぼっち」「執着からの解放」を軸に制作しました。特に、儀式的な回転や反復の動き、リズム感、そして明るく開放的な外の世界と暗く閉ざされた孤独な洞窟の対比を意識し、各シーンを構成しています。画面全体には赤と青を基調とした不穏な配色を用いつつも、重くなりすぎないよう、シンプルなキャラクターデザインとコミカルな動きでバランスを取りました。

IV. 注目した歌詞と表現への反映

歌詞を読んだ際、前半では「私」から「あなた」への一方的な執着が描かれているのに対し、最後には「どうか白馬よ 気をつけて」と自らに言い聞かせ、想いを手放していくような描写が心に残りました。とりわけ「『今回は』連れて帰らない」というフレーズからは、「自分のものにしたい」という衝動と、「それでも解放したい」という葛藤が感じられ、このテーマをアニメーションにも反映させました。さらに、中国語の歌詞を自分なりに翻訳していく中で、「悠然自得逃跑吧」は「自由に駆けて」だけでなく、「ゆっくり逃げて」とも訳されることを知り、「互いに近づきすぎない方がよい(美しいと思っている)関係」というニュアンスも大切にしたいと考えました。そこでラストでは、白馬が背を向けたり、横目で見たりするだけの演出にとどめ、「私」と「白馬」が直接的な関係を持たないような距離感を描こうと努めました。

V. キャラクターと表現について

●キャラクターイメージ 初めて楽曲『馬』を聴いたとき、特に印象に残ったのは、間奏の力強い三拍子のリズムと、反響音のような奇妙で心地よい低音の重なりでした。そこから浮かんだのは、「大きく重たい身体をゆっくりと引きずるように進む生き物」のイメージです。曲を何度も聴くうち、ささやき声をいくつも感じる瞬間や、曲への没入感が重なり、「現実か妄想かわからなくなるような閉鎖された空間から、外の世界に出たがっている存在」という発想も芽生えました。そこに、「虚構的宗教概念」というキーワードを加味し、「山奥の洞窟に祀られ、『信者』に囲まれながらも外へ出られない孤独な『私』」というキャラクターが完成しました。また、「仮面を外す」という歌詞の表現を受けて、変面のように顔がさっと切り替わる演出も取り入れてみました。

●キャラクターの関係性 本作には、「私」「あなた(白馬)」「信者」という3つのキャラクターが登場します。それぞれが明確な役割と関係性を持っています。
・「私」は、信者たちの存在を意に介さず、精神的には完全に孤立しています。私の関心はただ一つ、「白馬」に会いたいという想いのみです。
・「信者」は、「私」を喜ばせたい、見てもらいたいという欲望に駆られて行動します。信仰の対象として「私」が洞窟に居続けることを望んでいます。
「あなた(白馬)」は、すべてを少し離れた場所からただ見つめている存在です。直接関わることはありませんが、信者に囲まれる「私」を少しだけ羨ましく思っている節もあります。歌詞は「私」の視点で語られていますが、3者の距離感や関係性の想像を広げてもらえたら嬉しいです。

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VI. 映像表現と裏話

●現実と妄想の描き分け
本作では、「現実」と「妄想」の境界をあえて曖昧にしていますが、以下のようなヒントを仕込んでいます。
・現実のシーンは描き込みが多く、線の報量で差をつけています(例:自分の身体、三つ編み、洞窟の壁など)。
・妄想や理想の世界は彩度を高く、描き込みを減らしてシンプルにしています(例:薄緑の背景、白馬、外の世界)。
また、信者は「私」にとってリアリティのない存在であり、足元以外は匿名性の高い表現にしています。さらに、「手」の描写においても、誰の手か特定できないように構図やデザインを工夫しています。ラストシーンに登場する木馬や人形も含め、どこまでが現実かは観る人の解釈に委ねています。

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●馬に関する取材と気づき
制作にあたり、「遊馬倶楽部」様にご協力いただき、「幸ちゃん」という馬のオーナー様からお話を伺いました。印象に残ったことは2点あります。
1. 馬はほとんどの時間、草を食むことに費やしていること。……馬は腸が長く大きいので、外を駆け回る時間より、草を食べて消化する時間の方が長いといいます。それを踏まえ、本作では「駆ける」シーンだけでなく、草を食んだり佇んだりする静かなシーンを多く取り入れ、動きに緩急をつけました。
2. 馬は大型生物であり危険もあるため、「そばにいて、何もしないでいてくれるだけで心が通じている」と考えられること。……この視点から、歌詞にある「あなたは私に興味がない」ように見える上の空のような描写も、実は「彼なりに独特な距離感で寄り添っている(そばにいるだけ)のではないか」と思うようになりました。アニメでは、白馬が洞窟の近くで草を食む姿や、何度か訪れる様子、こちらを見ていないようで見ている様子などで、この距離感を表現しました。

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■DOUDOU プロフィール

DOUDOU

ドゥ・ビンアーとドゥ・フェイアーの双子姉妹によるシンガーソングライターデュオ。二人が共有する創造的なインスピレーションと哲学を受け継ぎながら、音楽的素養に裏打ちされた理性と感性の表現技法を駆使して、自らの音楽を形づくっている。Z世代ならではの繊細さ、不安、そして愛――彼女たちは、そんな感情のゆらぎを独自の音楽言語で描き出している。

■関連リンク

<DOUDOU>
YouTube:https://www.youtube.com/@DOUDOU-OFFCIAL
Instagram:https://www.instagram.com/doudou.official2025/

<otoshibumi>
Instagram:https://instagram.com/otoshibumi_haruka
X(旧Twitter):https://x.com/otoshibumi2
ふくいクリエイティブフォーム Cream:https://cream.or.jp/creator/otoshibumi/

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